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第231話.『銀の魔女』との対決

 城内は静まり返った。ついさっきまでの乱闘が嘘みたいだ。


 廊下の向こうに、4階への階段が見えた。薄暗くて長い階段だ。俺と『夜の狩人』の3人は、しばらく一緒に階段を見つめた。


「……ここから先はお前の戦いだ、レッド」


 青鼠が言った。


「敵を説得するとか……私にはどうも理解できない。でも『夜の狩人』の頭領はお前だ。どんな形であれ……必ず勝って来い」


 それを聞いて、白猫が頷く。


「その通りよ。せっかくお姉さんが頑張ったんだから、ビシッと決めてきてね」


 姉の言葉が終わると、黒猫が俺に近寄る。


「頭領様……無事で戻ってきてください」


「ああ、心配するな」


 俺は黒猫の頭をもう1度撫でてやった。形は違うけど、『夜の狩人』の3人はみんな俺を応援してくれている。


 やがて俺は階段を登り……4階に上がった。


---


 4階は薄暗くて広かった。


 部屋が少ない。廊下の左右にそれぞれ1部屋、そして正面に大きな部屋があるだけだ。


 俺はゆっくりと歩いて、正面の部屋に向かった。たぶんあれが領主の執務室なんだろう。


「レッド様」


 大きな扉の前で、小柄の女性が俺を待っていた。アップトン女伯爵の副官……トリシアさんだ。


 俺が近づくと、トリシアは深く頭を下げる。


「ご訪問、感謝申し上げます」


「ああ、派手に歓迎されたよ」


 俺がいたずらっぽく言うと、トリシアがもう1度頭を下げる。


「申し訳ございません。あれはグレン男爵の独断を止められなかった私の過ちです」


「いや、別にいいんだ」


 俺は笑った。


「軽い冗談だった。むしろ俺の方は楽しませてもらったよ」


「……ありがとうございます。では、こちらへ」


 トリシアが扉を開けて、俺たちは一緒に部屋に入った。


 広い部屋の中も薄暗かった。本棚、会議用の机、女神の銅像などがあるけど……薄暗くてはっきり見えない。大きな窓から日差しが入ってきているが、それでも部屋の中を明るくするには物足りない。


