第263話.デイナの説明
翌日の朝、俺は柔らかすぎるベッドの上で目を覚ました。
シャワー室で簡単に体を洗うと、メイドが着替えと食事を持ってきてくれた。食事はスープとパン、チキンとジュースだ。
テーブルに座ってゆっくりと食事を終えると、今度はメイドがデザートを持ってきた。果物とケーキだ。
「ロウェイン伯爵様」
メイドが丁寧な態度で話しかけてくる。
「女伯爵様からの伝言をお伝えいたします。約1時間後、応接間にてロウェイン伯爵様との会談を行いたいとのことです」
「分かった、そうしよう」
俺が頷くと、メイドは頭を下げてから部屋を出る。
「会談か……」
ということは、1時間後『金の魔女』の娘に会うことになるわけだ。
1時間の間、 俺は本でも読むことにした。客室の隅には大きな本棚があって、いろんな本が配備されていたのだ。
適当に本を選んで、ベッドに座って読み始めた。小説の本だ。
小説の内容は簡単だ。とある王国の人々が赤竜によって苦しめられていた時……女神の導きを得た勇敢な騎士が現れ、赤竜を倒し平和を取り戻すという物語だ。『赤い化け物』とか『レッドドラゴン』と呼ばれている俺としては、ちょっと面白い。
「ロウェイン伯爵様、会談のお時間でございます」
そして1時間後……予定通りメイドが現れてそう言った。俺はメイドと一緒に部屋を出て、会談の場所に向かった。
赤い絨毯の敷かれた階段を登って2階に上がり、絵画がたくさん飾られている広い廊下を歩いて隅の部屋に辿り着いた。ここが応接間なんだろう。
メイドが扉を軽くノックすると、応接間の中から「入ってください」という声がした。カーディア女伯爵の声だ。
「さあ、どうぞ」
メイドが頭を下げながら扉を開けて、俺は応接間に入った。
応接間内部はもちろん広かった。高級な絨毯が敷かれているし、隅々には異国の花を植えた植木鉢が置かれている。派手だが、派手過ぎない優雅な部屋だ。
その優雅な部屋の真ん中に大きなテーブルがあって、テーブルの周りを革のソファーが囲んでいる。そして革のソファーには……薄いドレスを着ている、2人の美しい女性が座っている。
2人とも金髪で、細い体型だ。真っ白な肌と綺麗な顔、大きな瞳が驚くほど似ていて、姉妹に見える。だがこの2人は姉妹ではない。母娘だ。
「レッド様」
赤いドレスの女性が席から立ち、俺を呼んだ。『金の魔女』カーディア女伯爵だ。
「昨夜はゆっくりお休みになられましたか?」
「ああ、おかげで」
「ふふ……では、ご紹介させて頂きます」
カーディア女伯爵が白いドレスの幼い女性を指さす。
「こちらが私の愚女、『デイナ・カーディア』です」
母が紹介すると、娘のデイナはゆっくりと席から立ち上がり……俺に頭を下げる。
「お初にお目にかかります、ロウェイン伯爵様。私は『デイナ・カーディア』と申します」
綺麗な金髪の少女は、少し緊張した態度で自分紹介をした。
完璧な演技だ。本当に俺に初めて出会ったような態度だ。頬を少し赤らめているのが完璧すぎる。俺ですら騙されそうだ。流石『金の魔女』の長女というべきか。
「俺はレッドだ。レッドと呼んでくれ」
「かしこまりました、レッド様」
デイナは笑顔で答えた。
それから俺たち3人は、ソファーに座ってジュースを飲みながら世間話をした。主に俺とカーディア女伯爵が話し合って、デイナは静かに聞いていた。
30分くらい経った時、カーディア女伯爵が話題を変える。
「実を言えば……レッド様の『戦乱終結』の意志表明は、このクレイン地方でもとても話題になっています」
「そうか」
「どの大貴族も、『戦乱を終結させる』と明言したことはありません。現在王国内の世論はレッド様を注目しています」
カーディア女伯爵の顔に妖艶な笑みが浮かぶ。
「ある人々は、レッド様のことを不世出を英雄と称えています」
「それは嬉しいことだが……友好的な意見だけあるわけじゃないだろう?」
「ま……そうですね」
カーディア女伯爵が頷く。
「ある人々は、レッド様の行動力に恐れを成しています」
「恐れか」
「でも私は、それが悪いこととは思っておりません。指導者たる者、恐れられて損はありませんから」
カーディア女伯爵がニヤリと笑う。
