第230話.こんな緩い連中だったのか?
俺は拳を握り直して、100人の重歩兵を睨みつけた。
やつらは緊張していた。まさか2階の100人が『赤い化け物』に突破されるとは思っていなかったんだろう。『赤い化け物』と本当に戦うことになるとは想像もしていなかったんだろう。
「おい、嘘だろう……」
「2階の連中はもうやられたのか? じゃ、本当にあいつと……?」
自信満々な態度のグレン男爵とは裏腹に、重歩兵たちは怯えている。昨年の戦争で、俺がどんな活躍をしたのか……みんな知っているのだ。
「もうすぐ下からも重歩兵が来る。いくら化け物でも、これで終わりだ」
グレン男爵が冷たく言った。それで重歩兵たちも少しだけ勇気を取り戻す。援軍が来れば勝てるかもしれない……そう思っているはずだ。
「へっ、いいだろう」
俺は笑った。
「あんたの切り札……俺の暴力で叩き潰してやる!」
殺伐とした空気の中で、俺は突進しようとした。しかしその時、後ろから音もなく3人が現れる。こいつらは……。
「まさか……」
俺は驚いてその3人を見つめた。みすぼらしい老人、長身の美人、幼い少女……青鼠と白猫と黒猫だ。
しかも白猫と黒猫はメイド姿だ。黒猫の方は長いホウキまで持っている。いや、あれはホウキではない。ホウキに偽装したハルバードだ。
「やれやれ、長い階段だな」
青鼠が不満げな表情でそう言った。孫娘たちに促され、無理矢理ピクニックに来た爺ちゃんみたいな仕草だ。
3人の出現に驚いたのは、俺だけではない。グレン男爵と100人の重歩兵も、この殺伐とした場所には似合わない『老人と女子供』の出現に気を取られてしまった。
「お前たち……どうしてここにいるんだ?」
俺の質問に、青鼠が微かに笑う。
「もう言ったはずだ。私たち3人なら、女伯爵の城にも潜入できると」
「いや、それはそうだけど……潜入しろと命令した覚えはないんだが」
「待機していろ、と命令した覚えもないんだろう?」
青鼠の答えを聞いて、俺は呆れてしまった。
「おい、そんな適当でいいのか? 『夜の狩人』はこんな緩い組織だったのかよ」
「いいんだよ、別に。頭領に加勢するためだから」
青鼠が俺を見上げる。
「ここでお前が暴れすぎると、余計に恨みを買ってしまうだろう? 汚れ仕事は私たちに任せろ」
「青鼠の言葉通りよ」
白猫が笑顔を見せる。
「レッド君は交渉の準備でもしていなさい。ここはお姉さんが片付けるから」
姉の発言に、黒猫が満足げに頷く。俺は苦笑するしかなかった。
「さて……」
青鼠が余裕のある笑顔を見せる。
「我々『夜の狩人』の力を……新しい頭領に披露するぞ」
青鼠と猫姉妹はゆっくりと歩いて、100人の重歩兵に向かう。この3人からは……戦いへの緊張はもちろん、死への恐怖すら感じられない。
「何だ、こいつら……!?」
グレン男爵が困惑する。
「お前たち……ここにいたら怪我するぞ! 早く出て行け!」
グレン男爵は1歩前に出て、『夜の狩人』の3人に向けて叫んだ。相手が『老人と女子供』だから、せめてもの配慮をするつもりなんだろう。しかし……それはとんでもない勘違いだ。
「ふふふ……隙だらけわね、坊や」
白猫が笑った。そして次の瞬間、彼女はもうグレン男爵の目の前に立っていた。
「な……!?」
グレン男爵が驚愕の表情をすると同時に、白猫は彼の腕を掴んで捻った。見事な関節技だ。
「は、離せ!」
グレン男爵の顔が苦痛で歪む。白猫に完全に制圧されたのだ。100人の重歩兵は慌てるが、もう何もかも遅い。
「……あれ?」
白猫がはっとした顔になる。
「そういえば……こいつが敵大将でしょう? もしかして……もう私たちの勝ち?」
白猫はぱちぱちと瞬きした。自分でも困惑したようだ。
「何しているんだ、白猫。まったく……」
