第260話.さあ、出発だ
1ヶ月の間、俺は徹底的に準備した。
まず軍隊を訓練し、食料を備蓄する。それが終わった後は、俺がいなくても問題ないように領地を安定させる。何しろ今回は……長い遠征になる。
そして7月2日……城の訓練場に3000人の兵士を集結させた。
俺は血に濡れたような赤い鎧を着て、巨大な戦鎚『レッドドラゴン』と宝剣『リバイブ』を背負い、黒い軍馬ケールに乗った。戦場に出る時の姿だ。そんな俺を見て、3000人の兵士が息を殺す。
「皆、よく耐えてくれた」
俺の声が訓練場に響き渡る。そこまで大声でもないのに、兵士たちに耳にしっかり届く。
「自負を持っていい。こんな暑さの中で、1人も脱落せず、1つの事故も起こさず、1ヶ月の訓練に耐え抜いたのだ。お前たちはもう……この王国最強の軍隊だ」
その言葉を聞いて、兵士たちは皆泣きそうな顔になる。充実感、そして『やり遂げた』という自分自身への信頼に……心が動いたんだろう。
「来週、俺たちはこの城を出て進軍する。目的地は……『王都』だ」
俺の宣言に、兵士たちが驚愕して騒めく。
「そう、王都だ。俺とお前たちは……この王国の心臓に向かう。そして立ち塞がる敵を全部ぶっ倒して……乱世を終わらせる」
兵士たちの騒めきが止まる。彼らも理解したのだ。俺の欲望を。
「俺とお前たちの力で、この王国を救い出す。これは歴史に残る戦いだ」
俺は拳を握りしめた。
「迷う必要はない。俺に続いて前に進むんだ。それだけで……俺たちは負けない。必勝を約束する ……!」
兵士たちが歓声を上げる。地が揺れるほど、気迫に満ちた歓声だ。そしてその轟音が、俺に無尽蔵の力を与えてくれる。
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正式発表を終えて執務室に帰ると、エミルが俺を見つめた。
珍しく彼は仕事を中断し、窓辺に立っていた。
「……いつものことですが、本当に不思議ですね」
エミルが微かに笑った。
「『常勝王』と呼ばれた古代の君主は、こういう言葉を残しました。『人々の心を動かすのは、言葉の内容ではない。発言者の強い意志だ』と」
「そうか」
「総大将を見ていると……その言葉が心に染みます」
「俺はただ、あるがままの本音を喋っただけだ」
「……ふっ」
エミルが笑った。
「全ての準備は整いました。食料も軍資金も十分です」
「新兵たちの熟練度も十分すぎる。もう皆立派な戦士だ」
「ただし……」
エミルの声が冷たくなる。
「カーディア女伯爵との協力関係に少し不安が見えます」
「……俺が縁談を断ったからか?」
「はい」
エミルが即答する。
「今の総大将の地位は、昔とは違います。カーディア女伯爵の娘を側室として受け入れても、権威に傷がつくことはない。こういう場合は承諾するべきです」
「俺だって分かっている。でも……あの娘とはどうも気が合いそうにない」
「指導者なら、個人的な感情より集団の利益を優先するべきです」
「それも分かっているさ」
俺は眉をひそめた。
「カーディア女伯爵に直接会って、説得してみるよ。政略結婚に頼らずとも、打開策があるはずだ」
「……そこまで仰るのなら」
エミルが1歩引いた。
その時、誰かが執務室の扉をノックした。俺が「入れ」と言うと、小柄の少女が入ってくる。シルヴィアだ。
「どうした、シルヴィア? 仕事はもう終わったんじゃなかったのか?」
「はい、別の件でお話ししたいことがありまして」
シルヴィアはいつもの落ち着いた顔で俺に近づく。
「今回の遠征、私も連れていってくださいませ」
「何?」
俺は驚いて、可愛い婚約者を見つめた。
「そいつは流石に無理だ。軍隊の行軍は、旅とはわけが違う」
「承知しております」
シルヴィアが大きな瞳で俺を直視する。
「足手まといになるつもりは毛頭ありません。シェラさんの部隊と一緒に行軍します」
「もしかして、もうシェラには……?」
「はい、既にシェラさんからの許可は頂いております」
「まったく……」
俺はため息をついた。
少し悩んだ。確かに頭のいいシルヴィアがいてくれると、いろいろ助かるはずだ。彼女の会計士としての知識はどんな状況でも役に立つだろうし、トムの負担も減る。
「私も……」
シルヴィアが瞳に強い意思が宿る。
「敵軍と戦うことこそできませんが、レッド様の力になることはできます。いつまでも城でレッド様の帰還を待っているのは嫌です」
「……分かった」
やっぱり婚約者たちには勝てない。俺は内心苦笑した。
「じゃ、シェラから女性兵士用の革鎧を支給してもらうように」
「かしこまりました」
シルヴィアが明るい顔で頷き、部屋から出た。
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シルヴィアの次は、猫姉妹だった。
エミルとの相談を終えて執務室を出たら、長身の女性と小さな少女が俺に近づいた。白猫と黒猫だ。
「話は聞いたよ、レッド君。遠征の準備が完了したって」
白猫がニヤリとする。
「もちろん私たちも連れていくよね?」
「白猫はもちろん連れていくけど……」
俺は黒猫を見つめた。
黒猫の戦闘力は、俺もよく知っている。たった13歳の少女だけど……そこら辺の兵士より強い。でも……。
「頭領様……」
黒猫が俺を見上げる。
「頭領様は私に、大事な人を守るために戦えと言ってくれました」
「ああ」
「私にとって1番大事なのはお姉ちゃんです。そしてその次が……頭領様です」
その発言に、俺も白猫を少し驚いた。黒猫がここまではっきり自分の気持ちを話したのは珍しい。
「2人が遠くに行ってしまえば、守ることができません。だから……」
「ああ、分かった」
俺は黒猫の頭を撫でた。
「じゃ、こうしようか。今回遠征、実はシルヴィアも一緒に行くことになった」
「シルヴィアさんも……」
「だからお前にはシルヴィアの護衛を頼みたい。できるか?」
「……はい」
黒猫の顔が少しだけ明るくなる。
「シルヴィアさんは優しい人……頭領様の命令なら、何があっても守ります」
「ありがとう。ただし……」
「敵を殺さずに制圧すること」
「その通りだ」
俺はもう1度黒猫の頭を撫でた。
俺と白猫は、内心頷いた。黒猫はどんどん自分の気持ちを素直に話せるようになっている。これなら……自分を取り戻せる。
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そういうわけで、7月8日……俺はシェラとシルヴィア、トムとカレン、白猫と黒猫、そして3000人の兵士を連れて城から出発した。
「進軍開始!」
俺が号令すると、軍隊が前進を始める。青い空の下で、堂々と城門を出る。
「領主様だ!」
「領主様!」
城門の前には、城下町の人々が集まっていた。彼らも俺の『正式発表』についてもう聞いている。
「万歳! 万歳!」
「領主様万歳!」
男性も女性も、子供も老人も、俺の出陣をお祝いしてくれる。領主として……これ以上嬉しいことがあるもんか。
俺は拳を上げてみせた。それで人々の歓声が更に高くなり、兵士たちの顔は自負と勇気に満ちた。俺は、俺たちは今……平和を望む人々から応援されているのだ。




