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第278話.本当のお姉ちゃん

 ドロシーと合流後、俺の軍隊は彼女の案内に沿って道を進んだ。


「目的地は軍事要塞『カルテア』だ」


 ドロシーは俺と轡を並べて歩きながら、事務的な口調で言った。


「あそこはウェンデル公爵様の所有する要塞の中でも1番南の要塞……つまり最前線の要塞だ」


「予定通りだ」


 俺は頷いた。


 ウェンデル公爵の本拠地であるウェンデル公爵領は、王都地域の北に位置している。自然に1番南の要塞が最前線になり、王都地域に1番近い。


「ところで、ドロシー」


「何だ?」


「王国の東側の状況について、詳しく知っているか?」


 俺の質問を聞いて、ドロシーは少し間を置いてから答える。


「……詳しいことは知らない。でも……深刻な状況なのは確かだ」


 ドロシーの声が暗くなる。


「領主たちは自分の城と城下町を守ることで精一杯で、他の村はほぼ放置されているらしい。おかげで盗賊による殺人や放火、略奪が頻繁に起きているそうだ」


「……俺が聞いた情報と同じだな」


 俺が腕を組んで呟くと、ドロシーが俺を見つめる。


「さっきのテオさんの一家は運がいいと言えよう。お前に助けてもらったからな」


「故郷を捨てて逃走しているわけだから、運がいいとは思えない」


 俺は首を横に振った。


「それに、テオさんだけではない。何百何千……下手したら何万人が故郷を捨てて逃げているかもしれない」


「そうかもな」


 ドロシーも同意した。領主が領地を放置すれば、そこはもう無法地帯同然だ。


 俺は眉間にしわを寄せて悩んだ。今の俺に、王国の東側の人々を全員助ける方法はない。でも何かできることが……。


「不思議だな」


 ふとドロシーがそう言った。俺は彼女を見つめた。


「何が不思議なんだ?」


「お前だよ、レッド」


 ドロシーと俺の視線が交差する。


「お前はこれから王国最大の勢力を誇る公爵たちと戦わなければならない。それなのに遠く離れた地域の人々を心配しているとはな」


 ドロシーが微かに笑う。


「余裕か? 負けるはずがないと思っているのか?」


「余裕なんかではないさ」


 俺は無表情で答えた。


「一刻も早く領民たちの被害を防がなければならない。俺はそう思っているだけだ。この王国の未来のためにも」


「未来か」


 ドロシーが笑った。


「貴族も平民も、生き残るために必死になっている時代なのに……未来を語るか。やっぱり余裕だな、お前は」


「だから余裕ではないさ」


 俺も笑った。


---


 その日の夜……俺の軍隊は広い道路の隣で野営地を構築し、休憩に入った。


 虫の鳴き声が聞こえてくる中、俺は指揮官用の天幕の中でテーブルを見つめた。テーブルの上には地図が広がっている。王都地域とその周辺の地図だ。


 地図には3つの赤い丸が書かれている。この3つの赤い丸は、それぞれ公爵たちの勢力圏を表している。具体的に言えば、王都の北の赤い丸が『ウェンデル公爵』、西南の赤い丸が『アルデイラ公爵』、東南の赤い丸が『コリント女公爵』だ。


 3つの赤い丸による三角形……これこそが『3公爵の抗争』の象徴だ。俺はこれからこの三角形をぶっ壊して、抗争を終わらせねばならない。


 第1の条件はすでにクリアした。残りは……と思っていた時、後ろから人の気配がした。


「白猫か」


 振り向かずに言うと、白猫が「レッド君」と答えた。偵察を終えて戻ってきたんだろう。


「……ん?」


 しかし次の瞬間、俺は異変を感じた。白猫の方から……血の匂いがしたからだ。驚いて振り向くと、白猫が笑顔で立っていた。


「ごめん、ちょっと……失敗した」


 白猫は笑顔のままそう言ったが、彼女の額には汗が滲んでいる。激痛を我慢しているのだ。しかも彼女の上半身の服は……赤く染まっている。あれは……敵の血ではない!


「おい、白猫!」


 俺は倒れていく白猫の体を抱き支えた。そしてすかさず彼女を敷物の上に寝かせた。


「ごめんね、レッド君」


「喋るな!」


 白猫の腹部には包帯が巻かれている。彼女が自分で応急手当したんだろう。だが出血量が多い。


「トム!」


 俺は天幕の入り口に立ってトムを呼んだ。


「総大将! どういうご用件……」


「白猫が負傷した! 医療兵を呼んでこい!」


「はっ!」


 トムは素早く医療兵を呼びに行った。俺は白猫の隣に戻った。


「レッド君、私……」


「だから喋るな。気力を温存するんだ」


「……うん」


 白猫は少し安心した顔になる。


 やがて医療兵が来て、白猫を治療し始めた。血の匂いが天幕中に広がったが、白猫は笑顔を保った。


「傷は浅くありませんが、彼女なら回復できると存じます」


 治療の途中、医療兵がそう言った。俺は内心安堵のため息をついた。


 約1時間後……医療兵が治療を終えて天幕を出た。俺は白猫の隣に座って、彼女の手を握った。


「ふふふ、レッド君って心配しすぎよ」


 白猫が笑った。


「私がこんなことで死ぬとでも思っている?」


「……うるさい。少し寝ろ」


「はーい」


 白猫はいたずらっぽい笑顔を見せてから、眠りにつく。しばらく彼女の寝息を聞いていた俺は、自分の手に血がたくさんついていることに気付いた。手を洗わないと。


 俺は手を洗ってから、再び白猫の隣に座った。白猫の顔に少しだけ生気が戻っていた。この短時間で回復し始めているのだ。適切な治療と彼女の超人的な生命力のおかげなんだろう。


