第309話.まさかお前と話すことになるとはな
ウェンデルの部屋の外には2人の騎士が待機していた。彼らは軽く頭を下げたから、俺の横を通って部屋に入る。主への忠誠心はもちろん、実力も備えた1流の騎士たちだ。
「レッド」
廊下の隅に立っていたドロシーが俺に近寄る。
「公爵様との会談は終わったのか?」
「終わったというか……これからだな」
俺は苦笑いした。
「ドロシー、1つ頼みがあるんだが」
「何だ」
「明日の朝、俺はオフィーリアと話をするつもりだ。その場にあんたも立ち会って欲しい」
「お嬢様と……」
ドロシーが理解した顔で頷く。彼女も俺とオフィーリアの縁談については聞いたはずだ。
「分かった。お嬢様が緊張しすぎないように、私が補佐しよう」
「ありがとう」
たぶんオフィーリアは、1対1で俺と会話するのは無理だ。でも同じ女であり、騎士であるドロシーがいてくれれば……失神したりはしないだろう。
もうすぐ小さな決戦が始まる。俺は軽く深呼吸をした。
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翌日の朝……俺は部屋で朝食を済ませて、礼服に着替えた。そして鏡の前に立って自分の姿を眺めた。
この礼服はウェンデル公爵が用意してくれたものだ。全体的に黒色で、所々に金色の装飾が付いている。見た目より動きやすく、本当に高級なものだ。公爵が自分の婿のために用意したものだから当然だけど。
「へっ」
しかし俺は思わず笑ってしまった。この礼服の配色は……8年前、オフィーリアが乗っていた馬車の色とまったく同じだったのだ。まあ、ウェンデル公爵家の紋章が黒色と金色だからだろうけど。
やがて俺は部屋を出て階段を登り、城の2階に行った。そして東の廊下を進むと大きな部屋があり、部屋の前には金髪の女性が立っている。ドロシーだ。
俺が近づくと、ドロシーは微かな笑顔を見せる。
「よく似合うな、服」
「それ冗談だろう?」
「まあな」
ドロシーは肩をすくめてから、無表情になる。
「お嬢様は大変緊張していらっしゃる。くれぐれも気を付けてくれ」
「分かった」
俺は頷いた後、ドロシーと一緒に部屋に入った。
広い部屋の中には、テーブルとソファーが並んでいた。応接間として使われている部屋なんだろう。しかし貴族の応接間にしてはそこまで派手ではない。むしろ厳粛な雰囲気の部屋だ。まるで大教会の礼拝堂みたいに。
部屋の中には1人の少女しかいなかった。少女はソファーに座って、壁に飾られている絵画を眺めていた。女神が人々に手を伸ばしている絵画だ。
「お嬢様」
ドロシーが少女を呼ぶと、少女がこちらを振り向く。薄い金髪の、まるで人形みたいな少女……オフィーリア・ウェンデルだ。
オフィーリアと俺の視線が交差する。するとオフィーリアの顔は……みるみる蒼白になっていく。
「あ、改めてご挨拶させて頂きます……ロウェイン伯爵様」
オフィーリアは素早く視線を落として、白いドレスのスカートの端を持ち、丁寧に頭を下げる。貴族の娘として、あの動作だけは自然に出てくるんだろう。たとえ恐怖の対象の前だとしても。
「初めましてだな、オフィーリアお嬢さん。俺はレッド・ロウェイン伯爵だ」
俺は無表情で挨拶してから、オフィーリアの真正面のソファーに座った。
「うっ……」
本来なら、俺が座るとオフィーリアもすぐ座るべきだ。でもオフィーリアは棒立ちになったまま、自分のスカートを強く握って……震えている。必死に恐怖に耐えようとしている。
オフィーリアもデイナみたいに『男性恐怖症』なんだろうか? いや、違う。オフィーリアは明らかに『俺だけ』を怖がっている。『俺だけ』を避けている。
「どうした、座らないのか?」
俺が冷たく言っても、オフィーリアは動かない。彼女の綺麗な顔に汗が滲み始める。これでは……前回の二の舞いだ。また失神する可能性もある。
「お嬢様」
ドロシーがオフィーリアに近づく。
