第313話.小さな決心
広い応接間で、1人の少女が俺を待っていた。オフィーリア・ウェンデルだ。
「レッド様」
オフィーリアがソファーから立ち上がり、俺に挨拶した。俺はそんな彼女を見て少し驚いた。
オフィーリアはいつもの白いドレスではなく、茶色の普段着を着ていた。それだけでも印象が大分違う。それにオフィーリアの顔から……暖かさが感じられる。
父親の言葉を復唱するだけのお人形ではない。自分の意志で生きている女の子だ。
俺はオフィーリアの真正面のソファーに座り、ドロシーはテーブルの上のティーカップに紅茶を注いでから、オフィーリアの後ろに立つ。前回と同じだ。
「ずいぶんと雰囲気が違うな、オフィーリア」
「そうなんでしょうか」
オフィーリアは頬を赤らめて、恥ずかしそうに笑う。
「昨日は半日も休ませて頂きました。そして……いつもとは違う夢を拝見しました」
オフィーリアが視線を落とす。
「夢の中で、私の前にお母様とお兄様が現れて……もう安心してもいいと、私に言ってくれました」
「そうか」
「本当にお母様とお兄様だったのか、単に私がそう言われたかっただけなのかは……分かりかねますが」
「たぶん誰にも分からない」
俺は首を振った。
「だが……もし運命というものが実在しても、それに縛られる必要はない。お前も、俺も」
「お強いですね、レッド様は」
オフィーリアが俺を見つめる。
「私は、レッド様に関する……いろいろな噂をお聞きしました」
「噂か」
俺はニヤリと笑った。
「あまり良い噂じゃないんだろう?」
「それは、その……」
「いいんだ。大体分かっている」
世間では、俺に関していろんな『残酷な噂』が流れているようだ。俺が敵兵士の生き血を飲むとか、敵兵士を素手でなぶり殺したとか……そんな噂だ。『赤い化け物』と呼ばれているし、ある程度は仕方ないことだ。
「私は……レッド様のことをよく存じていないのに、噂や夢みたいなもので判断しておりました。申し訳ございません」
「俺も似たようなもんだ」
俺は笑顔でそう言った。
「お前のことを『悪いお姫様』だと思っていたのさ」
「悪い……お姫様?」
「ああ、小説とかでよく出てくるだろう? 隣国のお姫様で、いつも主人公カップルに嫉妬して悪いことばかりする人物」
「なるほど」
オフィーリアが笑った。
「レッド様が仰った通り、他人の立場を完璧に理解することはできないかもしれませんね」
「まあな。でもそれでいいじゃないか」
俺は腕を組んだ。
「不完全だからこそ、互いを助け合う。助け合いながら生きる。それが人間だと思う」
「そうですね」
オフィーリアがゆっくりと頷いた。
「お父様は私に、レッド様はとても頼りになるお方だとおっしゃいました。この王国の未来を任せられる、若い英雄だと」
「買いかぶり過ぎだと思うけどな」
「私はその言葉を疑いながらも、無理矢理従おうとしました。でも今は違います」
オフィーリアが俺を直視する。
「レッド様は本当に頼れるお方だと存じます。これはお父様のお考えではなく、私の考えです。だから、私は……その……」
オフィーリアの顔が赤面して、呼吸が荒くなる。
「無理するな」
「私は……」
「まだ俺のことが怖いんだろう?」
俺はティーカップに手を伸ばして、紅茶を1口飲んだ。
「ウェンデル公爵は俺に『娘を守って欲しい』と言った。でもだからといって、俺とお前が必ず婚約する必要はない」
「それでは……」
「俺は出来る限りお前に助力するつもりだ。だから……友達から始めようじゃないか」
「友達……」
オフィーリアがまた視線を落とす。
「レッド様は……やっぱり……私のことがお気に召さないのでしょうか?」
「いやいやいや」
俺は苦笑しながら首を振った。
「そういう問題じゃない。俺はお前に別の役割を努めて欲しいんだ」
「役割とおっしゃいますと……?」
「お前がウェンデル公爵を守って欲しい」
「私が……お父様を?」
「ああ」
俺は頷いてから説明を続けた。
「ウェンデル公爵は優れた指導者だ。しかし現在、彼は毒のせいで倒れている。このままだと彼の影響力は減少する一方だろう」
俺はドロシーの方をちらっと見た。
「騎士や兵士たちは、ウェンデル公爵への忠誠心が高い。でも他はそうでもない。こういう時こそ……ウェンデル公爵の後継者が前面に出て、ウェンデル公爵家の権威を示すべきだ」
その言葉を聞いて、オフィーリアは困惑する。
「お父様の後継者は……お兄様です。私ではなく……」
「でも今はお前がやるしかないんだ」
俺はオフィーリアの美しく青い瞳を眺めた。
「半年後、俺とウェンデル公爵は王都を制圧して戦乱を終わらせるつもりだ。しかしウェンデル公爵家がその権威を発揮できなければ、この計画は破綻する。つまり誰かは……ウェンデル公爵が回復するまで、公爵家を統率しなければならない」
「レッド様……」
「今俺とお前が婚約したら、お前は『ロウェイン伯爵の側室』になる。それでは駄目だ。お前には『伯爵の側室』ではなく『公爵家の後継者』として活動して欲しい」
「私は……」
オフィーリアが悲しそうな顔をする。
「状況は理解致しました。でも私には……ウェンデル公爵家を統率できるほどの力量がありません。お父様やレッド様のような立派な指導者になることは……到底無理です」
「いや、そうでもない」
俺はゆっくりと首を横に振った。
「昨日、お前が俺に言っただろう? 自分の命なら捧げるから他の人々は許して欲しい、と。俺はその時気付いた。お前には指導者としての資質があると」
「資質……」
「もちろん指導者は、部下たちが全員死んでも最後まで生き残るべきだ。でもそれだけでは人々の心は掴めない。いざという時は、みんなを守るために前に出る果敢な姿も必要だ。お前にはそれがある」
俺は少し間を置いてから、話を続けた。
「強要するつもりはない。そもそも俺には強要する権利もないしな。だからこれは……俺の頼みだ。半年の間だけでいい。ウェンデル公爵家を束ねてくれ」
俺の話が終わると、オフィーリアは目を閉じる。そして沈黙だけが流れる。
やがてオフィーリアは深呼吸してから……目を開けて俺を見つめる。
「……かしこまりました。お父様がご回復なさるまで、私が束ね役をやってや……務めさせて頂きます」
「それでいい」
俺は頷いた。
「じゃ、俺から1つ助言する」
「はい」
「常に堂々と振る舞え」
俺はニヤリとした。
「たとえ本当は特別な力など無くても、堂々と振る舞っていれば……周りの人々が勝手に思ってくれるんだ。『我らの指導者には特別な力がある』と」
「ふふふ」
オフィーリアが笑った。
「そういうことは……どんな本でもお読みしたことがありません」
「でも事実なのさ」
俺も笑った。
昨日、オフィーリアは『赤い化け物』に対する恐怖を克服した。そして今日、人々のために自分の役割を果すことを決心した。小さな始まりだが……どんな大きな物語でも、最初は小さいことが始まるのかもしれない。そんな気がした。