 そして1人の女性が窓の近くの椅子に座って、外の風景を眺めていた。まるで彫刻みたいな美人だが、無表情で冷酷に見える女性……『銀の魔女』アップトン女伯爵だ。


「では、私はこれで」


 トリシアが部屋を出た。俺は女伯爵と2人きりになった。


「久しぶりだな」


 俺は女伯爵に近づいて、空いている椅子に座った。すると女伯爵が冷たい視線で俺を見つめる。


「……其方からは、いつも血の匂いがするんだな」


 それが美しい女伯爵の、挨拶代わりの言葉だった。俺はつい笑ってしまった。


「すまん、あんたの婚約者だった男から派手に歓迎されたんでな」


 冗談のつもりで言ったけど、もちろん女伯爵は笑わなかった。


 少し間を置いてから、女伯爵が首を横に振る。


「いや、違うな。血の匂いがするのは……其方ではなく、私の方だ」


「あんたからは甘い香りしかしないけど」


「そういう意味ではない」


 女伯爵が俺を睨みつけてから、また口を開く。


「私の両親は……信心深くて、優しい人々だった」


 俺はちらっと女神の銅像を見てから、女伯爵の話に耳を傾けた。


「そんな両親が別荘での火事で命を亡くしたと聞いて、私は信じられなかった。でも私の気持ちとは関係なく、それは現実だった」


「……15歳で領主になったんだっけ?」


「ああ、そうだ」


 アップトン女伯爵が小さく頷いた。


「15歳の私は、ほとんど何も分からなかった。領主としての責任感に押しつぶされそうになって、毎日悪夢を見た」


 女伯爵はふと顔を上げて、女神の銅像を見つめる。


「信仰に頼ることもできなかった。何しろ、信心深かった両親が事故で命を落としたからな」


「そうか」


「そしてある日……私は見てしまったのだ」


 女伯爵が唇を噛む。


「私には親戚の叔母さんがいた。優しくて聡明な人で、私にいろんな学問を教えてくれた」


「尊敬できる師匠だったわけか」


「ああ」


 女伯爵の顔が少し暗くなる。


「ある日……悪夢を見て真夜中に目を覚ました私は、この城の廊下をひたすら歩いた。そして偶然見てしまった。叔母さんが自分の部屋で手紙を書いているところを」


「手紙……」


「最初は恋文かもしれないと思った。しかし手紙の書いている時の叔母さんは……とても冷酷な顔をしていた。だから私はその手紙の内容が気になった」


「それでこっそり入って、手紙を読んでみたんだな?」


「……そうだ」


 女伯爵の顔が強張る。


「翌日の午後、叔母さんが席を外した時……私は彼女の部屋に入って、手紙を読んだ。手紙は鍵付き箱の中にあったけど、私は叔母さんが女神の石像に鍵を隠したことを知っていた」


「で、どういう内容だった?」


「意外なことに、それはある男性充ての恋文だった。しかしただの恋文ではなかった」


 女伯爵が微かに笑った。いや、笑ったのではなく……泣く寸前の表情かもしれない。


「手紙には計画が書かれていた。曖昧な言葉を使って遠回ししているが、あれは……」


「……あんたの両親を殺して、あんたから財産を奪おうとする計画か」


 俺の言葉を聞いて、女伯爵の目つきが変わる。いくら『銀の魔女』の仮面をつけていても……その怒りだけは隠せないみたいだ。


「私は……彼女を殺したくて仕方なかった」


「……理解できる」


「でもあの時の私には何の力もなかった。曖昧な手紙1通で彼女を告発したところで、消されるのは私の方に間違いなかった。だから……耐えた。何もなかったように、何も知らない自分を演じた」


 15歳の少女としては……たぶんとんでもない忍耐力だったはずだ。


「3年後……18歳になった私は、ある程度の力を身に付けた。領主としての権威と権力だ。そしてその力を行使し、叔母さんが油断している時を狙い……彼女を拉致して、山に連れていった」


 女伯爵の静かな瞳には、まだ怒りが残っている。


「そこで私は裁判を行った。被告人は叔母さんとその共犯だった。2人の犯した罪の動かない証拠まで用意して、領主としての裁判を行ったのだ」


「なるほど」


「そして2人を処刑した。私がこの手で……直接」


 女伯爵が自分の手を見下ろす。


「あの日から私は、私を害しようとする者を容赦なく殺し続けた。親戚、両親の友人、地位の高い貴族まで……私の財産を狙って、陰謀を企んだ者共を抹殺し続けた」


「『銀の魔女』になったわけか」


「ふふふ……」


 女伯爵が乾いた笑い声を出した。


「そう、私は『銀の魔女』だ。ここの城下町では、親が泣く子供を黙らせるために私の名前を使うみたいだ」


「へっ」


 俺も笑ってから、アップトン女伯爵をじっと見つめた。


「やっぱりあんたは、昔の俺に似ている」


「……どういう意味だ?」


「要するにあんたは……早く死にたいんだな?」


 その言葉を聞いて、女伯爵が目を見開く。


「どうして……それを……」


「俺にも似たような経験があるからな。それに、仲間がヒントをくれた」


 俺は少し間を置いてから、話を続けた。


「俺は見た目がこんなんだから、子供の頃から化け物扱いされた。殴られたり石を投げられたりすることはもう日常だった」


 アップトン女伯爵は口を噤んで、俺の話に耳を傾ける。


「最初は暴力にどう対処すればいいのか、それすら分からなかった。耐えていればいつか終わるんじゃないかな、と思ったこともある。小さなことをきっかけに怒りを感じるようになったけど、何も変わらなかった。でも師匠に出会って……俺は自分が強くならなければ、現実は変わらないと分かった」


 俺は女伯爵を凝視した。


「しかし俺が強くなればなるほど、俺の怒りもどんどん強くなっていった。俺はいつも何かをぶっ壊したい気持ちだった。俺を苦しめた連中を全部ぶっ殺してやると、何度も何度も誓った」


