第245話.踊り子の本音
ウェンデル公爵との秘密会談が無事に終わり、俺は自分の領地に戻ることにした。
ちょっと無理な日程だったけど、会談の成果は結構大きい。俺とウェンデル公爵は短い会話を交わして、互いの人物象を探り……対等な同盟を結ぶことにしたのだ。
ウェンデル公爵はこの王国の頂点の1人だ。彼の協力があれば、王都に進出するための『大義』が手に入る。つまり……王都への道が開かれたわけだ。
頭の中でこれからの戦略を描きながら、俺は西へ進んだ。1日でも早く領地に戻って作戦を立てておきたい。
俺がケールに乗って先頭を走り、トムと白猫とオリバーが各々の馬に乗って俺の後ろを走った。馬車を捨てたから移動速度が上がったけど……このまま長期間の旅をするのはいろいろ不便だ。
夕焼けが空を赤く染めた頃、俺たちは道路の近くの小川で野営地を作った。今夜はここで野営した方が良さそうだ。
まず焚き火を作ってから、小さな天幕を4つ張った。それからトムとオリバーがお湯を用意して、簡単に夕食を済ませた。
食事の後、俺はトムを見つめた。
「トム、食料はどれくらい残っているんだ?」
「ギリギリ2日分残っています」
「そうか」
やっぱり馬車が必要だ。クレイン地方に入ったら、まず馬車から購入しよう……と俺は思った。
「あーあ、疲れた」
俺の隣から、白猫が伸びをする。まるで本物の猫みたいな仕草だ。
白猫は悪い笑顔でトムに近づき、彼の肩に手を乗せる。
「私はこれから川で体を洗うんだけど……トムちゃん、一緒に行かない?」
「結構です!」
トムがきっぱりと断ると、白猫は「あら、残念ね」と笑って川の方に向かう。
少し間を置いてから、トムが俺に向かって頭を下げる。
「申し訳ございません、総大将」
「ん? どうして俺に謝るんだ?」
「それが……」
トムが軽くため息をつく。
「今回の任務中に、白猫さんとは可能な限り友好的な関係を築こうとしましたが……どうも自分には無理だったみたいです」
「いやいやいや……」
俺は苦笑した。
「白猫の言動を真面目に受け止めるな、トム。はっきり言って時間の無駄だ」
「そう……でしょうか」
「ああ」
俺は頷いてから、近くに座っているオリバーを見つめた。
「オリバーさんもそう思うだろう?」
「は、はい。領主様」
オリバーが少し慌てながら頷く。
「私は……白猫さんのことはよく分かりませんが、ちょっと珍しいお方だと存じます」
「そうだな」
「これは推測ですが……彼女は自分の本心を偽っているのではないでしょうか」
オリバーの言葉を聞いて、俺は内心感心した。彼は俺とほぼ同じ結論に至ったのだ。
そう、白猫は自分の本心を偽っている。彼女の軽い言動は……全て偽装だ。問題は彼女の本心がどんな形をしているのか……その点だ。
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その日の夜……俺は自分の天幕の中で仰向けになって、これからのことを考えた。
領地の管理、軍隊の養成、外交の方針、王都への進出……俺が考えなけらばならないことは山ほどある。24時間なんて、俺には短すぎる。
まずシルヴィアと正式に婚約をするべきだ。身近な問題から解決していこう……と俺は暗闇の中で思った。
ふと風の音がした。いや、これは風の音ではない。誰かが俺の天幕にすっと入ってきたのだ。
「白猫か」
俺が呼ぶと、白猫は「ふふ」と笑い……俺のすぐ傍で横になる。
「ちょっと眠れなくてね。レッド君もまだ寝るつもりはないみたいだし……話でもしようかな、と」
「勝手にしろ」
俺が素っ気なく答えると、白猫が身を寄せてくる。
「正直に言いなさい、レッド君。私と2人きりでいると……つい手を出したくなるでしょう?」
「別に」
「どうして? こんな美人なのに?」
「自分で美人とか言うな」
俺は苦笑してから、白猫の方を見つめた。
「俺が本当に手を出すと、あんたは逃げるだろう。それくらいは知っているさ」
「あら、バレていたんだ」
