第284話.夢と現実
俺は荒野に立っていた。
周りは真っ暗だ。もう夜なんだろうか? 俺は副官のトムを呼んで時間を確認しようとしたが、トムの姿が見当たらない。トムだけではなく、シェラやシルヴィアや猫姉妹もいない。俺は1人で荒野に立っているのだ。
前方から気配がする。暗すぎてよく見えないけど、誰かがいるに違いない。しかもその誰かは……俺に敵意を持っている。暗殺者かな?
いきなり周りが明るくなる。雲に隠れていた月が顔を出したのだ。それで俺は自分の前方にいる存在を目視することができた。あれは……。
「……何だ、あれは?」
俺は驚いてしまった。俺の前方にいたのは、人間ではなかった。とてつもなく巨大な……真っ赤な鱗に包まれた胴体を持っている……化け物だ。
「『赤竜』だと……?」
真っ赤な胴体と翼を持ち、強靭な4つの足で大地を踏みにじり、悪魔のような恐ろしい形相で俺を睨んでいる。大きさは城1つに匹敵するくらいだ。童話や小説に出てくる『赤竜』が……目の前にいる。
「馬鹿な……」
驚きながらも、俺はその赤竜を注意深く観察した。やつは……左目に傷があって、右目だけで俺を見ている。つまり『隻眼の赤竜』だ。まさに人智を越えた化け物なのに……何故か親しみが感じられる。
「うっ!?」
『隻眼の赤竜』がいきなり前足を振るって、俺を攻撃した。俺は必死に身を投げて、その攻撃をギリギリ回避した。少しでも遅かったら、俺はもう死んでいたはずだ。
「やっぱり戦う気か!」
この『隻眼の赤竜』は今まで戦ってきた相手の中で間違いなく最強……いや、最強という言葉すら足りない化け物だ。俺は自分の全身が燃えるように熱くなるのを感じた。
「ちっ」
闘志が湧いてきたが、今の俺には戦鎚も剣もない。いくら何でも、素手でこんな化け物と戦うのは無理だ。
俺は素早く周りの地形を確認した。ただただ広い荒野だ。つまり逃げることも隠れることも不可能だ。戦うしかない。
拳を握りしめて、全身の力を一点に集中する。そして大きく踏み込み、目の前の巨大な化け物に拳を叩き込む。大きな針葉樹すら破壊できる、俺の最大の一撃だ。
俺が一撃を放った瞬間、隻眼の赤竜も突進してくる。俺を噛み殺すために口を開けて、鋭い牙をむき出す。
「ぐおおおおお!」
時間が止まったかのような遅い世界の中で、俺の拳と赤竜の牙が激突する。
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俺は目を覚まして、周りを確認した。ここは……要塞『カルテア』の指揮官用の部屋だ。俺は今ベッドの上で寝ている。
「……夢か」
上半身を起こして、思わず苦笑いした。普段あまり夢を見ないのに、今日は結構臨場感のある夢を見たもんだ。
それにあの内容は何だ? 神も悪魔も、幽霊も伝説も信じない俺なのに……『隻眼の赤竜』と戦う夢を見るなんて。シェラに話したら間違いなく笑われるだろう。
「しかも負けたな」
夢の中で、俺は巨大な化け物とぶつかり合った。でも正直に言って俺に勝算はなかった。あのまま戦いが続いたら、たぶん生き残れない。
「へっ」
所詮は夢の中の出来事だ。どうこう考えても仕方ない。早く朝食を取って執務室に行こう。今日も仕事が一杯だ。そう思った俺はベッドから降りて、普段着に着替えた。
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その日の午後、俺は執務室でシルヴィアから会計報告書を受け取った。
「……予算は厳しいみたいだな。いつものことだけど」
「はい、いつものことです」
シルヴィアが笑顔で答えた。
「でも工事費用は問題なく支払いできると存じます」
「よかったな」
俺は頷いた。
現在、近所の村から資材を購入して城壁の補強工事を行っている。そうすれば要塞の防御力を更に強化できると、カレンが助言してきたからだ。工事費用は少なくないけど……これは必要な投資だ。
「ウェンデル公爵からの支援物資は?」
「そちらも問題ないです。シェラ様と私が一緒に確認しましたが、約束通り1ヶ月分の食糧を送って頂きました」
「そうか」
ウェンデル公爵は、最大1年分の食糧を支援すると俺に約束した。そして昨日、まず1ヶ月分の食糧を送ってくれたわけだ。
「シルヴィアがいてくれて、いろいろ助かるよ」
「お褒め頂き、嬉しい限りです」
「デイナはどうだ? 役に立っているのか?」
「はい、もちろんです」
シルヴィアが力強く頷く。
「デイナ様はとても聡明で、書類整理や作成を安心してお任せすることができます」
「幸いだな」
俺は顎に手を当てた。
「デイナは母親のカーディア女伯爵から『役に立たない』と言われていた。でもやっぱりそうじゃなかったんだな」
「デイナ様は……自分自身のことを低く評価する癖があります。あれは決して謙遜などではなく……卑下です。長い間にわたって、身近な人に認められなかったことが原因でしょう」
シルヴィアの言うことは正しい。デイナは今も母の意志に縛られている。
「でもデイナだっていつかは分かるさ。他人の意見を聞くことは大事だが、だからといって他人の意志に振り回されてはいけないということを」
「……やはりお強いですね、レッド様は」
「さあな」
俺は肩をすくめた。
「俺が本当に強かったら、赤竜に勝てただろうさ」
「赤竜……?」
「ああ、実はな……」
俺は夢の中の出来事を簡単に説明した。
「レッド様がああいう夢を見るなんて……」
「可笑しいだろう? シェラには言うなよ。からかわれるから」
「かしこまりました」
俺とシルヴィアは一緒に笑った。
「総大将!」
その時、トムが急ぎ足で執務室に入ってくる。
「緊急報告です!」
「どうした?」
「コリント女公爵の軍隊が、昨朝、こちらに向かって進軍を開始したとのことです!」
「……ついに動いたか」
俺はニヤリと笑った。
「たぶんアルデイラ公爵の方も、今日中に進軍を始めるはずだ。つまり残った時間は……12日くらいか」
「補強工事が完了するまで、あと半月かかるとお聞きましたが……厳しいですね」
シルヴィアが心配そうな顔で言った。
「そうだな……トム」
「はっ!」
「カレンに伝えろ。東と南の城壁を優先して補強せよ、と。西と北の城壁は後回しでいい」
「はっ!」
トムが急ぎ足で執務室を出る。
俺は席から立ち上がり、窓際に近寄った。そして外の風景の眺めた。青い空の下で、兵士たちが各々の任務に励んでいる。
「公爵たちか……」
赤竜の夢など、もう俺の頭の中から消えていた。何しろ現実の中で、この王国の1番偉い連中が俺を倒すために来ているのだ。




