第255話.昨日よりいい明日を……
約1時間後、臨時闘技場の試合も全て終わった。レッドの組織の皆は真剣に戦って、客たちを楽しませた。
「優勝はレイモンだ!」
俺が宣言すると……人々がレイモンに拍手喝采を送った。レイモンは温厚な笑顔で「ありがとうございます」と言った。
最後まで勝ち抜いたのは、やっぱりレイモンだったのだ。怪力のジョージも、素早いエイブも、賢いリックも彼の相手にならない。
レイモンの奥さんであるエリザさんが前に出て、娘のエイミを地面にそっと置いた。すると生まれて1年も経っていない赤ちゃんが、自分の父に向かって走り出す。レイモンはそんな娘を素早く抱き上げる。
「おお! 赤ちゃん可愛い!」
「お父さん最強!」
観客たちが更に拍手喝采を送る。レイモンは少し恥ずかしそうに笑う。
「それにしても……強いな、レイモン」
試合でレイモンが見せた強さは圧倒的だった。今のレイモンなら、ケント伯爵ともいい勝負ができるだろう。
白猫が再出陣しなかったのが残念だな。と思いながら、俺は臨時闘技場を解散した。
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やがて深夜になり、パーティーの勢いも静まり始めた。
疲れた人々は城の客室や城下町に向かった。それでパーティー場は一気に静かになり、少数の人々だけが夜空の下で話し合う。
俺もそろそろ部屋に戻るか。そう思って城内に入ろうとすると、ちょうど城内から出て来るシェラとシルヴィアと遭遇した。
「あら、レッド」
シェラとシルヴィアが俺に近づく。
「私たち、ちょっと歩こうとしているけど……レッドは部屋に戻るの?」
「まあ、せっかくだしお前たちと一緒に歩くよ」
「うん!」
俺たち3人は、一緒に夜空を見上げながらゆっくりと歩いた。ランタンの光と、星の光が絶妙に調和している。
ふと歌声が聞こえてきた。まだ公演している楽団がいるようだ。しかしこの歌声は……。
「タリアちゃんだ!」
シェラが手を叩いた。やっぱりそうだったか。
歌声が聞こえる方向に向かうと、小さな舞台を上で歌っているタリアの姿が見えた。結構な数の観客が集まって、タリアの歌声に耳を傾いていた。
「いつまでも貴方とこの道を歩いていたい……」
タリアは少し悲しめの歌を歌っていた。夜空を背景にして、美しい歌声が響き渡る。
「いつ聞いてもいいね、タリアちゃんの歌」
シェラが小さな声で言った。俺とシルヴィアは頷いた。
それからタリアは3曲を歌って、舞台から降りた。観客たちは歓声と拍手を送る。俺も拍手したが、その時、観客の中で知っている顔をみかけた。
「猫姉妹か」
さっき闘技場で戦った白猫と、彼女の妹である黒猫だった。2人もタリアの歌を聴いていたようだ。
「レッド君と子猫ちゃんたちじゃない」
猫姉妹もこっちに気付いて、俺たちに近づく。
「3人でデートしていたの? 羨ましいわね」
「へっ」
俺は笑った。
シェラが1歩前に出て、黒猫を見つめる。
「あら、黒猫ちゃん。何持っているの?」
みんなの視線が黒猫に集まる。確かに黒猫は小さな手で大きな籠を持っていた。
「これは……お菓子とパンです」
黒猫がちょっと困った顔で答える。
「メイドさんたちからもらいました。たくさん食べて、早くお姉ちゃんのように大きくなりなさい、って」
「そうだったのか。よかったわね」
「でも……私はこんなにたくさん食べられないです……」
黒猫は本当に困った顔だ。シェラは笑顔を見せる。
「じゃ、お姉ちゃんたちと一緒に食べようか!」
「そうしてくださると助かります……」
黒猫の顔が明るくなる。
「あら、シェラちゃんいいの?」
白猫が笑顔で口を挟んだ。
「太ってしまったら、レッド君に嫌われるわよ」
シェラはその言葉を聞いて……俺の顔を見つめる。
「レッド、それ本当なの? 太ったら私のこと嫌いになるの?」
「いや、そんなはずあるか」
俺は慌てて答えた直後、白猫を睨みつけた。白猫はいたずらっぽい笑顔になっていた。
それから俺たちは一緒に歩いた。俺とシェラとシルヴィア、猫姉妹とタリアまで合流して……6人でゆっくりと夜の涼しい空気を楽しんだ。
歩いている途中、度々知っている顔と遭遇した。レイモン一家、自分の姉であるアンナさんと話しているトム、恋人のミアさんとくっついているジョージ……みんな幸せに見えた。
そして黒猫が眠い顔になった時、俺たちは城内に戻った。
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午後11時頃、俺の伯爵就任パーティーは終わった。
城のメイドたちとしては、これからが大変だ。パーティーの後始末に忙しいのだ。彼女たちにも褒賞金を支給しなければ。
俺は2階の応接間のソファーに座って、皆の顔を見渡した。『皆』というのは、俺の側近たち……つまりシェラとシルヴィア、『レッドの組織』の皆、エミルとカレン、そしてトムと白猫だ。
黒猫とタリアは自分の部屋で眠りにつき、青鼠は任務中だ。その3人を除けば……俺の側近たちが全員集まっているわけだ。
