第299話.何らかの縁
翌日の朝…… 窓の外から鳥のさえずりが聞こえてきて、俺は目を覚ました。
まずベッドから降りて部屋の隅に行った。そこには水の入った木桶と石鹸とタオルが置かれている。当番兵が用意してくれたものだ。
俺は冷たい水と石鹸で洗面し、タオルで顔を拭いた。その時、誰かが扉をノックする音が聞こえてきた。俺が「入れ」と言うと、小柄の少年が部屋に入ってきた。
「総大将」
小柄だけど勇敢で誠実なこの少年は、俺の副官のトムだ。トムは俺に近寄って頭を下げる。
「『レッドの組織』の皆さんとドロシー卿、そして騎兵隊が出発の準備をしています。半時間後には準備が終わると存じます」
そう言ってから、トムは俺にお皿を渡してくれた。お皿には水の入ったコップと干し果物、干し肉が載せられている。俺の朝食だ。
トムはもう1度頭を下げてから部屋を出た。
しばらく朝食を食べた後……俺はベッドの近くの木箱を開けて、普段着と褐色の革鎧を取り出した。まず普段着に着替え、その上に革鎧を着る。軽くて頑丈な、旅行用の革鎧だ。
「よし」
武器や着替え、携帯食料などは昨日トムに準備させた。これでいつでも出発できる。
「レッド」
ノックの音と共に、女の子の声が聞こえてきた。シェラの声だ。俺は扉を開けた。
「お前たち……」
扉の外には4人が立っていた。シェラ、シルヴィア、白猫、黒猫……俺の1番近い関係の女性たちだ。
「もう出発する時間でしょう? 見送るね」
「ありがとう」
俺はシェラに向かって頷いてから、彼女の隣に立っている黒猫の頭を撫でた。義妹は満足した顔になる。可愛い。
「正直に言えば、私たちもレッド君について行きたいけどね」
白猫が笑顔でそう言った。
「でも留守番を任されたら仕方ないわね」
「ああ……俺のいない間、ここは任せる」
俺は白猫に意味ありげな視線を送った。
白猫と黒猫は、俺の家族でありながら……優れた諜報員でもある。猫姉妹がこの要塞にいる限り、どんな恐ろしい暗殺者でも侵入できない。
そう、俺を襲撃してきた4人の暗殺者……未だにやつらの正体が掴めない。やつらが王都地域で活動している以上、警戒しなければならない。場合によっては……1番の脅威になり得る。
「じゃ、そろそろ行くか」
俺は部屋を出て、シェラたちと一緒に階段を降りた。
「戻ってくるのは10日後なんだよね?」
シェラの質問に俺が「大体それくらいだ」と答えると、黒猫が小さい声で「長いです……」と呟く。俺は笑った。
「グレーアム男爵領には、有名なアクセサリー屋があるわよ」
突然白猫がそう言ってきて、俺は目を丸くした。
「まさか……『何か買ってこい』と言っているんじゃないだろうな?」
「そうは言っていないけど」
白猫がいたずらっぽく笑う。俺はため息をついてから、4人の女子の顔を見渡した。4人は……薄い笑顔になっていた。
「まさか、黒猫……お前も?」
「頭領様……」
黒猫が赤面になる。
「お姉さんたちが、その……女の子にはいろいろ必要って」
その答えを聞いて、俺は白猫を見つめた。白猫は舌をペロッと出す。
「まったく……お前たち、プレゼント欲しさに俺を見送るのか?」
「そんなわけがないじゃん」
白猫は笑顔で首を横に振る。
「もちろんレッド君が何か買ってくるんなら、お姉さんとして止めはしないわよ」
「くっ……」
「あ、カレンさんとデイナちゃんの分もお願いね」
「うるさい」
俺は白猫を無視して、歩みを速めた。
やがて俺たちは主塔から出て、北の城門に辿り着いた。北の城門には多数の騎兵が待機していた。
「ボス」
騎兵たちを統率していたレイモンが、俺に近づく。
「出発の準備が整いました」
「ああ」
1人の兵士が真っ黒な軍馬を連れてきた。俺の愛馬のケールだ。俺はケールに乗って、部隊の状態を確認した。
『レッドの組織』の6人、女騎士のドロシー、30人の精鋭騎兵たち……全員息を殺して俺を見つめている。
「よし、では……出発だ」
俺を含めて38人は、各々の軍馬に乗って城門を潜り抜ける。
「レッド!」
要塞から離れる直前、シェラたちが俺に手を振った。
「元気にしていろ」
俺も彼女たちに手を振った。そして一気に速度を上げて、北に向かって走り出した。
