第225話.意外な訪問者
しばらくして、トムが火災現場に到着した。
「総大将!」
トムは1人ではなかった。数人の兵士と医者を連れてきたのだ。
「いい対応だ、トム」
俺はお婆さんと子供を医者に任せた。2人の顔色は大分よくなっていた。
トムは兵士たちを連れて、早速火災鎮圧に取り掛かった。城下町の領民たちも水桶などを持ってきて、トムたちを手伝ってくれた。このままだと……被害が拡大する前に早期鎮圧できそうだ。
「レッド!」
聞きなれた声が俺を呼んだ。振り向くと、シェラとシルヴィアが俺に駆けつけてきていた。
「火災はどうなったの!? 怪我人は!?」
俺に近寄って、シェラがそう聞いてきた。俺は笑顔を見せた。
「心配するな。見ての通り、火災は早期鎮圧できそうだ。怪我人もない」
「そうか……よかった」
シェラが胸を撫で下ろす。シルヴィアも軽く安堵のため息をつく。
「じゃ、レッドは大丈夫?」
その質問に俺は笑ってしまった。
「どうしてそこで俺の心配をするんだ?」
「それは当然でしょう!?」
シェラが目くじらを立てる。
「あんたのことだから、自ら火災現場に飛び込んだに違いない!」
シェラが確信に満ちた声でそう言うと、シルヴィアも頷く。
図星を突かれた俺は……反論を諦めて自己申告することにした。
「まあ……背中にちょっと傷を負ったけど、大したことないさ」
「ほら、やっぱり!」
シェラとシルヴィアが俺に飛びかかって、背中の傷を確認する。俺は大人しく2人の婚約者に治療を任せた。
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翌日、俺は執務室でトムから報告を聞いた。
「原因を調査した結果、完全なる事故だったと判明されました」
「そうか」
俺は頷いた。
冬には暖炉などを常に使うし、空気が乾燥しているから火災が起こりやすい。ある程度は仕方ないことだ。
「被害を受けた民家は3軒、その内2軒の被害は軽微です」
「よくやった」
トムの素早い対応のおかげで被害を最小限に抑えた。
「被害者の救済は?」
「家を建て直すまで、隣人たちが被害者家族を支援することになりました」
「俺の方からも支援しよう。シルヴィア」
俺は右の席に座っているシルヴィアを呼んだ。
「城の管理費用にまだ余裕があったはずだ。そこから3ヶ月分の生活費を支援するように」
「かしこまりました」
シルヴィアが即座に支援金の支給書類を作成した。
やがて報告が終わり、トムが執務室から出た。俺はエミルの方を見つめた。
「エミル」
「はい」
エミルが書類に目を向けたまま答える。
「どうしましたか?」
「何も言わないのか? 俺が火災現場に飛び込んだことについて」
「どうせシェラさんたちに散々言われたはずです」
エミルが冷たく言うと、シルヴィアが声を殺して笑った。俺も苦笑するしかなかった。
それからしばらく、俺たち3人は書類仕事を続けた。暖炉と羽ペンの音だけが流れた。やっと静かで平穏な雰囲気が戻ってきたのだ。
しかしその雰囲気は長く続かなかった。いきなり執務室の扉が開かれて……誰かが急ぎ足で入ってきた。
「総大将!」
その誰かはトムだ。俺は眉をひそめた。
「どうした、トム? まさかまた火災じゃないだろうな?」
「いいえ、違います!」
トムが首を横に振る。
「境界地帯の部隊から連絡が入りました! アップトン女伯爵の使者を名乗る者が、通行許可を求めているとのことです!」
「アップトン女伯爵の……使者?」
俺は少し驚いて、エミルの方を見つめた。しかしエミルにも心当たりがないようだ。
「……分かった。使者を通すように指示しろ」
「はっ!」
俺の命令を聞いて、トムが素早く執務室を出る。
「どういうことだ……?」
俺は首を傾げた。
「エミル、アップトン女伯爵からの事前連絡は?」
「皆無です。使者の派遣なんて、聞き及んでいません」
「だよな」
事前連絡も無しに使者を送ってくるなんて、一体どういうつもりだろう?
