第258話.親の影響
日曜日の朝……俺とシルヴィアは支度を終えて、互いを見つめた。
「……美しいな」
思わず感嘆してしまった。シルヴィアはいつもの白いドレスじゃなく、ピンク色のドレスを着ていた。化粧もどこか色っぽいし、金色の頭飾りがよく似合う。
「レッド様の方こそ、いつもに増して凛々しいお姿です」
「ならよかった」
俺はシルヴィアの頭を撫でた。するとシルヴィアが口を尖らせる。
「今日から私は正式にレッド様の婚約者です。ペットではありません」
「そうか、悪いな」
俺は笑った。
「シルヴィアが可愛いからつい手が動いてしまった。許してくれ」
「そうですか……分かりました。一生許してあげます」
シルヴィアも笑った。
やがて俺とシルヴィアは一緒に部屋を出て、城1階の応接間に向かった。
応接間の中には十数名の人々が集まっていた。俺の側近たち、そしてその家族たちだ。
「おお!」
人々が俺とシルヴィアを見て歓声を上げ、拍手喝采を送ってくる。
俺とシルヴィアは部屋の真ん中に立って、皆の顔を見渡した。
「ありがとう、皆」
俺が口を開いた。
「もう話した通り、今日から俺とシルヴィアは正式に婚約する」
シルヴィアが赤面になって視線を落とす。可愛い。
「今までと同じく、これからもシルヴィアとは運命を一緒にするつもりだ。よろしく頼む」
俺は言葉を終えて、シルヴィアの唇にキスした。もう1度拍手喝采が起こり、シルヴィアは「どうぞよろしくお願いいたします」と言って頭を下げた。
それから素朴だけど楽しいパーティーが始まった。側近たちは、無表情のエミルを除いて、皆俺とシルヴィアにお祝いの言葉を送ってくれた。
「ボス、本当におめでとうございます」
赤ん坊を抱えたレイモンがそう言った。彼の奥さんであるエリザさんも笑顔で「おめでとうございます」と言った。
「ありがとう」
俺は返事しながらも、シルヴィアの顔を伺った。シルヴィアは目を輝かせて、赤ん坊を見つめていた。シェラもそうだけど……シルヴィアも赤ん坊が可愛くて仕方ないようだ。
「ボスの幸せをお祈りいたします」
レイモンはまるで『ボスも早く赤ん坊を……』と言わんばかりの顔だ。いつの間にかシルヴィアも俺に意味ありげな視線を送っていた。俺はつい目を逸らしてしまった。
当然の話だけど、シェラはこの場にいない。彼女なりの配慮だ。だが俺は……パーティーの途中、ずっとシェラとシルヴィアに睨まれているような気がした。
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パーティーは無事に終わり、俺とシルヴィアは部屋に戻った。
今日のスケジュールはもう終わった。これからは自由時間だ。まあ、もちろんシルヴィアと過ごすけど。
俺とシルヴィアはまず普段着に着替えて、一緒にソファーに座った。そして部屋の内部を眺めた。この部屋は、数日前まで空き部屋だったが……今は俺とシルヴィアのために綺麗に整頓されている。
俺はそっと手を伸ばして、シルヴィアの手を握った。それだけでシルヴィアは頬を赤らめる。
「……レッド様に出会えて、本当に幸いです」
ふとシルヴィアが言った。
「私には、婚約相手を選ぶ権利などなかった。本当にただの運任せでしたのに……レッド様に出会えて本当に幸いです」
「俺もだ」
俺はシルヴィアの小さな手を見つめた。
「ルベンに婚約を提案された時、正直戸惑った。エミルからは『政略結婚に愛情なんて必要ない』とか言われたけど……そんな生活、楽しいはずがないからな」
シルヴィアの手は柔らかく、暖かい。いつまでも触っていたい気分になる。
「だが、結局自分で婚約を決めたし……相手が誰であろうと受け入れる覚悟だった」
「あら、そうでしたか?」
「ああ」
俺はシルヴィアの腰に腕を回した。
「相手がシルヴィアだったから……俺は幸せだ」
