第296話.未来が動く
10月10日の真夜中……俺は900人の精鋭部隊を率いて、軍事要塞カルテアに帰還した。
「万歳! 万歳!」
「ロウェイン伯爵様万歳!」
俺が城門を潜ると、要塞の兵士たちが歓声を上げる。俺たちはやっと勝利したのだ。この王国の頂点である公爵たちに。
月明かりを浴びながら、俺は拳を挙げた。すると兵士たちの歓声が更に大きくなる。今この瞬間、俺と彼らは勝利の嬉しさを共有している。この一体感こそが、俺の軍隊の強さの秘訣だ。
「万歳! 伯爵様万歳!」
歓声が轟く中、前方から小柄の少年が現れた。副官のトムだ。
「総大将!」
トムが上気した顔で俺に駆けつけて来る。
「コリント女公爵の軍隊が、野営地を捨てて撤退中です!」
「ああ、俺も見たよ」
俺はニヤリとした。
ついさっき、アルデイラ公爵は隙を見てこっそり撤退しようとした。そして俺はそんなアルデイラ公爵軍を追跡して、壊滅的な被害を与えた。ここまでは俺の筋書き通りだ。
しかし俺がアルデイラ公爵を追跡するのを見て……コリント女公爵は素早く撤退を開始した。
「あの女公爵、判断が素早いな」
「追跡しますか?」
「いや、その必要はない」
コリント女公爵の軍隊には、まだ勢いが残っている。それに俺の精鋭部隊も流石に疲れてしまった。今更女公爵の軍隊を追跡したところで、戦果は挙げられない。
「無理しなくても、もう俺たちの勝ちだ」
「はっ!」
「明日は戦勝パーティーだ。準備しておけ」
「かしこまりました!」
トムは満面に笑みを浮かべて、主塔に向かって走る。
俺はそのまま精鋭部隊を率いて進み、厩舎に辿り着いた。そして後ろを振り向いて、900人の精鋭部隊を見つめた。
「みんな、ご苦労だった」
精鋭部隊が俺の声に集中する。
「俺たちは証明した。俺たちこそが……王国最強の軍隊だということを」
戦闘はもう終わったのに、みんなの顔はまだ闘志に満ちている。王国の頂点である公爵たちを……しかも9倍の大軍を打ち破ったことが、みんなに掛け替えのない自信を与えている。その自信がある限り、これからどんな強敵が現れようとも萎縮せずに戦える。
「……明日は戦勝パーティーだ。では、解散」
俺は部隊を解散させた後、ケールから降りた。
「お前もご苦労だったよ」
手を伸ばしてケールの頭を撫でた。するとケールが俺をじっと見つめる。その眼差しは『戦闘に勝って嬉しい』という意味であり、『次の戦闘はいつなの?』という意味でもある。本当にとんでもないやつだ。
俺はケールを厩舎に任せて、執務室に向かった。
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翌日、戦勝パーティーが開かれた。
窓の外から兵士たちの笑い声が聞こえてくる。昨日までは規律の取れた軍隊だったけど、今日は祭りを楽しむ市民たちとあまり変わらない。
もちろんここは軍事要塞だから、パーティーと言っても素朴なものだ。保存食ではない食べ物を食べながら、少しだけお酒も飲んで、みんなで話し合うだけ。本当にそれだけなのに、みんな嬉しい笑顔になっている。
俺も大会議室で側近たちと一緒に食事を楽しみ、話し合った。今回の戦闘の功績、これからの予定、ただの馬鹿話……いろんな話題について笑いながら話した。
驚くことに、ハリス男爵もこの素朴なパーティーを楽しんでいた。16歳まで庶民として育ったとはいえ、もう立派な貴族なのに……笑っている彼の顔は、ただの快活なおっさんだ。
シェラとシルヴィアと白猫は、一緒にテーブルに座って真剣に話し合っている。しかもたまに『本当にレッドがそう言ったの?』というシェラの驚く声が聞こえてくる。3人は俺について話しているに違いない。
