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第248話.歴史的な観点

 俺は可能な限り急いで、自分の領地に向かった。


 王都に向かっていた時と比べれば、移動速度は倍近くだ。もう俺の正体を隠す必要も、目的地を隠す必要もなくなったからだ。堂々と道路を全速力で走って、4月の3週には領地に帰還する予定だ。


「ここら辺で休もう」


 そう言いながら、俺は川辺の近くに馬を止めた。トムと白猫、オリバーも馬を止めて、俺たちは休憩に入った。


 4月なのに少し暑いけど、青い空と涼しい風が気持ちいい。俺はケールに水を飲ませてから、大きな木の下に座った。そして革の水筒の水を飲んでいたら、トムがパンを渡してくれた。さっき訪問した村で買ったものだ。


 パンを一口食べると、甘いクリームが口の中に広がる。特色のない素朴な味だが、美味しい。


「レッド君」


 隣に座っている白猫が俺を呼んだ。彼女もクリームパンを食べていた。


「何をニヤニヤしているの? そんなにクリームパンが美味しい?」


 白猫の言葉を聞いて、自分自身が知らないうちに笑顔になっていたことに気付いた。


「まあ、俺はクリームパンが好きだからな」


 俺がそう答えると、白猫がぷっと笑う。


「見かけによらず子供っぽいところがあるんだ」


「へっ」


 思わず笑うと、白猫がいたずらっぽい笑顔を見せる。


「知ってる? 巷では、レッド君が敵軍の生き血を飲むって噂もあるのよ」


「なるほど」


「でも実際はクリームパンが好きだなんて、拍子抜けにもほどがあるわ」


「まったくだ」


 俺は笑顔で頷いた。


「でも仕方ないさ。どう言われようが、これが俺だからな」


「そうだね」


 白猫は真面目な顔になり、俺の横腹に手を当てる。


「そういうレッド君だからこそ、ちゃんと中身がある。仮面なんて必要ない」


 しばらく後、俺たちはクリームパンを食べ終えた。そして馬に乗り、再び道を進んだ。


---


 数日後、やっと俺の領地に帰還した。


 領地の境界地帯には監視塔があり、武装した兵士たちが守っていた。俺がケールに乗って近づくと、兵士たちが片膝を折って頭を下げる。


「領主様が帰還なされた!」


 塔上の兵士が叫んだ。すると監視塔の中から士官が出てきて、同じく片膝を折って頭を下げる。


「異常はないか?」


 俺の質問に、士官は「異常はありません!」と大声で答える。


「そうか。じゃ、俺の帰還を本城に伝えろ」


「はっ!」


 士官は素早く監視塔の中に入った。狼煙と伝書鳩を使って、本城に報告を上げるためだ。


 俺は後ろを振り向いて、馬車の御者席に乗っているオリバーを見つめた。


「本当にご苦労だったよ、オリバーさん」


「恐れ入ります」


「これ、俺からの謝礼だ」


 俺はオリバーに近づいて、金貨を数枚渡した。オリバーは「感謝いたします、領主様」と頭を下げる。


「オリバーさんは、これからどうする気だ?」


「しばらく待機してから、他の地方で活動することになると存じます」


「そうか」


 オリバーは優れた情報部員だが、俺と一緒に旅したおかげで顔が知られてしまった。クレイン地方での活動はもう無理だろう。


「あの、領主様」


「何だ」


「短い間でしたが、領主様にお供できて光栄でした」


 オリバーはいとも真面目な顔でそう言った。


「そして私は確信しました。領主様こそが……この王国の指導者になられるべきお方だと」


「オリバーさんはお世辞が上手いな」


 俺とオリバーは一緒に笑った。


 しばらくして、俺はオリバーと別れ……トムと白猫を連れて俺の城に向かった。


---


 結局俺は……暗殺者に襲われることもなく、予定通り4月の3週に城に帰還した。


 ケールに乗って城への道を走ると、城下町の人々が集まって俺を眺める。彼らは、俺が巡視から戻ってきたと思っているはずだ。


 城門を潜ると、健康的な体型の少女と小柄の少女が見えた。俺の可愛い婚約者たち……シェラとシルヴィアだ。彼女たちの傍には、吟遊詩人見習いのタリアもいた。


「レッド!」


 シェラとシルヴィアが俺に近寄った。俺はケールから降りて、2人の頭を撫でてやった。


「ご無沙汰すぎるわよ! 手紙とか送りなさいよ!」


 シェラがそう言ってきた。俺は苦笑するしかなかった。


「俺のいない間、何かあったか?」


「平穏そのものだった。あ、タリアちゃんの叙事詩が完成されたの」


「完成?」


 俺は驚いて、タリアを見つめた。するとタリアは両手を高く上げる。


「はい! まだ1章だけですが、完成しました! 領主様にもぜひ読んで頂きたいと存じます!」


 タリアの顔と声が高揚していた。俺は笑顔で頷いた。


「分かった、読んでみるよ」


「光栄です!」


 タリアの瞳に涙が溜まる。この子の芸術に対する情熱は本物だ。


 俺はみんなを連れて城内に入った。そしてまずトムと白猫に休憩を指示してから、3階の小さな応接間でシェラとシルヴィアと一緒にお茶を飲んだ。


「それで、王都はどうだった? 『守護の壁』の中は?」