「もう……」
シルヴィアの顔が真っ赤になる。
俺はシルヴィアを抱き上げて、ベッドに向かった。そして掛け替えのない一時を過ごした。
しばらく後、俺たちは一緒に横になって互いを見つめた。
「……な、シルヴィア」
「はい、レッド様」
「一つ聞かせてくれないか?」
「何でしょうか」
まだ赤面のシルヴィアを見上げる。
俺は彼女の手を握った。
「以前、シルヴィアが言っただろう? 俺と正式に婚約式を挙げる日……シルヴィアにとって怖いものは何なのか、教えてあげると」
「……覚えてくださったんですね」
シルヴィアが幸せな笑顔を見せる。
「はい、確かにそう言いました」
「じゃ、聞かせてくれ。シルヴィアにとって怖いものは何なんだ?」
「それは……」
シルヴィアは小さな声で話を始める。
「自分を見失うことです」
「自分を見失うこと、か……」
「はい」
シルヴィアが頷く。
「レッド様もご存知の通り、私の両親は名ばかりの貴族で……あまり裕福ではありませんでした」
「親戚の財政を管理して、生計を維持したと言ったな」
「はい。故に私も、子供の頃から会計士になるための教育を受けました」
シルヴィアは微かに笑った。
「私は数学が好きでしたし、勉強は楽しかったです。そして両親は、数学や経済学以外にも大事なことを教えてくれました」
「それは……」
「自分を見失ってはいけない、ということです」
シルヴィアが俺の手を握り返す。
「お金を扱っていると……悲しい事件を目撃してしまいます。仲良かった家族が遺産相続問題で紛争を起こしたり、親友の財産を奪うために詐欺を働いたり……そういうことはどこでも起こり得ます」
「そうだな」
俺が頷くと、シルヴィアは俺に体を密着させる。
「欲に目が眩んで、自分を見失ってしまうと……誰でもそういう悲しい事件を起こしてしまう。だからそうならないように、自分を見失わないように注意しないといけない……それが両親の教えでした」
「……素敵な方々だったな、シルヴィアの両親は」
「ありがとうございます」
シルヴィアが嬉しい笑顔を見せる。
「私の両親は、不正や腐敗とは一生無縁でした。私はそのことを誇りに思っています」
「なるほど」
俺は内心頷いた。レイモンが父親から勇気を受け継いだように……シルヴィアは両親から賢明さと真っ直ぐな心を受け継いだのだ。
「すまない、シルヴィア」
「はい? どういうことでしょうか?」
「お前に最初に出会った時……ちょっと変わった女の子だな、と思った」
「ふふふ……よく言われます」
シルヴィアが笑った。俺はシルヴィアの頭を撫でた。
「でも実際は、俺よりずっと賢明で……ずっと真っ直ぐな人だ」
「身にあまるお言葉です。私の方こそ、レッド様の賢明さにはいつも感心しております」
「俺に?」
俺は眉をひそめた。
「俺はただ自分の欲望のままに戦っているだけだ」
「レッド様の仰る『欲望』は、一般的な意味とは違いますから」
「そうかな?」
俺は肩をすくめてから、シルヴィアを見つめた。
「それにしても……やっぱり子供は親に影響されるんだな」
「レッド様には、鼠の爺様という方がいるとお聞きしました」
「ああ、俺の師匠であり……親みたいな人だ」
俺はニヤリと笑った。
「俺にとってあの人は、越えられない壁だ。1度も勝ったことがない」
「あら……何か想像が難しいですね」
「まあ、いつかは越えてやるつもりだ。それが俺の目標であり……義務だ」
「そうですか」
シルヴィアが目を輝かせる。
「では、レッド様の子供も……いつかはレッド様を越えなければなりませんね」
「そうかもな」
俺は笑顔で頷いた。
「俺の子供か……それこそ想像が難しいな」
「きっと可愛いはずです」
「確かにシルヴィアに似たら、可愛いはずだけどな」
「そ、そういう意味では……もう……」
シルヴィアの顔がまた赤く染まった。