「アップトン女伯爵……」
俺はしばらく考えにふけった。
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そして数日後……アップトン女伯爵の使者が、俺の執務室を訪れた。
「あんたは……」
俺は使者を見つめた。賢そうな30代の女性で、見覚えがある。確か名前は……。
「トリシアだったけ?」
「はい」
30代の女性……トリシアが丁寧に頭を下げる。
「お久しぶりでございます、レッド様。アップトン女伯爵様の副官を務めておりますトリシアと申します」
「久しぶりだな」
俺は記憶を辿ってみた。『金の魔女』との戦争をしていた頃、このトリシアがアップトン女伯爵の意見を俺に伝えてくれた。
「事前連絡も無く、こうして無礼を働いてしまったこと……深くお詫び申し上げます」
「別にいい。それより、どういう用件だ?」
トリシアは俺の質問に答える前に、エミルの方をちらっと見る。
「大変申し訳ございませんが……レッド様、2人だけでお話できますでしょうか?」
「分かった」
俺が目配せすると、エミルが執務室を出た。それで俺はトリシアと2人きりになった。
「じゃ、用件を言ってくれ」
「はい」
トリシアは何かを決心したような顔で俺を見つめる。
「実は……この訪問は、私の独断です」
「……アップトン女伯爵の指示ではないと?」
「はい」
トリシアが頷いた。
「ですから、こういうことを申し上げるのは大変不躾なお願いだと存じておりますが……どうか……」
トリシアの瞳に涙が溜まる。
「どうかアップトン女伯爵様を……ニーナを……お許しください」
トリシアが深々と頭を下げる。
「ちょっと待ってくれ」
俺は冷たく言った。
「『許す』という言葉は、アップトン女伯爵の背信行為に対してか?」
「はい」
「じゃ、アップトン女伯爵本人が謝るべきだろう? あんたじゃなくて」
「あの子は……自分を見失っています」
トリシアが手で自分の涙を拭う。
「このままだと、ニーナはレッド様との交渉にも応じず……戦争を起こして破滅するでしょう。ですから……どうかニーナを止めてくださいませ」
その言葉を聞いて、俺は眉をひそめた。
「話が見えない。もっと具体的に言ってくれ。俺にどうして欲しいんだ?」
「かしこまりました」
トリシアが姿勢を正した。
「今回の交渉は、私が命をかけてでも成立させます。そしてレッド様には、交渉の場でニーナを説得して頂きたく存じます。お願い申し上げます」
「なるほど」
俺は頷いた。
「つまり……アップトン女伯爵を許して、彼女が戦争を起こさないように説得してくれ……ということだな?」
「仰る通りです」
トリシアがもう1度頭を下げる。俺はそんな彼女をじっと見つめた。
「トリシアさん」
「はい」
「俺はアップトン女伯爵の行動に怒っている。そう簡単に彼女を許すと思うのか?」
「……レッド様のお怒りを鎮めるためなら、私は処刑されても結構です」
「へっ」
俺は笑ってしまった。
「何言ってるんだ? トリシアさん」
「私は命をかけても……」
「あんたが死ねば、誰が交渉を成立させるんだ?」
その言葉を聞いて、トリシアの顔が明るくなる。
「それでは……」
「まあ、俺も戦争は避けたいところだ」
俺は席から立ってトリシアに近づいた。
「あんたの願い通り、説得してみるよ。いい結果が出るとは断言できないけどな」
「……本当に……感謝申し上げます!」
トリシアは涙を流しながら頭を下げる。俺は少し間を置いてから口を開いた。
「あんた、アップトン女伯爵とは昔からの付き合いか?」
「はい」
トリシアが微かな笑顔を浮かべる。
「小さかった頃のあの子は、とても優しくて繊細でした。それが……生き残るために冷酷に振る舞って、いつの間にか『銀の魔女』と呼ばれるようになって……」
「そうか」
俺が頷くと、トリシアは視線を落とす。
「ニーナは……自分を見失っています。自分が何を望んでいたのかすら忘れています。しかしレッド様なら……レッド様の器なら、あの子を受け入れられると存じます」
「やれるだけはやってみるさ」
「はい」
トリシアが涙目で俺を見上げる。
「やっぱり……レッド様は信頼できるお方です。誠に感謝致します」
トリシアは何度もお礼を言ってから、執務室を出た。
1人になって俺は、軽くため息をついた。