「それで、復讐したのか?」


「ああ、もちろんだ。俺をいつも殴った4人を半殺しにしてやった」


 俺は3年前のことを思い浮かべた。


「でも俺の怒りは消えることなく、むしろ大きくなった。俺を罵倒した町の連中はもちろん、俺を見下した貴族共を1人残らず殺してやると……そう思うようになった」


「それは……」


「そう、あの時の俺は知らなかったんだ。俺が本当に嫌悪しているのは……俺自身だったということを」


 俺は微かに笑った。


「弱くて、殴られても何もできなかった昔の俺自身が……嫌いだったのだ。自分を嫌悪しているから、たとえ復讐をしたとしても怒りは消えない。復讐した時の一瞬の満足感……それだけを永遠に追い求める人間。そして心の底では……早く死んでこの苦痛から解放されたいと思っている人間だったのだ」


「……本当に似ているな」


 女伯爵も微かに笑った。


「そうだろう? だがある日……俺は変わった」


「どうやって?」


「1人の少女が俺を助けてくれた」


 俺は黒髪の痩せた少女を思い浮かべた。


「仕事を終えてボロ小屋に帰ると、あの子が無邪気な笑顔で迎えてくれた。そして純粋すぎる愛情を送ってくれた。ただそれだけだ。それだけで俺は変わったんだ」


「そんなことは……」


「無理だと思うのか? 実は俺も不思議だと思っている。『愛されている』ということだけで、俺は自分のことを肯定するようになり……自己嫌悪や怒りに振り回されないようになった」


 女伯爵はどこか疲れたような顔になる。


「では、其方はどうして今も戦っているんだ?」


「ただの怒りではなく、俺自身の本当の欲望と……俺が愛している人々のためだ」


「……信じられない」


 女伯爵が首を横に振った。


「そんな強い人間がいるなんて、信じられない。人間はみんな弱くて……」


「違う」


 俺も首を横に振った。


「それはただ、あんたが自分の弱さを他人から見つけ出そうとしているだけだ。人間は決して弱いだけの生き物ではない」


 女伯爵が唇を噛む。


「そう言えるのは、其方が強いからだ。私には……そんな力がない。私は……変わることなんてできない」


「それも違う」


 俺は席から立ち上がった。


「ハリス男爵、トリシア、グレン男爵……形は違うけれど、みんなあんたのことを心配している。あんたは一瞬たりとも1人だったことがない。ただ……あんたが気付いていないだけだ」


 俺は女伯爵に近づいた。


「分かっている。不安なんだろう? 助けて欲しいけど、自分からは不安で手を伸ばせないんだろう? でもそれではいつまでも不安と自己嫌悪に振り回されるだけだ」


「私は……」


「俺に殺して欲しいんだろう? 『赤い化け物』に『銀の魔女』を倒して欲しいんだろう? 領主としての責任感の強いあんただから、自分で死ぬこともできなく……敢えて俺を裏切って殺されたかったんだろう?」


「私は……」


「勝手に死のうとするな。それはあんたの本当の欲望ではない。自己嫌悪に振り回されているだけだ」


 しばらく沈黙が流れた。


「でも私からは……」


 女伯爵が視線を落とす。


「私からは血の匂いしかしない。たぶんみんな……心の底では私のことを軽蔑しているはずだ」


「最初に言ったじゃないか。あんたからは甘い香りしかしない」


 俺は膝を折って、女伯爵と目線を合わせた。そして彼女の手を掴んだ。女伯爵の手は……冷たかった。


「暖かい……」


 女伯爵が呟いた。


「どうして其方の手は……こんなにも暖かいんだろう」


「俺が強く生きようとしているからだ」


「強く生きる……」


「俺1人の力ではない。俺が愛して、俺を愛してくれる人々の力だ。そしてあんたもその力を持っている」


「……嘘」


 女伯爵が寂しく笑ってから、俺を見つめる。


「では……其方は私のことを愛することができるのか? 『銀の魔女』を本当に愛することができるのか?」


「もちろんだ」


 俺は迷いなく彼女を抱きしめて、その唇にキスした。

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