青鼠がため息をつきながら、手で顔を覆う。
「これでは力を披露できないじゃないか」
「だよね……じゃ、どうする?」
「その馬鹿は適当に気絶させておけ。残りを片付けるぞ」
「はーい!」
白猫は右手でグレン男爵の腕を捻ったまま、左手を振るって彼の後頭部を強打した。グレン男爵は何の抵抗もできないまま気を失ってしまう。
「間抜けな大将だな」
青鼠は冷笑してから、100人の重歩兵を見つめる。
「しかし……目の前で大将がやられたってのに、誰1人も戦おうとしないのか。お前らも間抜けな連中だ」
青鼠が挑発しても、重歩兵たちは動かない。もう指示を出す人間がいなくなったし、何よりも……気付いてしまったのだ。目の前の3人が只者ではなく……『化け物たち』だということを。
「へっ……ならこちらから行くぞ」
冷笑と共に青鼠の姿が消える。その直後、先頭に立っていた重歩兵が倒れる。
「うっ……!?」
動揺が広がり、重歩兵たちが戦闘態勢に入る。しかしそれは『老人と女子供』を倒すためではない。『老人と女子供から自分たちの身を守るため』だ。
「ふっ」
青鼠は目にも留まらぬ速さで移動し、拳や蹴りで敵を倒し続けた。あの老人の攻撃は、俺ですら大打撃を受けるほどだ。いくら防具を装備していても、一般兵士が耐えられる威力ではない。
「うおおお!」
数人の重歩兵が白猫を捕らえようとする。青鼠の動きに対抗するのは無理だから、代わりに白猫を狙ったのだ。
「遅すぎるわよ、坊やたち」
しかし白猫は敵の突撃を簡単に避ける。
そもそも白猫は俺より速い。重装備した兵士に掴めるわけがない。
「そんなに遅くては、女1人掴まることもできないわよ?」
白猫は巧妙に動いて、敵のバランスを崩した。そしてすかさず足を攻撃して、重歩兵たちを転ばせる。
「……っ!」
敵が転ぶと、黒猫が突進して……ホウキで敵の頭を殴る。いや、あれはホウキではなくハルバードだ。しかしちゃんと刃の反対側で峰打ちしたから、気絶させただけだ。
猫姉妹は連携して次々と敵を倒した。白猫が敵を転ばせると、黒猫が頭を殴る。簡単だけど効果的な連携だ。
「おい、本当にお前らだけで片付けるつもりか?」
俺は笑いながら前に進み、戦いに参加しようとした。
「赤い化け物まで……」
「む、無理だ……!」
重歩兵たちが俺を見て戦意を失う。
兵士が怯えている時、必要なのは指揮官の激励だ。しかし敵の指揮官はもう気絶している。
「逃げろ!」
敵の誰かがそう叫んだ。それをきっかけに、重歩兵たちが四方八方に散らばる。
「へっ」
青鼠が冷笑と共に戦闘を中止した。猫姉妹も手を止めて、敵の逃走を眺める。
「ありがとう、みんな」
俺は3人に近づいて、礼を言った。すると白猫が笑顔を見せる。
「ほら、お姉さんに任せれば万事解決でしょう?」
「誰がお姉さんだ」
俺は笑ってから、倒れているグレン男爵を見つめた。
「そう言えば……グレン男爵が援軍を呼んだはずだけど、あいつらはどうなった?」
「あの人たちには私と黒猫がお茶を配ってあげたわ」
「お茶?」
「うん」
白猫が笑顔で頷く。
「『夜の狩人』の特製麻痺毒を入れたお茶をね」
「なるほど」
だからメイド姿をしているのか。
「いや、でも……あの毒は結構強いんじゃないのか?」
「大丈夫大丈夫! 前もって薄くしておいたからね。あれで誰かが死んだら、もう自然死だから!」
「そんな無茶な……」
俺が苦笑していると、黒猫が近づいてきた。
「頭領様」
「ご苦労だった、黒猫」
「私……しっかり峰打ちで戦いました」
「ああ、よくやった」
俺は手を伸ばして、黒猫の頭を撫でた。黒猫の顔が赤くなる。
「さて……もう道は開いたか」
廊下の向こうに、4階への階段がある。4階では……『銀の魔女』が俺を待っているはずだ。




