第291話.お前たちがいるからこそ……
10月8日の午前2時頃……俺は鋼の鎧を着て、厩舎の前で地面に座っていた。
俺の周りには、『レッドの組織』の6人と精鋭騎兵隊の300人がいる。彼らも完全武装したまま、緊張した顔で座っている。
空は明るい。雲が無く、綺麗な半月が大地を照らしてくれている。おかげでランタンや松明が無くても問題ない。逆に言えば……夜襲にはあまり向いていない夜だ。
だが、敵軍は敢えて夜襲を仕掛けてきた。それは当然なことだ。やつらの目的は最初から『夜襲を成功させる』ことではなく、『レッドの軍隊が休めないように威嚇すること』だ。
俺の読みが正しければ……今夜、敵はまた来る。こちらを威嚇し続けるために。だからこそ俺と騎兵隊は静かに待機しているわけだ。
俺は組織員たちと騎兵隊の姿を確認した。午前2時なのに、全員闘志に満ちている。これなら問題ない。
「……許せませんね」
俺の視線を感じたのか、ゲッリトがそう言った。
「戦わずに逃げてこちらを疲れさせるなんて、敵軍はまるで鼠みたいやつらです」
ゲッリトは少し怒っているみたいだ。俺はニヤリとした。
「それが戦術というものだ。戦闘には勝てなくても、戦争には勝てるのさ」
「俺はそういうものはちょっと……」
ゲッリトが腕を組む。
「やっぱり戦いというのは、正面からぶつかって勝つべきだと思います。ボスみたいに!」
「へっ」
俺は笑った。
「俺だって戦術を使うさ。現に今も、敵軍を引き付けるためにわざと要塞の警戒を弱化させた」
「わざと弱点を見せて、敵を釣るんですね。俺もそういうフェイント攻撃ならよく使います」
「ああ、格闘技と同じだ」
「なるほど」
ゲッリトが頷く。
「でもボスは……決定的な局面では、いつも直接軍隊を率いて敵を叩くんですよね」
「まあ、そうだな」
「それが俺には眩しすぎるんです」
ゲッリトは上気した顔で地面を見つめる。
「何というか……伯爵や公爵みたいな偉い人々は、みんな安全な後方で指揮するんですよね。俺たちみたいな兵士が泥沼に転びながら戦っても、偉い人々にはあまり関係の無い話です」
「後方で指揮するのが普通だからな」
「しかしボスは違う。俺たちが馬に乗って走ると、いつも目の前にはボスの背中が見えます。その事実がどれだけ俺たちに勇気を与えてくれるのか……ボスにはきっと想像もできませんよ」
思いもよらなかった言葉に、俺は一瞬涙を流しそうになった。
「その逆だ、ゲッリト」
「はい?」
「お前たちが俺の後ろにいるからこそ、俺は迷いなく敵に向かって突進できるのさ」
「いや、ボスは最強ですから……きっと1人でも十分ですよ」
「違う」
涙を必死に堪えて、周りを見渡した。6人の組織員たちと300人の騎兵隊は、みんな息を殺して俺の声に集中していた。
「違うさ。総指揮官もボスも、決して1人で成り立つわけではない。お前たちがいるからこそ……俺は『赤い総大将』になれる」
「ボス……」
「だから、これからも力を貸してもらうぞ」
「もちろんです」
ゲッリトの目にも涙が溜まる。いや、ゲッリトだけではない。あちこちで、筋肉質の男たちが必死に涙を堪えている。
「その代わり、というわけではありませんが……ボスがこの王国の頂点になった時、俺たちのことを忘れてはいけませんよ」
「忘れるわけないさ」
俺は笑顔を見せた。すると周りのみんなも笑顔になる。
「総大将!」
要塞の主塔から小柄の少年が出てきて、俺に近寄る。
「敵部隊の出陣を確認しました! 2000人程度です!」
「やっぱり来たか。方向は?」
「南です!」
「分かった」
俺は席から立ち上がり、真っ黒な軍馬ケールに乗った。すると6人の組織員たちと300人の騎兵隊も、各々の軍馬に乗る。
部下たちの強い闘志が伝わってくる。そしてそれが俺の力になる。
「トム」
「はっ!」
「作戦通り、やつらを引き付けろ。反撃も必要ない」
「かしこまりました!」
敵に『レッドの軍隊は波状攻撃に対しての備えが無い』と信じ込ませる。それで敵が要塞に近づくと……こっちのものだ。
「俺たちは北の城門から出る。静かに移動するぞ」
俺が命令すると、306人が静かに頷く。
ゆっくりと軍馬を歩かせて、北の城門を潜った。もちろん騎兵隊が移動するわけだから、いくらゆっくり移動しても音がする。だが……敵が俺たちの移動に気づいた時は、もう遅い。
「レイモン」
「はっ」
「お前は2番隊と3番隊を連れて、東に回れ。俺が突進を開始すると、同時に仕掛けろ」
「はっ」