「私がお供します。どうかお気をしっかりとお持ちください」
「はい……」
オフィーリアが小さい声で答えた。それを確認して、ドロシーは俺を振り向く。
「ロウェイン伯爵様は……勇将として名高いですが、普段はとても優しいお方です。緊張なさらずに」
俺は内心笑った。まさかドロシーが俺のことを『優しい』と評価するとはな。オフィーリアを安心させるための嘘……かもしれないけど。
「……大変失礼致しました、ロウェイン伯爵様」
オフィーリアはやっと席に座る。だが視線を落としたまま、俺を見ようとはしない。
ドロシーがテーブルの上のポットを持って、俺とオフィーリアのティーカップに紅茶を注ぐ。
「ありがとう」
俺は紅茶を1口飲んだ。ドロシーは小さく頷いてから、オフィーリアの後ろに立つ。
「さて……」
ティーカップをテーブルの上に置いて、俺はオフィーリアを見つめた。
「俺とお前の縁談については、もう父親から聞いただろう?」
「はい」
オフィーリアは力なく答える。これでは会話じゃなく尋問だな……と俺は思った。
「戦略的に見て、俺とウェンデル公爵の同盟は大事だ。王国の戦乱を1日でも早く終わらせるためにな」
「はい」
「だから俺とお前の政略結婚が必要になったわけだが……どうやらウェンデル公爵が縁談を持ち出した理由は、それだけではないらしい」
「はい、存じております」
オフィーリアが小さく頷く。
「昨日、お父様がおっしゃいました。ロウェイン伯爵様は実力と器の両方をお持ちだと。ロウェイン伯爵様と一緒にいれば、私はもちろんウェンデル公爵家も安寧でいられると」
「ちょっと買いかぶり過ぎだな」
俺は苦笑した。
少し間を置いてから、オフィーリアがまた口を開く。
「私には……ウェンデル公爵家を率いるほどの実力も器もございません。カーディア女伯爵様やアップトン女伯爵様のような、女傑になることはできません。だからお父様は……私のことを心配なさっています」
俺はオフィーリアの顔を注視した。お人形のような美少女だが……彼女の不安や迷いは、普通の女の子とそう変わらない。シェラやシルヴィアに比べれば……普通の『内気な少女』に見える。
「……1つ聞こうか」
「何でしょうか」
「もし俺と結ばれたら、お前は自分自身が幸せになれると思うのか?」
その質問を聞いて、オフィーリアは明らかに慌てる。
「わ、私はただ……お父様のご意向に添えるよう……」
「父親の考えを聞いているわけではない。お前の考えが聞きたいんだ」
俺は冷たく言った。
会話が始まってから、オフィーリアは自分の考えを1度も言わなかった。ただ父親の意志に従って、父親の言葉を復唱しているだけだ。
「私は……」
オフィーリアがおどおどする。猛獣を前にした羊のように。
今まで俺は、貴族の女性を何人も見てきた。しかしこれほど自信のない人は初めてだ。母親に苦しめられていたデイナさえ、自分の考えをはっきりと言った。なのにこの子は……本当に大貴族の娘なのか?
8年前……オフィーリアは馬車に乗って俺を侮辱した。あの時のオフィーリアの視線は凍りつくほど冷たかった。あの高慢な少女と、目の前のおどおどしている女性が同一人物だなんて。
一体何があったんだろう? どうしてこんなに変わっちまったんだろう?
「お嬢様」
ドロシーがオフィーリアの肩にそっと手を乗せる。
「ありがとうございます、ドロシー卿」
少し落ち着いたオフィーリアは、目を瞑って深呼吸をする。
「……ロウェイン伯爵様」
やがてオフィーリアは目を開いて、顔を上げる。そして俺の顔を眺める。彼女の綺麗な瞳には、覚悟と諦念が宿っている。
「私は……存じております」
「何を?」
「私が……もうすぐ死ぬということを」
オフィーリアの発言に、ドロシーはもちろん……俺も驚いた。
「全ては……」
オフィーリアの声が少し大きくなる。
「8年前のあの日から……ロウェイン伯爵様と私が初めて出会ったあの日から始まりました」
オフィーリアと俺の視線がぶつかった。