「こういう言葉をご存知でしょうか。『恐怖に頼る指導者は最悪だが、恐怖を使えない指導者はもっと最悪だ』」
「……古代の征服王が残した言葉だな」
「流石レッド様ですね」
カーディア女伯爵は自分の娘をちらっと見てから話を続ける。
「恐れられるからこそ、人々は指導者の言うことを聞く。恐れられるからこそ、盗賊たちも秩序を乱せない。 恐怖は指導者の資質の1つだと言えるでしょう」
「まあな」
「現に王国の東側では、領主を恐れない盗賊の群れが略奪を続けている。こういう時こそ、強い指導者が必要なんです」
「一理ある言葉ではあるが……」
俺はソファーに深く座った。
「俺は敵以外の人々にまで恐怖を与えるつもりはない」
「それがレッド様の戦略方針なんでしょうか?」
「戦略なんかじゃない。単に俺がそうしたくないだけだ」
「なるほど……かしこまりました」
カーディア女伯爵は真面目な顔で頷く。
その時……1人のメイドが応接間に入ってきて、カーディア女伯爵に耳打ちをした。女伯爵はメイドに「分かった」と言ってから、俺の方を見つめる。
「申し訳ございません、レッド様。急を要する仕事が入ってきまして……」
「俺は構わない」
「感謝いたします。では、30分くらい席を外させて頂きます」
女伯爵がメイドと一緒に応接間を出た。それで俺はデイナと2人きりになった。
自分の母が席を外すと、デイナの明るい笑顔が一瞬で無表情に変わる。
「……もう何もかも遅いんです」
デイナが呟くように言った。俺は眉をひそめた。
「どういう意味だ?」
「私も貴方も、お母様の手の平で踊らされているだけです」
「女伯爵に?」
「もっと簡単に言えば、私たちの婚約はもう避けられません」
デイナの声が大きくなる。
「本来なら……私と貴方は宴会場で、つまり公式の場で正式に会うことになっていました。だから私は一芝居を打って、貴方との縁談を取り消しにしようとしたんです」
「ああ、それがお前の計画だったな」
公式の場で俺に『実は他に好きな人がいます』と言い出して、縁談を取り消す。それがデイナの計画だった。
「しかしお母様は私の計画に気付いて、場所をこの応接間に変え、客たちも呼ばなかったんです。私としてはもう手も足も出せない」
「そうか。でもだからといって無理に縁談を受け入れる必要はないんじゃないか?」
「……昨日、お母様に言われたんですよ。貴方との縁談が取り消しになったら、私の相続権を剥奪すると」
デイナの美しい顔に怒りが染み付く。
「私には父違いの兄弟がいます。相続権を剥奪されたら、一文無しの修道女になって生きるしかありません」
「なるほどね」
俺は頷いた。
「でも心配するな。俺の方から縁談を断るから」
「だから貴方ももう遅いんです。昨夜、お母様が貴方の部屋に訪れたんでしょう?」
「そうだけど」
「もし貴方が私との縁談を断ったら、お母様は噂を広げるはずです。『私とレッド様はもう深い関係になりました』と」
「はあ……?」
俺は驚いて目を見開いた。
「いや、でも俺は……」
「何もしていない、と言いたいんでしょう? でもそれを証明できますか?」
デイナが冷たく笑う。
「お母様は以前から男性関係が派手なんですよ。しかもあの歳なのに未だ『クレイン地方一の美人』とか言われているんです。人々が『何もなかった』という説明を信じてくれるとお思いますか?」
「くっそ……」
悔しいけど、デイナの言う通りだ。部屋に『金の魔女』が入ってきた瞬間から……俺はもう罠にかかっていたのだ。
『金の魔女』は『レッドと親密な関係になった』と主張して、周りの不満を鎮める気だ。だから俺に自分の娘との縁談を提案したわけが……たとえ俺が縁談を拒んでも『もうレッド様は私の男になりました』というつもりなのだ。
「小汚い真似を……」
「小汚い真似を迷いなくするからこそ、お母様は『金の魔女』と呼ばれているんですよ」
デイナが嘲笑う。
「貴族社会の政治って、卑怯な罠や卑劣な嘘だらけです。レッド様のような正直者は、いくら頭が良くても性格的に無理なんですよ」
「……他人事みたいに言うな。お前も何もできないじゃないか」
「うっ……」
デイナが口を噤む。
数秒後、俺とデイナは一緒に溜め息をついた。




