第222話.責任、そして信頼
アップトン女伯爵からの返答を待ちながら……俺は静かに過ごした。
朝には書類仕事して、午後には黒猫と訓練をする。それがもう日課になった。
「頭領様、私は部屋に戻ります」
訓練が終わると、黒猫は俺にぺこりと挨拶して自分の部屋に戻る。その姿ももう日常だ。
俺も自分の部屋に戻って、まず体を洗った。あまり汗はかいていないけど。
「レッド!」
シャワー室から出ると、シェラが待っていた。シェラの元気な姿を見ていると、こっちも元気が湧いてくる。
「はい、これ」
シェラが俺に1枚の書類を渡してくれた。
「来週のスケジュールをまとめたの」
「ありがとう。お前はこれから何すんだ?」
「城の管理体制について、メイド長と話してくる」
「そうか。分かった」
シェラの額にキスしてから、服を着替えた。そして一緒に部屋を出て……シェラは2階に、俺は執務室に向かった。
執務室に入ると、エミルの姿が見えた。彼はいつも通り無表情のまま、席に座って仕事をしている。
「さて……」
俺は席に座って、シェラからもらったスケジュール表を眺めた。
「水曜日に裁判が5件……か。多いな」
まあ、裁判は領主としての義務だ。疎かにするわけにはいかない。
「裁判の件、私が代わりに担当しましょうか?」
いきなりエミルがそう言ってきた。俺は少し驚いた。
「いや、俺がやるよ」
「……私に裁判を任せるのは不安ですか?」
「そんなわけがあるか」
俺は笑った。
「お前の判断力は信頼しているさ。ただ、お前に任せた仕事が多すぎるからな。少しは負担を共有しないと」
「そうですか」
エミルが頷いた。
「確かに……私に任された仕事は多いです。軍事や会計以外はほぼ私の担当と言っても過言ではない」
「だな」
「言い換えれば、私の権限が大きいという意味でもあります」
エミルが俺をじっと見つめる。
「もし私が……ルシアンみたいにお金で買収され、主君を裏切ったらどうなさるおつもりですか?」
「お前が? お金で裏切る?」
「はい」
エミルは真面目な顔だ。とても冗談を言っているようには見えない。
しかし俺はつい笑ってしまった。
「いや、そんなわけがあるか」
「どうしてそう言い切れますか?」
「お前がどういう人間なのか知っているからだ」
俺は腕を組んで話を続けた。
「2年前、お前と初めて出会った時から知っているさ。お前はお金で俺を裏切るような人間ではない」
「それは単に総大将の『直感』でしょう? 根拠はありますか?」
「根拠ならある」
俺は笑顔を見せた。
「例えば、お前がいつもパーティーに参加しないのは、ただパーティーが嫌いなだけではなく……賄賂を渡そうとする連中を避けるためでもあるんだろう?」
「それは……」
「確かにお前の権限は大きい。言い換えれば……お前がその気になったら、いくらでも不正な方法でお金を稼げるという意味だ。しかしお前はそうしなかった。今まで、1度たりとも」
俺の説明を聞いて、エミルは微かな笑みを浮かべる。
「最初に出会った時から思ったことですが……総大将は見た目によらず鋭いですね」
「へっ」
「私だって、別にお金が嫌いなわけではありません。ただ今は……些細なことで足を引っ張られるわけにはいかない」
エミルが俺を注視する。
「実は、先週から執拗に私に賄賂を渡そうとする豪商がいましてね」
「ほぉ……で、どうなった?」
「情報部に命令して、その豪商を秘密裏に調査させました。弱点を握って、こちらに協力させるつもりです」
「お前らしいな」
俺は笑った。エミルも小さく笑った。
「他人を操ることはあっても、私が操られるわけにはいきません。それが総大将から大きな権限を頂いた……私の責任です」
「……流石だな」
俺は頷いた。
「お前がそういう人間だからこそ、俺もお前を信頼して仕事を任せられる。ありがとう」
「別に感謝されることではありません」
エミルは書類仕事を再開する。
「私にとって、これは興味深い実験です」
「実験?」
「今の王国を滅ぼして、新しい王国を創建できるかどうかの実験です。総大将の力を利用して思う存分に実験を楽しむつもりです」
「なるほど」
もう1度笑ってから、俺も仕事を始めた。
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夕べになって、俺は執務室から出た。
夕食はシェラ、シルヴィア、タリア……そしてトム、カレン、黒猫と一緒に取った。2階の食堂にみんなで座って、賑やかな雰囲気の中で食事を楽しんだ。
シェラたちは黒猫を囲んで話し合った。女の子たちの会話には終わりがない。俺はなるべく集中して耳を傾けた。
「昨年の旅は楽しかったよね! 今度は黒猫ちゃんも一緒に行こう!」
「おお、それはいいと存じます!」
シェラの提案にタリアが頷く。当事者の黒猫は、ちょっと戸惑っている様子だ。
「旅……ですか?」
黒猫が小さい声で聞くと、シルヴィアが明るい笑顔で頷く。
「みんなで一緒に行きましょう。きっと楽しいはずよ」
「旅の時には……何をしますか?」
黒猫はどこか不安に見える。この子は……『旅』が何なのか本当に知らないのだ。
「旅はね……見たこともない場所、聞いたこともない歌、食べたことのない食べ物などなどを楽しんで……いろんな人々に出会い、いろんな思い出を作ることよ」
シルヴィアの説明を聞いて、黒猫は少し考えてから口を開く。
「その……私も、旅に行ってみたいです」
「うん、みんなと一緒にね」
「はい」
黒猫の顔が少し明るくなった。
この無表情の少女が自ら『やってみたい』と発言したのは初めてだ。シェラたちはもっと盛り上がって、簡単な旅の計画まで立てた。
俺は暖かいスープを食べながら、少女たちも見守った。