婚約者たちと義姉は、俺について何の話をしているんだろう? 俺は内心知りたくなったが、3人の話に割り込む必要は無い気がする。だからといって盗み聞きするわけにもいかない。そもそも並外れの巨漢の俺には盗み聞きなど無理だけど。
「頭領様」
小さな少女が俺に話しかけてきた。黒猫だ。
俺は思わず手を伸ばして黒猫の頭を撫でた。黒猫は満足した顔をしてから、また口を開く。
「頭領様、あの……聞きたいものがあります」
「何だ、言ってみろ」
「皆さんが時々『大勢が決まった』と言っていますが……それはどういう意味ですか?」
黒猫は疑問の顔でそう聞いてきた。可愛い。
「それはな、俺が勝ったという意味だ」
「では……嬉しいことですね」
「そうだな」
俺の答えを聞いて、黒猫も嬉しい笑顔を見せる。
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みんなが素朴なパーティーを楽しんでいる中、1人だけ真面目な顔をしている人がいる。それは……金髪の女騎士、ドロシーだ。
ドロシーは城壁の上に立って、腕を組んでいた。城壁の下では兵士たちが笑っているが、彼女は無表情だ。
俺はドロシーに近づいて、彼女の顔を見つめた。
「何しているんだ、ドロシー?」
「お前か」
ドロシーが俺をちらっと見つめる。
「これからのことについて考えていた」
「真面目だな」
俺はニヤリとしたが、ドロシーは無表情のままだ。
俺とドロシーは、しばらく一緒に兵士たちの姿を眺めた。
「……昨夜の戦い」
ふとドロシーが沈黙を破る。
「昨夜の戦いで、アルデイラ公爵の軍隊は大半が瓦解した」
「そうだな」
俺は頷いた。
「やつの兵力は、1万2千から約7千にまで減ってしまった。それを復旧するには、かなり時間がかかるだろう」
「……真に信じがたい戦果だ」
ドロシーはゆっくりと首を横に振る。
「私はお前の実力を高く評価していた。お前ならこの要塞を守り切ることが出来ると思っていた。しかし……それすら過小評価だったのかもしれない」
ドロシーが俺を直視する。
「お前は9倍の敵軍に対して、要塞を守り切っただけではなく……壊滅的な被害を与えた。私の予想を遥かに上回っている」
「確かに大勝利だったな」
「もしかしたら……私はとんでもない勘違いをしていたのかもしれない」
「勘違い?」
「そうだ」
ドロシーと俺の視線が交差する。
「私は……いや、私だけではない。貴族たちは全員、此度の戦闘についてこう思っていたはずだ。『レッドという異端児が、2人の公爵に挑戦する』と。しかし……挑戦する側は、むしろ2人の公爵の方だったのかもしれない」
「へっ」
俺は思わず笑ってしまった。
「流石にそれは買いかぶり過ぎじゃないか? 俺は必死に戦った。必死に戦った結果、大勝利を掴んだだけだ」
ドロシーはしばらく考えてから、また口を開く。
「お前の勝利は、もうすぐ王都の市民たちにも伝わるはずだ。そうなれば、王国の世論も大きく動くだろう」
「まあな」
「そして世論が動くと、未来も動く」
俺は何も言わなかった。ドロシーはそんな俺の顔をじっと見つめる。
「レッド……お前は自分の力をどう使うつもりだ?」
「その質問の答えは、以前と同じだ。俺は俺が好きなものを守って、嫌いものをぶち壊す。ただそれだけだ」
しばらく沈黙してから、ドロシーは視線を逸らす。
「……もうすぐ、ウェンデル公爵様からの招待状が届くはずだ」
「そうか」
「礼服を用意しておけ」
そう言い残して、ドロシーは階段を降りていった。
それから3日後……ウェンデル公爵からの招待状が届いた。公爵は、俺を自分の城に招いた。