「それにしても……」


 白猫の負傷は戦闘によるものに違いない。偵察任務中に敵と遭遇したんだろう。でも白猫ほどの強者を負傷させるなんて……一体誰の仕業なんだろうか。


 更に数時間後……白猫が目を覚まして、俺を見上げた。


「レッド君……」


「水を飲め」


 俺は水の入ったコップを白猫の口に当てた。白猫は素直に水を飲んだ。


「ありがとう」


「もう少し寝ろ」


「ううん、もう大丈夫わよ。それより……偵察中の出来事を報告しないと」


 白猫は少し間をおいてから説明を始める。


「私はレッド君に指示された通り、『外側の村』の偵察を行っていたの」


 王都は『守護の壁』と呼ばれている、高い城壁によって守られている。『外側の村』とは、『守護の壁』の外に位置する村を意味する。王都地域には『外側の村』が10箇所以上存在する。


「ところで3つ目の村を偵察していた時……ふと気付いたの。複数の人が私を尾行していることにね」


「あんたを尾行するなんて」


 俺は驚いた。白猫の暗殺者としての技術は、常識の域を越えている。そんな彼女を尾行できる人間がいるだと?


「危機を感じた私は、速度を上げて尾行を振り切ろうとしたわ。でももう囲まれていて、戦うしかなかったの」


「敵の正体は? どんなやつらだったんだ?」


「4人の暗殺者……しかもこの王国では見れない剣術を使う暗殺者たちだった」


「あいつらか……!」


 俺は歯を噛み締めた。


 今年の4月……俺はトムと白猫と情報部員のオリバーを連れて、王都地域に向かった。そしてその途中、4人の暗殺者に襲撃された。


 やつらは強かった。1人1人が白猫と渡り合えるほどの強者だし、特殊な剣術を使う。たぶん外国の暗殺者だ。あいつら4人をまとめて相手できるのは……俺と青鼠くらいだ。


「頑張ってみたけど、結局やられたわけよ。私としたことが……失敗した」


「いや、よく無事に戻ってきた」


「ふふふ」


 白猫が笑った。俺は彼女の手をそっと握った。


「いいの? シェラちゃんたちに怒られるわよ」


「いいんだよ、別に」


「ふふふ」


 しばらく沈黙が流れた。白猫は自分の手を握っている俺の手を見つめた。


「……ね、レッド君」


「何だ」


「私がいなくなると困る?」


「もちろんだ」


 俺が即答すると、白猫は神妙な顔で俺を直視する。


「どうして? 私が有能な部下だから?」


「自分で有能とか言うな」


 俺は笑った。


「あんたも俺の戦友……俺の仲間だ。俺は仲間が死ぬのは見たくない」


「でも……戦いが続くと、誰かは死ぬよね」


 俺は答えなかった。


「レッド君。私、実はね……」


 白猫の声が小さくなる。


「実は……暗い性格だったの」


「そうか」


「うん」


 白猫が小さく頷く。


「『夜の狩人』の暗殺者になってから、任務以外のことには何の興味もなく……他人と話すこともなかった。笑うことも、泣くこともなかった。そうしないと生きていられなかった」


 今の彼女の姿からは想像できないことだけど、俺は何となく理解できた。


「でも……黒猫ちゃんに出会って、このままでは駄目だと思ったわ」


「そうか」


「うん。私と同じく心を失っていた黒猫ちゃんのために……明るい性格を演じることにした」


 白猫が目を瞑った。


「いつも明るくて、笑顔で、元気つけてくれるお姉ちゃん。あの子に必要なのはそんなお姉ちゃんだった。だから私は……必死に演じた。仮面をつけてね」


「仮面……」


「でもそうしているうちに、私は自分が本当はどういう人間なのか分からなくなった。仮面をつけ続けたせいで、中身が無くなったの」


 白猫が目を開けて、俺を見つめる。


「もう私には分からない。今の私は全部嘘かもしれない。黒猫ちゃんを騙しているだけかもしれない」


「白猫……」


「ね、レッド君。教えてくれる? 私はどういう人なの?」


 白猫が悲しい表情で聞いてきた。俺は手を伸ばして、白猫の頭を撫でた。


「あんたは……黒猫のお姉ちゃんだ。いつも明るくて、笑顔で、元気つけてくれるお姉ちゃんだ」


「そう?」


「ああ、あんたは決して中身が無くなったわけではない」


 俺は白猫の手を強く握った。


「最初は演技だったかもしれない。仮面だったかもしれない。でもあんたが黒猫に影響を与えたように、黒猫もあんたに影響を与えた。それであんたは……本当のお姉ちゃんになった」


「本当の……お姉ちゃん」


「そうさ。中身が無いと感じているのは、勘違いだ。中身が無くなったわけではなく、あんたが本当に素敵なお姉ちゃんになっただけだ」


「……ふふふ」


 白猫が笑った。


「やだ、レッド君たら……危うく本気で惚れてしまいそうだったわ。見た目によらず女たらしなんだから」


「へっ」


 俺も笑った。


「とにかく、今は回復に専念してくれ。あんたは元気な笑顔が似合うから」


「……ふふ、分かった」


 白猫は平穏な顔になって、すぐ眠ってしまった。俺は彼女の寝顔を見守った。

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