第233話.今年の課題
「この浮気者ぉ!」
応接間の中に、怒りの声が響き渡る。
「もう信じられない!」
声の主は……シェラだ。
シェラはソファーから立ち上がって、俺を睨みつける。彼女の顔色はもう俺以上に赤い。
「何が『説得』なのよ!? 美人だから手を出しただけじゃない!」
「いや、それはちょっと違う」
「言い訳は止めなさい!」
シェラは怒った顔をしているが、彼女の瞳には涙が溜まっている。俺は口を噤むことにした。
「もうレッドの顔も見たくない……!」
シェラが応接間から出た。俺は追いかけようとしたが、傍からシルヴィアが制止してきた。
「レッド様、シェラさんのことなら私にお任せください」
「ああ……そうだな」
俺が直接話すより、シルヴィアに任せた方がいいだろう。
シルヴィアは平静を失わずに、淡々と話を続ける。
「……戦争を回避するために、あの女伯爵といい関係を築く必要があるのは理解できます。流石レッド様です」
「理解してくれてありがとう、シルヴィア」
「しかし」
シルヴィアの声が急に冷たくなる。
「レッド様や皆さんの命を狙った人をあまりにも簡単に許した上に……男女関係に発展したことについては、私も少々抵抗があります」
「シルヴィア……」
「……時間が解決してくれると存じます」
シルヴィアも席を立って、応接間から出た。俺は軽くため息をついた。
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執務室に入ると、いつも通り仕事をしているエミルが見えた。
俺も領主の席に座って、兵舎工事に関する書類を眺めた。仕事に集中して、雑念を忘れたい。
「……大体のことは白猫から聞きました」
ふとエミルがそう言ってきた。
「大丈夫ですか?」
「何が?」
「シェラさんたちにまた散々言われたんでしょう?」
「へっ」
思わず笑ってしまった。
「お前が俺の恋愛まで心配してくれるのか?」
「もちろんです」
エミルは笑わなかった。
「総大将の私生活に問題があると、皆の士気に悪影響を及ぼす」
「そこまで大変なことにはならないさ」
俺は苦笑した。
「シェラもシルヴィアも理解してくれるさ。あの2人と女伯爵が仲良くなるのは……流石に難しいかもしれないけど」
「仕方ありません。人間社会に不和はつきものですから」
「まあな」
俺は肩をすくめた。
「それより……当面の課題は『王都進出』だ」
「はい、その通りです」
エミルが無表情で頷いた。
俺とエミルは……結構以前から『新しい王国を作るための計画』を立てておいた。俺の戦略は、その計画を元に決められる。
その計画の第1段階は『俺の力を大貴族たちに示すこと』だ。これは昨年の戦争で見事に成功し、俺の名前は公爵たちの耳にまで届いた。
そして計画の第2段階である『王都進出』が……今年の課題だ。
「アップトン女伯爵との同盟がより強固となった今、後方の領地が攻撃される心配はほぼ無くなりました。今こそ前へ……王都へ進むべきです」
「ああ」
王国の真ん中に位置している王都は、まさに心臓だ。戦乱で疲弊しているとはいえ、まだ王都の影響力は絶対だ。
王都を制圧する者こそが……王国を制圧する。俺も、大貴族たちも……その事実をよく知っている。
「最大の問題は、我々の本拠地である『ケント伯爵領』から王都までの距離です」
エミルが地図を持ってきて、俺の机の上に広げた。王都とその周辺が詳しく描かれた地図だ。
「『ケント伯爵領』と王都の間には、広大な『クレイン地方』がある。クレイン地方の統治者である『カーディア女伯爵』は我々に対して協力的ですが、それでも王都まで遠い」
「そうだな」
昨年の戦争で、『カーディア女伯爵』は俺の力を直接経験した。もう俺と戦うのは自殺行為だと分かっているだろう。
「協力的なのはいいけど、しつこく縁談を持ってくるのは嫌だな……あの『金の魔女』」
「縁談なら、これからも数えきれないほど受けるはずです。覚悟しておいてください」
「へっ」
つい笑ってしまったが、本当に覚悟するべきかもしれない。
「やっぱり王都の周辺に拠点が欲しいところです」
エミルは真面目な顔で地図を見つめながら、王都の北を指さす。そこは……『ウェンデル公爵領』だ。
「『ウェンデル公爵』は『3公爵の抗争』で大打撃を受けて、勢力が弱まっています。彼を傀儡にするか、または排除して……王都の北に拠点を作る。それが現時点での最善策です」
国王の座を巡って、3人の公爵が今も戦っている。いわゆる『3公爵の抗争』だ。そして『ウェンデル公爵』は大きな戦闘で敗北し、『3公爵の抗争』から脱落する寸前だ。
「……来週まで待つ」
俺は地図を見つめながらそう言った。
「来週までに返事がこないと……やつを武力で排除する」
「はい、その方がいいでしょう」
『ウェンデル公爵』は、大貴族としては珍しく義理堅い男だと聞いた。そして彼は『平民の野心家』である俺を信用する気はないようだ。つまり……傀儡にすることも、説得することも難しい。
やつとの戦争は避けられないだろう。ならば徹底的に破滅させるだけだ。俺はそう判断した。
「レッド君」
その時、執務室の扉が開かれて……長身の女性が入ってきた。白い眉毛が目立つ妖艶な美人……白猫だ。
「仕事なんかしてる場合なの? シェラちゃんが凄く怒っているわよ」
白猫が俺の席に近づいて、いたずらっぽい笑顔でそう言った。俺は苦笑するしかなかった。
「分かっているさ。でも今は放っておくしかないじゃないか」
「まあね」
白猫がニヤリと笑う。
「やっぱりレッド君って面白いわね」
「何がだ?」
「赤竜のくせに子猫ちゃんたちに弱いなんてね」
「うるさい」
俺はため息をついて、席から立ち上がった。今日は体を動かしたい。訓練場で木剣でも振ろう。
「あら、レッド君……まさか怒ったの? お姉さんが悪かった」
「誰がお姉さんだ」
俺は白猫を無視して、訓練場に向かった。
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それから3日後……やっとシェラの怒りが収まった。俺は安堵した。
しかしその日の午後、俺は軽い衝撃に包まれた。王都から使者が来たのだ。しかもそいつは……自分が『ウェンデル公爵』の使者だと名乗っていた。




