第227話.静かな出陣
その日の夜……俺はベッド室でランタンの明かりを頼りにして、旅の準備をした。
シェラの寝息を聞きながら、旅用の革袋に生活用品や医薬品を入れた。水筒、石鹸、手拭、包帯などなど……。
「よし」
次は着替えだ。俺の体は馬鹿でかいから、現地でサイズの合う服を購入するのは難しい。ちゃんと用意しないと後々面倒くさくなる。
武器は……持っていかないことにした。まあ、一応『パーティー』だからな。兜や鎧も必要ないだろう。
「……ん?」
大体の準備が終わった時、誰かがベッド室の扉をノックした。相当遅い時間なのに、一体誰だ? 俺は扉に近づいて取っ手を回した。
「レッド君」
扉が開くと、鋭い印象の美人が見えた。『夜の狩人』の一員……白猫だ。
白猫は手にランタンを持って、ローブを着ていた。しかしローブの下はいつもの軽い服装だ。もう春とはいえ、夜は結構寒いのに……大丈夫なのかな。
「どうした、白猫? こんな時間に」
「シェラちゃんは寝ているんでしょう? ちょっと話があってね」
「何の話だ」
「とにかくついてきて」
白猫が妖艶に笑う。本当に何を考えているのか分からない人だ。
仕方なく俺は白猫と一緒に薄暗い城の廊下を歩いた。警備に当たっていた兵士たちが俺を見て頭を下げる。そしてその直後、白猫の方を不思議そうに見つめる。やれやれ……また変な噂が流れそうだな。
俺と白猫は2階の端まで行き、空いている客室に入った。訪問客のための客室だ。広くて、綺麗に整頓されている。
「……こんなところで話す必要があるのか?」
「ふふふ」
白猫は笑ってから、ランタンをテーブルに置く。
「バルコニーだと、またシルヴィアちゃんに見られるかもしれないでしょう?」
「知っていたのか」
俺が軽くため息をつくと、白猫はローブを脱いで体を寄せてくる。
「実はね、レッド君が明日旅に出る前に……やっておきたいことがあるわ」
白猫から甘い香りがする。俺は思わずときめいてしまった。
「それは……」
白猫がもっと近寄る。まるで俺の懐に飛び込む勢いだ。
「……これからの『夜の狩人』の方針について、みんなで会議!」
「はあ? 会議?」
俺が眉をひそめると、白猫が高笑いして俺から離れる。
「レッド君、もしかして変な期待したの?」
「してない」
「ふふふ……もうすぐ青鼠と黒猫も来るよ」
白猫はいたずらっぽく笑い続ける。何がそんなに面白いんだ、まったく。
数秒後、2人が客室に入ってきた。みすぼらしい老人と、幼い少女……青鼠と黒猫だ。
「もう来ていたか」
青鼠が薄笑いを浮かべて俺を見上げる。
「レッド、お前……白猫と2人きりになって、変な期待していたんだろう?」
「してない」
俺はもう1度否定した。
黒猫は少し離れたところから、怪訝な顔で俺を見つめる。早く話題を変えないと。
「とにかく……会議ってのは何だ?」
俺の質問に、青鼠が嘲笑する。
「白猫の戯言に騙されるな、レッド。『夜の狩人』に会議なんて存在しない。頭領の絶対的な命令があるだけだ」
「ったく……」
俺は白猫を睨みつけた。彼女は声を殺して笑う。
「じゃ、どうして俺を呼び出したんだ?」
「お前の命令が必要だ」
青鼠は腕を組んで冷たく言った。
「お前はアップトン女伯爵の城に向かおうとしている。しかし何の策も無く敵の城に突入するのは笑止千万だ」
「じゃ、あんたには策があると?」
「もちろんだ」
青鼠がニヤリと笑う。
「私たち3人なら、アップトン女伯爵の城にも潜入できる。お前が暗殺を禁止するのなら、別の工作を仕掛けるさ」
「別の工作?」
「例えば、向こうの重要人物を拉致して交渉を有利に進めることもできる」
「いやいや……」
俺は首を横に振った。
「俺も以前、別の事件で拉致を試みたことがあるけど……あの時とは状況が違う。何しろ、アップトン女伯爵は同盟だ」
「その同盟がお前の暗殺を企んだぞ」
「ああ、立派な背信行為だった。しかし俺は女伯爵を説得して、この同盟を維持するつもりだ。余計に刺激すれば……交渉に悪影響を与えるだけだ」
「ふん」
青鼠が鼻で笑った。
「赤い化け物がいつから平和主義者になったんだ? 滑稽だな」
「別に平和主義でも何でもないさ」
俺も笑った。
「信じていい。俺より戦いが好きなやつはいない。ただ無暗に戦うイノシシではないだけだ」
「……ま、よかろう」
青鼠が視線を逸らす。
「そこまで言ったからには、やり遂げて見せろ。そして……『夜の狩人』の頭領だから、無様な死に方はするな」
「分かったよ」
俺の答えを聞いて、青鼠は部屋から出た。白猫もしばらく俺を見つめてから部屋を出た。
薄暗い部屋の中には、黒猫と俺だけが残った。
「頭領様」
黒猫が視線を落としたまま、小さい声で俺を呼んだ。
「私は……私は……」
黒猫は何か言おうとしたが、すぐ口を噤む。
「何だ、気軽に言ってみろ」
俺はなるべく優しく言った。すると黒猫が俺を見上げる。
「私は……頭領様がいなくなるのは嫌です。だから……いなくならないでください」
「もちろんだ」
俺は笑顔を見せてから、黒猫の頭を撫でた。
「覚えているか? お前が逃げることもできない時は……」
「頭領様が駆け付けてくださいます」
「ああ、そうだ」
俺は頷いた。
「俺は、言ったことは守る。だから安心しろ。俺が必ず駆けつけてやるから」
「……はい」
やっと黒猫の顔が明るくなる。
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翌日の朝、俺はトムや100人の精鋭部隊と一緒に城を出た。黒い軍馬『ケール』に乗って、ゆっくりと道を進んだ。側近たちとメイドたち、城の兵士たちが俺を見送ってくれた。
城下町の領民たちも城の前に集まって、俺を見上げた。彼らの顔は明るかった。まるで……俺こそが彼らの希望であるように。
やがて俺はみんなを後にして、町から離れた。俺の前には、青い空がどこまでも続いていた。