白猫はいたずらっぽく笑ってから、話題を変える。
「ところで……結局ウェンデル公爵とはどうなったの?」
「同盟を結んだ」
「へえ、意外と簡単だったのね」
「意外と簡単……か。そうだな」
俺は天幕の天井を見つめながら話を続けた。
「ウェンデル公爵は根からの貴族主義者に見えた。『平民が王国の未来を心配する必要なんてない』とか言ったからな。でも……何故か俺のことをすぐ認めてくれた。確かに意外だな」
「レッド君がウェンデル公爵の息子の仇を取ったからじゃない?」
「そうかもな」
ウェンデル公爵は、死んだ自分の息子については一言も言わなかった。そもそも公爵と俺が会談を行ったきっかけは、俺が彼の息子の仇を取ったからなのに……。
「まあ、公爵の方もいろいろ考えているだろう。何しろ……俺の協力を拒んだら、他の公爵たちの手によって破滅するはずだからな」
「そうだね」
白猫が頷いた。
しばらく沈黙が流れた。俺は天幕の天井を見つめて、白猫は俺の横顔を見つめた。オリバーのいびきと虫の鳴き声だけが聞こえてきた。
「白猫」
ふと俺が呼ぶと、白猫がもっと身を寄せてくる。
「どうしたの、レッド君? 私に言いたいことでもある?」
「あんたは……」
俺は少し間を置いてから言葉を続けた。
「あんたは……俺を恨んでいないか?」
「……どうして?」
白猫の声が小さくなる。
「どうして私がレッド君のことを恨むの……?」
「俺があんたの仲間を殺した張本人だからだ」
俺は淡々とした口調で言った。
「昨年、俺を尾行していたあんたは……仲間である『フクロウ』の墓に花を捧げた。青鼠が何と言おうが、あんたは仲間を大事に思っているはずだ」
白猫は何も言わない。
「俺の行動によって、『白蛇』という女性と『フクロウ』が死んだ。それは紛れもない事実だ。だからあんたが俺を恨んでいても……何もおかしくない」
「……恨んだことなどないわよ」
白猫がそう言った。彼女の声は……普段の明るい言動とは違って、どこか悲しそうに聞こえる。
俺は彼女の顔を見つめた。暗闇の中だから表情がよく見えないけど……だからこそ本当の気持ちが話せる。
「どうしてだ? どうして俺を恨まないんだ?」
「レッド君にはちょっと理解が難しいだろうね」
白猫が軽くため息をつく。
「私も、『夜の狩人』のみんなも……人間性を捨てて『冷酷な暗殺者』を続けた。他人の命を軽く思おうとしたのよ。そうしているうちに、自分自身の命も軽く思うようになった」
「白猫」
「いつ死んでも構わない……と思い続けていると、中身が無くなる。人形みたいに空っぽになる」
「あんた……」
「他のみんなのように、私もいつかは誰かの手によって殺されるはずよ。でも恨むつもりはないわ。むしろ感謝するかもしれない。だって、この空っぽみたいな人生を終わらせてくれるんだからね」
白猫が俺から少し離れる。
「フクロウも、白蛇のお姉さんも……同じ思いだったはずよ。だから私がレッド君のことを恨む理由なんてない」
再び沈黙が訪れた。俺と白猫は、互いの息の音に耳を傾けた。
「俺も……かつては似たような人間だった」
俺は小さい声で言った。
「いつも何かをぶっ壊したかった。他人に怒りをぶつけることだけが、生きている意味の全てだった。でも……愛されることによって、俺は変わった」
俺は白猫を直視した。
「あんたも……変われるさ。諦めない限り、人間は変われる」
「嫌だ、レッド君ってば……」
白猫が笑う。
「そんなこと言われると、本気で惚れてしまうじゃない。アップトン女伯爵もそうやって落としたんでしょう? 見た目によらず女たらしなんだから」
「白猫」
「でもね、私は……もう遅いのよ」
白猫の声が少し震える。
「この仮面を外すと、私は崩れてしまう。中身がないからね。青鼠も私も、もう本当に空っぽよ」
「だとしても……」
「黒猫は……私みたいになる前に、レッド君に会えて本当によかった。ありがとう」
そう言ってから、白猫は俺の天幕から出ていった。




