第272話.迷いを斬り捨てる
「何が……でしょうか?」
「俺への騙し討ちだよ」
俺の答えを聞いて、ブランドン・デイン男爵の顔に驚愕の表情が浮かぶ。
だがその表情は長く続かなかった。ブランドンはすぐ冷静を取り戻し、無機質な顔で俺を見つめる。
「騙し討ちとは、何のことでしょうか?」
「しらを切るつもりか」
俺は苦笑した。
「あんたは俺をここまで誘い出して、騙し討ちするつもりだ。それが俺を確実に殺せる方法だと思ったんだろう。つまり……盗賊による略奪自体が、あんたが張った罠だ」
しばらく沈黙が流れた。月明かりの下で、俺とブランドンは互いを見つめた。盗賊の屍から漂う血の匂いだけが空間を埋めている。
「……いつから」
沈黙を破って、ブランドンが口を開く。
「いつからお気づきになったのですか?」
「最初から怪しいとは思っていたよ」
俺は淡々とした口調で答えた。
「盗賊が正規軍の物資に手を出すなんて、どうも不自然だからな」
「……所詮は盗賊たちです。非合理的に行動してもおかしくないはずですが」
「確かにその可能性も否定できない。だからあくまでも怪しいと思っただけだ」
俺とブランドンの視線がぶつかる。
「しかし……ここに来る途中、確証を掴んだのさ」
「確証とは……?」
「足跡だ」
俺は大剣『リバイブ』で地面を指した。地面には兵士たちと盗賊たちの足跡が乱雑に散らばっている。
「あんたは俺にこう説明した。『盗賊たちが山に逃げ込んだと、偵察兵が僕に知らせました』とな」
「はい、そう言いましたけど」
「時間的に考えて……偵察兵が山で盗賊たちを目撃し、あんたの城まで報告しに行くためには馬が必要だ。徒歩では遅すぎる。現に俺の偵察兵も馬で移動した」
俺は微かに笑った。
「ここに来る途中、俺は道路の状態を観察した。そして分かったんだ。この山に向かう馬の足跡はあっても、山からあんたの城に向かう馬の足跡は無いということを」
ブランドンが目を見開く。
「つまり……あんたに報告を上げた偵察兵なんて、最初から存在しなかった。それもそうだろうさ。盗賊を利用して罠を張ったのはあんただからな」
俺は説明を終えて、ブランドンを見つめた。彼はしばらく驚いた顔でいたが……いきなり笑い出す。
「ふふふ……」
愉快そうに笑ってから、ブランドンは俺を見つめる。
「まさかこんな夜中に足跡を確認するなんて……どうやらレッド様は武力だけの人物ではないようですね」
「……どうしてこんな罠を張った? やっぱり俺の命が狙いか?」
「それ以外に何があります?」
ブランドンが無表情に戻る。
「レッド様の人間性については事前に調べておきましたよ。事故や事件が起こると、真っ先に動く人だとね。略奪事件を起こせば、レッド様が駆けつけてくるはずだと思いました」
「なるほど。じゃ、どうやって盗賊を動かしたんだ?」
「それは割と簡単でした」
ブランドンは倒れている盗賊の屍に冷たい視線を投げる。
「この盗賊たちは、先月僕に逮捕されました。でも僕はこの連中を処刑する代わりに、傭兵として雇うことにしました。捨て駒にはちょうどいいと思いましてね」
「手際がいいな」
俺がもう1度苦笑すると、ブランドンは俺を睨みつける。
「僕からも1つ質問してもいいですか?」
「言ってみろ」
「レッド様は全てを知っていたのに……どうして僕の茶番に付き合ってくれたのですか?」
「それか」
俺は頷いてから口を開いた。
「1つ目の理由は……たとえ罠だとしても、俺の軍隊に手を出した盗賊を放っておくわけにはいかなかったからだ。2つ目の理由は……この件の背後を調べるためだ」
「背後?」
「あんたがこの件の首謀者か? それともカーディア女伯爵に指示されたのか?」
ブランドンがふっと笑う。
「背後なんていませんよ。全部僕が自分の意思で行ったことです」
「じゃ、どうして俺の命を狙うんだ?」
「それは……復讐のためです」
ブランドンの瞳に強い意思が宿る。
「僕には兄がいました。そもそも父から『デイン男爵』の爵位を継承したのは、僕ではなく兄です。でも……兄は昨年の戦争で戦死しました」
「昨年の戦争か……」
「そう、メリアノ平原での戦闘で……レッド様の突撃により戦死しました」
広い平原で2万以上の兵力が衝突した戦闘。俺はその光景を昨日のように覚えている。
「逆恨みなのは分かっています。それでも僕は兄の仇を討たなければなりません。復讐こそが……兄のために出来る唯一のことです」
言葉が終わると同時に、ブランドンは右手の長剣を構える。しっかり鍛錬された構えだ。俺を倒すために、必死に鍛錬してきたんだろうか。
彼の執念は、もう言葉だけでは受け止められない。月明かりの下で、俺も大剣を構えた。
「いつでもかかってこい」
「はい」
ブランドンは冷たい声で答えた。そして数秒後……彼の体は急激に動いて、俺に向かってくる。
「はあっ!」
ブランドンの剣が一直線に走って俺の心臓を狙う。何の仕掛けも罠もない真っ直ぐな攻撃だ。たぶんこの男の本質はこれなんだろう。
俺は大剣を振るってブランドンの一撃を弾いた。火花が飛び散り、ブランドンは衝撃で1歩下がる。だが彼はすぐ態勢を整え直して、もう1度攻撃を繰り出す。
「でいやっ!」
またしても真っ直ぐな攻撃だ。しかし……俺は彼の長剣から迷いを感じ取った。
「うおおおおお!」
もう1度相手の攻撃を弾いてから、反撃に出た。俺の大剣『リバイブ』の刃が月明かりを反射し、眩しく光る。
「うっ……!?」
ブランドンは俺の反撃をギリギリ受け止める。でも彼の防御はどこか不安だ。心の中の迷いが彼の手を鈍らせている。
「ぐおおおお!」
勝機を見逃さずに、俺の大剣が曲線を描いた。狙いは……ブランドンの長剣だ。
「くっ!」
ブランドンは長剣を落としてしまいそうになるが、必死に耐える。そんな彼を注視しながら、俺はもう1撃を繰り出す。大剣『リバイブ』の刃がもう1度光ると同時に、鋭い金属の音が響く。ブランドンの長剣が折れてしまったのだ。そして彼の闘志もまた折れてしまった。
ブランドンは折れた長剣をしばらく見つめてから、やがて手放す。長剣が地面に落ちると、彼は乾いた笑顔で俺を見つめる。
「やっぱり無理でしたね。さあ、殺してください」
俺はその言葉に答える代わりに、大剣を背中の鞘に収めた。
「……殺さないんですか?」
「本当に死にたいのなら、殺してやることも出来る」
俺は無表情でブランドンを見つめた。
「だが、あんたにはまだ果たさなければならないことがあるはずだ。疲弊した領地を守るという、領主としての義務が」
ブランドンは強張った顔で何も言わない。
「俺と戦いたいんなら、もうこんなせこい真似はするな。いつでも勝負してやるから」
その言葉を残し、俺は足を運んで山を降り始めた。ブランドンは月明かりを浴びながら、ずっと1人で佇んでいた。