「王都近くの村まで行っただけだ。壁の中はまだ見ていないさ」


「そうなんだ」


 しばらく他愛のない話をしていると、緊張が解けて心が和らぐ。抗争とか戦争とか、もう別世界の話みたいだ。


「シルヴィアも、王都には行ったことないだろう?」


「はい、いろんな噂を耳にしましたが……直接行ったことはありません」


「じゃ、次に王都に行く時は2人も一緒に行こう」


「いいね!」


 シェラが笑った。


 お茶を飲み干して、俺はシェラとシルヴィアの頭をもう1度撫でた。短い休憩も終わりだ。領主として、俺にはやらなければならないことが山ほどある。


 応接間を出て廊下を歩き、執務室に入った。するといつも通り仕事をしているエミルの姿が見える。


「総大将、ご無事で何よりです」


「ああ」


 俺が領主の席に座ると、エミルが決済の必要な書類を持ってきた。俺は集中して書類を1枚ずつ読み始めた。


「……ウェンデル公爵との会談の結果はどうなりましたか?」


 エミルが無味乾燥な声で聞いてきた。俺は書類に目を向けたまま「同盟を結ぶことにした」と答えた。


「同盟……ですか。案外上手くいきましたね」


 いつも冷静なエミルが、今回は少し驚いたようだ。俺は微かに笑った。


「しかもただの同盟ではない。ウェンデル公爵は……俺に伯爵を爵位を約束した」


「ほぉ……」


 エミルが腕を組む。


「確かに彼の権限を持ってすれば可能な話ですが、予想外ですね」


「俺も驚いたよ。まあ、公爵の方も……俺を上手く利用するつもりだろうけどな」


 俺の言葉にエミルが頷く。


「互いに利用価値があるうちは、同盟も機能するでしょう。問題は2人きりになった時です」


 エミルが冷たい声で言った。


 アップトン女伯爵の時とは違う。ウェンデル公爵はこの王国の頂点の1人だ。つまり……俺が王国の頂点になるためには、彼を倒さなければならない。


 ウェンデル公爵も、俺の野心に気付いているはずだ。エミルの言った通り、この同盟は『2人きりになるまで』という期限付きだ。


「しかし……」


 俺は書類から目を外して、エミルを見つめた。


「爵位がそんなに大事なのかな?」


「もちろんです」


 エミルが即答する。


「大半の貴族にとって、平民はただの道具でしかない。道具と対等な関係を築く人間はいません。爵位がないと無視されるだけです」


「それはそうだろうけど」


 ふと『デイナ・カーディア』を思い出した。あの長い金髪の少女は……俺との縁談から必死に逃げようとしていた。大貴族として、平民との縁談などあり得ないと思っているからだ。自分の領地が疲弊し、多くの平民が苦しんでいるのに……彼女はそんなことなど気にもしていない様子だった。


 それが普通だ。普通の貴族の反応だ。シルヴィアやハリス男爵みたいな人が例外なのだ。


「身分制度か……」


 俺は少し考えてから、エミルにもう1度質問した。


「なあ、エミル。もし俺が王国の頂点になれば……身分制度を廃止することができるかな?」


 エミルはじっと俺を見つめてから、口を開く。


「今の時代では無理です」


「今の時代では?」


「はい」


 エミルが頷いた。


「たとえ総大将が現在の貴族たちを皆殺しにしても、新たな特権層が現れるだけです」


「ふむ」


「あれだけ大きな変化をもたらすためには、根本的なところから変えなければなりません」


「根本的なところか。例えば?」


「教育です」


 エミルが書類を手放して説明を続ける。


「大半の平民は、高等な知識を学ぶ機会すらない。ゆえにいくら平民が反乱を起こしても……大体局地的な破壊しか生まない。そして結局は知識層が新たな特権層になるわけです」


「なるほど」


「知識は力ですからね」


 俺の師匠、鼠の爺もそう言っていた。知識は……王国をも破壊できる力だと。


「つまり……平民たちに教育の機会が与えられない限り、身分制度は変わらないわけか」


「その通りです」


 エミルが少し満足げに頷く。


「仮に今すぐ全ての平民に教育の機会が与えられても、身分制度が変わるためには時間がかかります。人々が変化を受け入れる時間が必要だし、身分制度を代替するものを考案しなければなりませんから」


「どれくらいかかるんだ?」


「さあ、それは私にも……」


 珍しくエミルが肩をすくめる。


「たぶん数百年ではないでしょうか」


「数百年か」


 俺は苦笑した。


「じゃ、俺の生きている間には無理だな」


「そうです。しかし……未来へ繋ぐ1歩を踏み出すことはできる」


 未来か。またエミルにしては珍しい言葉選びだ。


「歴史的な観点からすれば……総大将も私も、過去の人々から託された歴史を少しだけ前進させて……未来の人々に託すだけの存在です」


「なるほどね。ちょっと気に入らない言い方だが、その通りかもしれないな」


 俺は笑った。


「でも……俺はただ歴史の道具になるつもりはない。思う存分に暴れてやるつもりだ」


「それで十分です」


 俺とエミルは会話を終えて、各々の仕事を再開した。

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