第249話.止めてくれる存在
自分の領地に帰還してから数日が経ち……5月になった。
青い空の下で、城下町の人々が早朝から働いている。畑仕事や草刈り、家畜の世話や洗濯などなど……生計を維持するために頑張っているのだ。小さな子供たちも親を手伝って、簡単なおつかいをしている。
極めて普通の風景だが、見ていると胸が暖かくなる。
やがて正午になり、城下町の人々が休憩に入る。大きな木の下に家族と友人たちが集まって、一緒に弁当を食べながら話し合う。みんな明るい顔だ。
俺もシェラとシルヴィアと一緒に歩いて、城下町から離れた丘を登った。小さな丘の上には様々な木々がそびえている。俺たちは適当なところに敷物を敷いて座った。
「いいね」
シェラが笑顔で言った。
「ここだと城も城下町もよく見えるし、日当たりも風当たりもいい。ピクニックにはまさに最適でしょう?」
「そうだな」
俺は頷いてから、持ってきた籠を開けた。籠の中には果物とチーズケーキと牛乳が入っていた。
「レッド様」
シルヴィアが牛乳をコップに注いで、俺に渡してくれた。
「ありがとう」
一緒に牛乳を飲んで、一緒にチーズケーキを食べる。涼しい風に当たりながらの食事……平穏な時間だ。
食事の後、俺たちはしばらく風景を眺めた。高い城壁に囲まれた頑丈な城、川に沿って広がる城下町、その全てを包んでいる平原、遠くに見える山……人工物と自然の調和が美しい。
「平和って感じね」
シェラが呟いた。
「でも実際はまだ戦乱が続いている。ちょっと不思議」
「まったくだ」
俺はゆっくりと頷いた。
「戦乱の中心である王都にも、平和な風景はあった。戦いも平和も、人間の本性だからだろう」
その答えを聞いて、シェラがぷっと笑う。
「レッドって、たまに難しいこと言うよね」
「別に難しくないさ。シェラが単純すぎるだけだ」
「何ですって!?」
シェラが目くじらを立てる。こうなったら素直に謝るしかない。
「ふふふ」
シルヴィアが楽しそうに笑った。いつも理性的で大人に見える彼女だが、笑っていると純粋無垢な少女になる。
「でも確かに不思議です」
「何が不思議なんだ、シルヴィア」
「レッド様は、いつも自分自身のことを好戦的な人だと仰っているのに……領地を平和に統治していらっしゃる。不思議です」
「やっぱりそうですよね!」
シェラがシルヴィアの意見に同意する。
「『気に入らないものは全部潰してやる』とか『貴族たちを跪かせてやる』とか言ったくせに……意外と平和なんだから」
シェラが俺の声を真似した。俺とシルヴィアは一緒に笑った。
「じゃ、明日から期待に応えてやるか」
「ん? どういうこと?」
「まず税金を限界まで上げて軍資金を確保し、領民たちを無理矢理徴兵するのさ。そして王国を片っ端から破壊してやる」
「止めなさいよ!」
シェラが真顔で大声を出す。
「そんな酷いことすれば絶対許さないから!」
「冗談だよ」
「あんたが言うと冗談に聞こえないわよ!」
シェラの反応に、俺とシルヴィアはまた一緒に笑った。そして直後、シルヴィアが静かな声で話し始める。
「何よりも、そういう行動はレッド様らしくありません」
「俺らしくない?」
「はい」
シルヴィアは頷いた。
「レッド様は戦いが好きですが、平和を害する無益な戦争が好きなわけではありません。だからさっき仰ったような行動をなさるはずがありません」
「なるほどね」
俺はシェラとシルヴィアを見つめた。
「まあ、たとえ俺が本当にそういう行動をしようとしても……お前たちが止めてくれるだろう。シェラは本気で怒ってくれるはずだし、シルヴィアは冷静に制止してくれるはずだ」
「はい、レッド様の仰る通りです」
シルヴィアが暖かい笑顔で頷くと、シェラも頷いてから俺を直視する。
「私、最近結構強くなったからね! レッドが変な真似すると本当に空までぶっ飛ばしてやるんだから!」
「そいつは怖いな」
形は違うけど、この2人は俺のことを本当に心配してくれている。恐怖の対象である『赤い化け物』を本当に大事に思っている。その事実が……とても嬉しい。
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その日の夜、俺は城の応接間で小さな少女と一緒にお茶を飲んだ。いつもリュートを背負っているが、どう見ても道化師のような服装の少女……吟遊詩人見習いのタリアだ。
「ど、どうでしょうか……領主様!?」
タリアが興奮した声で言った。
「お気に入りでしょうか!? 何か足りない点がありましたら……仰ってください!」
「ちょっと静かにしてくれないか」
俺が冷たく言うと、タリアは慌てて自分の口を両手で塞ぐ。
俺は苦笑してから……手に持っている文書を読み続けた。これは……タリアの作品だ。タリアが俺を主人公にして執筆した『叙事詩』の1章だ。
ここ数日、仕事に忙しくてこの叙事詩を読む時間が無かった。今日は少し余裕が出来たから、叙事詩を読んで直接感想を言ってやるとタリアに約束したわけだ。
「ふむ」
しばらくして叙事詩を読み終えた俺は、タリアを見つめた。小さな吟遊詩人見習いは……まだ自分の口を両手で塞いでいる。俺は苦笑した。
「もう話していい」
「ありがとうございます!」
タリアが感激した顔で俺を見上げる。
「それで、それで、どうでしょうか!? お気に入りでしょうか!?」
「ああ」
俺は笑顔で頷いた。
「まだ俺のことを美化しているような気がするけど、以前に比べれば事実に近づいた感じだ。それに……結構面白い」
「おおお!」
タリアの顔が赤くなり、瞳に涙が溜まる。
「感謝致します、領主様! このタリア、命に変えても素晴らしい叙事詩を完成致します!」
「命は変えるなよ」
俺は笑ってから、叙事詩をタリアに返した。
「ところで……ちょっと思ったことがあるけど」
「はい、何なりとお申し付けください!」
「この叙事詩、小説にした方がいいんじゃないか?」
俺の言葉に、タリアが目を丸くする。
「小説に……ですか?」
「ああ」
俺は腕を組んで話を続けた。
「まだまだ内容が長くなるだろう? それなら韻文の形式に拘らずに、小説にした方が読みやすいと思ってな」
「……なるほど!」
タリアが両手を高く上げる。
「このタリア、びっくりしました! 領主様は文学にもお詳しいですね!」
「いや、詳しいと言うほどではないさ」
俺は首を横に振ったが、タリアはソファーに座ったまま何か踊り始める。
「確かに仰る通りです! 小説は文学の中では比較的に新しい部類ですが、多くの人々に愛されています! この叙事詩も小説にすれば爆売れ間違い無し! です!」
「落ち着け、タリア」
「ではでは、これから執筆に突入します!」
タリアは領主の俺の言葉を無視して、応接間から飛び出た。俺はまた苦笑するしかなかった。