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それから数時間くらい走った後、俺たちは小さな湖の近くで馬を止めた。
「休憩する」
「はっ」
兵士も軍馬も適切な休憩が必要だ。この周りには馬の餌になり得る草も多いし、水も補給できる。
まず軍馬に湖の水を飲ませてから、俺たちも荷物袋から革水筒を取り出して喉を潤した。その後、みんなで木の下に座って携帯食を食べた。天気もいいし……まるで軽い旅行でもしている気持ちだ。
「あの、ボス」
隣に座っているゲッリトが俺を呼んだ。
「どうした、ゲッリト?」
「あの……俺たちは今、グレーアム男爵領に向かっていますよね?」
「そうだけど」
俺が頷くと、ゲッリトは首を傾げる。
「それじゃ……グレーアム男爵領もウェンデル公爵って人が支配しているんですか?」
「ああ、そうだ」
俺は腕を組んで説明を始めた。
「貴族の中には、爵位をいくつも持っている人もいる。特に3公爵たちは、伯爵領と男爵領を複数支配している。だからこそ大軍を動員できるわけだ」
「何か、難しい話ですね」
ゲッリトは顔をしかめる。
「それだけたくさん財産を持っていたら、いろいろ大変なことになりそうですけど……例えば相続問題とか」
「その通りだ」
俺は軽く頷いた。
「大半の貴族たちの悩みは、『自分の後継者に無事に財産を相続させる』ことだ。下手したら遠い親戚とか、隣の権力者に横取りされるからな」
「貴族たちも大変ですね……」
ゲッリトが難しい顔で頷く。
俺は少し離れたところに座っているドロシーを見つめた。今の話は、彼女にも聞こえたはずだけど……何の反応も見せない。
「あ、そう言えば……」
ゲッリトがはっと気づいた顔になり、エイブの方を見つめる。
「エイブ、お前……グレーアム男爵領の出身じゃなかったのか?」
「ああ」
エイブが頷く。
「私は12歳までグレーアム男爵領で暮らしていた。馬車の御者のお父さんと2人でな。お父さんが事故で死んでからいろいろあって……南の都市に流れ着いたのさ」
エイブは微かな笑顔でそう言った。
『レッドの組織』は『南の都市』で結成されたけど……実は『南の都市』の出身は1人もいない。みんな何かの事情で故郷から離れて、自由都市に流れ着いたわけだ。
しかも……従兄弟と一緒だったレイモン、家族で旅を続けていたリックを除けば……他の4人は身寄りのない孤児だ。その4人の中でも、エイブとカールトンはまだいい方だ。ジョージとゲッリトは5、6歳の頃に孤児になり……ちゃんと文字を勉強することもできなかった。
「何か不思議ですね」
ふとジョージが言った。
「いろんな出身の男たちが、偶然南の都市に集まって……格闘技に興味を持ち、組織を結成した。人生って本当に不思議です」
その言葉にみんな頷いた。思えば本当に不思議なことだ。
「これを……何かの縁と言うべきでしょうか?」
「ちょっと頭良さそうなことを言うなよ、ジョージのくせに」
ゲッリトが嘲笑った。
「こいつ、最近ムカつくんだよな。戦闘でも活躍しているし、ちょいちょい頭良さそうなフリをするし、彼女もいるし」
「へん」
ジョージが鼻で笑った。
「俺に嫉妬するなよ、ゲッリト。みっともないぞ」
「こ、このクソやろうが!」
ゲッリトとジョージは互いの胸ぐらを掴んで啀み合う。子供か。
しばらくゆっくりしてから、俺たちはまた移動を再開した。10月の青い空の下で、北への道を進み続けた。
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移動と休憩を繰り返しているうちに、いつの間にか周りが暗くなった。
俺たちはある森の近くで野営地を作ることにした。野営地といっても、焚き火を作って、小型の天幕を張るだけだ。何しろ今は、38人という少数の騎兵だけで移動しているのだ。
少数で移動しているから、速度は結構速い。目的地の『グレーアム男爵領の本城』までは、3日で十分だろう。俺は自分の天幕に座り、ランタンの光に頼って地図を見つめた。
「レッド」
ふと天幕の外から女性の声がした。ドロシーだ。
「少し話したいことがある。時間はいいか?」
「ああ、入ってくれ」
俺が答えると、ドロシーが俺の天幕に入ってきた。