シェラとシルヴィアは俺の傍に、他の人は大きいテーブルに座っている。そして皆の視線が俺に集まった時……レイモンが声を上げる。
「ボスの伯爵就任、誠にお祝い申し上げます!」
レイモンの言葉を始めに、皆拍手し出す。
「ありがとう」
俺は笑顔で頷いた。もう何度も何度もお祝いされたが……親しい人々からのお祝いは格別だ。
「そう言えばさ」
傍からシェラが声を上げる。
「これからレッドのことをどう呼べばいいの? ロウェイン伯爵様?」
「いや」
俺は笑顔で首を横に振った。
「今までの通りでいい。伯爵になろうが公爵になろうが、俺は俺だ」
「そうなの?」
「ああ」
俺は頷いた。
「ボス、総大将、領主様、団長、頭領様……いろんな役職で呼ばれているけど、別に俺という人間が変わるわけではない。『伯爵様』も結局呼び名の1つに過ぎない」
「『伯爵なんて通過点に過ぎない』……でしょう?」
シェラが俺の声を真似して、皆笑った。もちろん俺も笑った。
「でも……少し変わったこともある」
俺がそういうと、皆息を殺して俺を見つめる。
「ウェンデル公爵と会談した時、彼は俺に『指導者は哲学を持つべき』と言った。自分の権力をどう使って、人々をどう導くか考えないと……指導者も盗賊と変わりないとな」
俺は淡々とした口調で話を続けた。
「そしてウェンデル公爵は、自分自身の哲学が『秩序』だと言った。秩序こそ王国を安定させるものだと」
側近たちは皆真面目な顔で俺の話に耳を傾けている。
「確かに公爵の言葉にも一理がある。指導者が秩序を確立しないと、多くの人々が苦しめられるからな」
皆頷いた。王国の東側では……実際起こっていることだ。
「でも……俺は『哲学』なんかに拘りたくないし、『秩序』で止まるつもりもない」
俺は静かな声で言った。
「俺の師匠、鼠の爺はいつも言っていた。『弱者が強者に殴られるのは、人間社会の摂理』だと。それはもう人間の本性だから、いくら時間が経っても変わらないと」
鼠の爺に初めて出会った日のことが、頭の中に浮かんだ。
「だから俺は……秩序を確立して戦乱を終わらせた後、この王国を少しだけ変えたい」
俺は拳を握りしめた。
「弱者にも強くなれる機会を与えたい。具体的に言えば……孤児たちのための公立孤児院を建立し、平民たちのための教育施設も作りたい」
皆目を見開く。俺の発言に驚いたようだ。
「もちろんそれで問題が完璧に解決されるはずがない。それくらいは知っている。でも……『少しでも機会がある』ことと、『まったく機会が無いこと』の間には大きな差がある。だから俺は……やるつもりだ」
俺はエミルの方を見つめた。
「どうだ、エミル? 俺の考え……空想に過ぎないか?」
「……いいえ」
エミルが無表情で首を横に振る。
「たとえ孤児院や教育施設があっても、全ての弱者を助けられるわけではないし……問題が完璧に解決されるわけでもない。しかし……この小さな1歩こそ、まさに未来への第1歩です」
「そうか」
「ですが……」
エミルが冷たい視線で俺を見つめる。
「弱者を助けるということは、強者たちの反発を呼ぶ。いえ、強者たちだけではなく……変化を嫌う全ての人間が反発するでしょう。その反発と戦う覚悟はできていますか?」
「もちろんだ」
俺は笑顔で答えた。
「俺は自分勝手に戦ってきた人間だ。戦いなら慣れているさ。昨日よりいい明日を迎えるために、誰かが戦わなければならないのなら……その役割、俺が喜んで務めてやるさ」
「昨日よりいい明日を……」
「ああ、これは哲学なんかじゃない。皆に充実感を味わわせたいという……俺の欲望だ」
「なるほど……大いに結構だと思います」
エミルが微かに笑った。
「うっ……ううっ……」
ふと泣き声が聞こえてきた。皆泣き声のする方を見つめた。それは……ゲッリトだった。
「どうしてまた泣くんだよ、ゲッリト」
ジョージが顔をしかめて聞くと、ゲッリトが手で目を拭いて話を始める。
「今のボスの話……俺にはよく分かります。だからつい涙が出てしまって……」
「ゲッリト……」
「俺、『レッドの組織』に入る前には……文字も読めなくて。だからボスやレイモンさんに教えてもらって……とても嬉しかったです」
その言葉にジョージも泣きそうになる。『レッドの組織』を結成した時、2人は一緒に文字を勉強した。いつも喧嘩しているけど……実はとても仲がいい。
「あの時の気持ちが……ボスの言う充実感だと思います。つまりボスは……昔の俺みたいな子供たちのために戦うつもりでいらっしゃる……」
皆息を殺して、ゲッリトの話を聞いた。
「そういうボスの下で戦えると思うと……そして、最初からボスがこの王国の国王だったらどんなに良かったんだろうかと思うと……つい涙が出てしまいました」
「……ありがとう」
俺は頷いてから、もう1度皆の顔を見渡した。
「今の俺は、1人で戦っているわけではない。これからもお前たちの力を……貸してくれ」
皆口を揃えて「はっ」と答えた。その時、俺たちの戦意は静かに燃えていた。




