第279話.闘志の行方
白猫が負傷してからも、俺の軍隊は止まらず進軍を続けた。
白猫は驚くほどすぐ回復した。2日間は馬車で移動したけど、3日目には自分の軍馬に乗って、俺の隣で移動できるようになった。
「……大丈夫か? 白猫」
ふと俺が聞くと、白猫は笑顔を見せる。
「心配しすぎよ、レッド君。お姉さんはこの通りピンピンしているわ」
「誰がお姉さんだ」
俺は内心ため息をついた。心配して損した。
「それにしても……まさかあんたがそこまでやられるとはな。やっぱりあの4人は危険だ」
「うん、本当に危険だわ」
白猫が真面目な表情で頷いた。
細い体型の、4人の暗殺者。まだその正体は不明だが、俺の敵であることは間違いない。
「2人くらいなら、私にも勝算があるかもしれないけど……4人まとめて相手できるのはレッド君と青鼠だけだと思う」
「同意する」
「青鼠を呼び出すことはできないかな?」
「それは難しい」
俺は首を横に振った。
「彼には俺の本拠地であるケント伯爵領の防諜を任せている。本拠地で何かあったら、遠征も不可能だからな」
「そうだね。じゃ、どうすればいいのかな……」
白猫が腕を組んだ。いつも軽い態度の彼女だが……自分の偵察任務が失敗したと思って、真面目に対策を考えているようだ。
俺もしばらく考えてから、ゆっくりと口を開いた。
「……そう言えばもう1人いる」
「ん?」
「もう1人、4人の暗殺者をまとめて相手できる人間がいる」
「そんな人がいたの?」
白猫が目を丸くする。
「誰なの? カレンさん?」
「いや、レイモンだ」
「レイモンって……あの妻子持ちの人?」
「ああ」
俺が頷くと、白猫は首を傾げる。
「確かに強そうな人だったけど……まさかレッド君や青鼠に匹敵するくらいだったとはね」
「あいつは特殊だからな」
俺はレイモンの誠実な顔を思い浮かべた。俺の最初の仲間であり、兄みたいな人だ。
「格闘場での対決なら、レイモンは俺や青鼠に勝てない。でも戦場での真剣勝負なら……俺や青鼠もレイモンに勝てると言い切れないのさ」
「どうして……?」
「レイモンの闘志には底が無いからだ」
俺は腕を組んで説明を続けた。
「たとえベテラン戦士であっても、戦況が不利になると闘志が弱まり、戦闘力も下がる。そして闘志が底をつくと、もう戦えなくなる」
「確かにいるよね。心が折れて体が動かなくなる戦士たち……私も何度も見てきたわ」
「だがレイモンに限ってそんなことはないんだ」
俺は微かに笑った。
「娘が生まれた時から……レイモンは化けてしまった。どんな強敵の前でも、どんな不利な状況の中でも、レイモンの闘志が弱まることは絶対ない。まさに不屈の戦士さ」
「でも、それはレッド君だって同じでしょう? 不屈の戦士なのは」
「さあな」
俺は肩をすくめた。
しばらく沈黙が流れた。俺はケールに乗って歩きながら、地平線まで広がる平原を眺めた。
「……何か、青鼠が言ったこととは正反対だね」
ふと白猫が言った。
「青鼠はね、『失うものが何も無い時こそ、人間は1番強くなる』と言っていたわ」
「なるほど」
「でもレイモンさんは娘が生まれてから強くなった。果たしてどっちが正しいんだろうね?」
「さあ、それは俺にも分からない」
俺はゆっくりと首を振った。
「そもそも正解なんて無いのかもしれない。戦いに絶対的な正解があれば、面白くないからな」
「面白くないって……レッド君らしい答えだね」
白猫が笑った。負傷する前よりも元気な笑顔だ。
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王都地域を進軍してから12日目……ついに目的地に辿り着いた。
緑色の平原の向こうから穏やかな坂が現れた。道路と道路の間に位置する坂だ。そしてその坂の上には巨大な建築物がある。黒い城壁に囲まれた……軍事要塞だ。
「あれが軍事要塞『カルテア』だ」
側からドロシーが言った。彼女は茶色の軍馬に乗って、俺と轡を並べて歩いている。
「5000人まで収容可能であり、1年分の食糧と多数の水源を有している。ウェンデル公爵様にとって最重要の拠点の1つだ」
「上出来だ」
「あの要塞が陥落されると、公爵様の他の拠点も危うくなる」
「そうだろうな」
俺は頷いてから、ドロシーを見つめた。
「あんたの案内もここで終わりか。これからどうする気だ、ドロシー?」
「私はしばらくお前に同行する」
「なるほど、監視役か」
「中継役と言っておこう」
「へっ」
俺は笑った。
カレンの先鋒部隊は、もうカルテア要塞に進入し始めた。それから3時間後には俺の本隊が、5時間後にはシェラの後方部隊がカルテア要塞に入った。
「大きいな」
要塞の正門を潜ると、3階建ての頑丈そうな建物が見えた。黒い煉瓦で建てられた円形の建物だ。あれがこの要塞の主塔なんだろう。指揮官用の執務室もあの中にあるはずだ。
主塔の周りには中規模の建物が並んでいる。食料庫、武器庫、兵舎、厩舎、鍛冶場などなど……独自の作戦を遂行するための必要なものは全部ある。立派な要塞だ。
要塞の内部には、1500人の守備部隊が駐屯していた。彼らは俺の軍隊に要塞を引き渡し、正門を出て北東に向かう。
「トム」
俺が呼ぶと、トムが素早く俺に近づく。
「お呼びですか、総大将」
「しばらくの間、ここが俺たちの家だ。内部の構造と周りの地形を熟知しておけ」
「はっ!」
トムは誠実な態度で要塞内部を歩き回り、構造を細かく観察する。この要塞の長所と短所を把握し、適切な戦術を立てるための下準備だ。
俺はケールを厩舎に任せた後、主塔の3階に登った。3階の中央の部屋が執務室だ。中に入ると、何の飾りもない空間が見えた。
「へっ」
ヘルマン要塞の執務室もそうだったけど、本当に殺風景な部屋だ。ま、軍事要塞の執務室ってこんなものだ。
俺は執務室の窓際に立って外を眺めた。とてつもなく広い平原、平原を横切る道路、道路と交差する川などが視野に入った。特別じゃないけど、爽快な景色だ。
もうすぐ地平線の向こうから敵軍が現れて、この要塞の下に集まるだろう。この王国の頂点である公爵たちが『赤い化け物』を退治しに来るだろう。俺は頭の中でその光景を思い描き、拳を握りしめた。