北の城門を出た直後、俺たちは2手に分かれた。俺と5人の組織員が100人の騎兵隊を率いて西へ、レイモンが200人の騎兵隊を率いて東へ向かう。そして南の敵部隊が視界に入った瞬間……。
「やつらを踏みにじれぇ!」
俺は一喝し、真っ先にケールを走らせた。ケールは喜びに満ちて、放たれた矢の如く疾走する。
「ぐおおおおお!」
大剣『リバイブ』を手にしたまま、俺は瞬く間に敵部隊の目前に辿り着く。
「あ、赤い化け物だ!」
敵の兵士たちが悲鳴を上げる。やつらの士気は、既に地に落ちているのだ。俺の姿を見ただけで、恐怖で戦意を失ってしまう。2000人の部隊が、たった1人の敵に怯えてしまう。
「退却しろ!」
敵の指揮官が急いで命令する。敵軍の目的は戦闘ではない。あくまでも威嚇だ。だから『赤い化け物』と戦おうとするわけがない。早速尻尾を巻いて逃げ始める。
「に、逃げろ!」
「化け物だ!」
敵兵士たちは、北西から現れた俺に驚いて南東に逃げる。その時、北東からも騎兵隊が現れて敵を追跡する。レイモンの率いる200人だ。
「敵を逃すな!」
レイモンが槍を構えて、全力で突進する。挟撃のタイミングは悪くない。だが……敵との距離が離れすぎている。
「退却! 退却だ!」
敵部隊を可能な限り引き付けたが、いかんせん敵の逃走が素早い。最初から『もしレッドが現れたら、迷いなく逃走しろ』と指示されたはずだ。
「ちっ!」
敵が波状攻撃に転換することを、俺は予測していた。しかし俺が奇襲的に出陣することを、アルデイラ公爵は予測していたのだ。これでは……成果は望めない。
「うおおおお!」
俺とケールなら、まだ敵部隊に追いつけられる。このまま敵を逃すわけにはいかない!
「ボス! お1人で……!?」
後ろからレイモンの声が聞こえてきた。俺のことを心配しているんだろう。だが今は仕方ない。部下たちを信じて、俺はただ突進するのみだ!
「ば、化け物が……!」
先頭の敵兵士が驚愕する。俺は容赦なく大剣を振るい、やつの上半身を真っ2つに両断した。鮮血が飛び上がり、戦場の匂いが広がる。
「うわああっ!?」
「た、助けてくれぇ!」
周りの敵兵士たちは、まるで悪魔に追われているような顔になり……四方八方に逃げ去る。
「ぬおおおおお!」
俺の大剣が月明かりに光ると、また1人の敵兵士が命を失う。
「ケール!」
俺はケールにもう1回全力疾走を指示した。するとケールは狂乱になって走り出す。
ケールも本能的に知っているはずだ。ここは敵野営地に近い。つまり危険な場所だ。それなのにこの純血軍馬は逆に激昂し、恐れること無く堂々と走る。本物の化け物はやっぱりこいつだと、俺は内心笑った。
「はあああっ!」
ケールに負けてはいられない。俺も全力で大剣を振るい、周りの敵兵士たちを斬り捨てた。月明かりの下で、俺たちは堂々と戦い続けた。
「弓兵!」
敵野営地の方から、多数の弓兵が現れる。
「赤い野郎を狙え! やつを生きて帰すな!」
多数の弓兵による集中射撃……少数の強敵を仕留めるには最適の手だ。いくら真夜中でも……空が明るいし、距離が近すぎる。全ての矢を避けきることは……流石に無理だ。
「へっ」
俺は生まれつき頑丈な体だ。矢1発や2発くらい、受け止めてみせるさ。そう思いながら、俺は敵兵士への攻撃を続けた。
「放て!」
射撃開始を指示する声が聞こえてきた。俺は覚悟を決めて、逆に前へ走った。しかしその直後……。
「何……?」
俺は驚いてしまった。敵の射撃が……来ない。いや、逆に……敵野営地が射撃を受けている!
「どういうことだ……?」
ケールを止めて状況を確認すると……敵野営地の近くに、小規模の部隊が見える。あの小規模の部隊がいきなり現れて……敵野営地に射撃し始めたのだ。
「ど、どうした!?」
驚いたのは俺だけではない。敵野営地も混乱になっている。謎の部隊に奇襲され、慌てているのだ。
少なくとも、謎の部隊は敵ではない。なら……1刻も早く彼らと合流するべきだ。そう判断し、俺とケールは謎の部隊に向かって走った。
謎の部隊は、全員褐色の革鎧を着ていた。それに全員細い体型だが、しっかり鍛錬されている。歴戦の戦士たちに違いない。現に彼らの弓術は……驚異的だ。多数の敵を圧倒している。
「この部隊は……」
俺はこの部隊を知っている。1度戦ったこともある。そう、この部隊は……『森林偵察隊』だ!
「レッドさん!」
謎の部隊を指揮していた人が、俺に近寄った。太った体型の中年男性……まるでパン屋の店主みたいな印象の人だ。つまり……。
「ハリス男爵……!?」
俺は驚いて、人情深い男爵の顔を見つめた。




