第220話.堂々と
それから数日くらい……俺は黒猫の鍛錬に付き合った。
朝から正午まで、黒猫はシェラたちと一緒に時間を過ごす。そして昼食後は俺と武器庫に行って、自分のハルバードを装備する。
「準備はいいか?」
「はい、頭領様」
黒猫が無表情で頷く。俺たちは一緒に城から出て、北の森に入った。
「ここら辺でいいだろう」
人気のない場所に辿り着いて、俺は黒猫に鍛錬を指示した。別に具体的な指示を出す必要はない。この子は自分に必要な鍛錬が何なのか、もう心得ている。
「……っ」
ほとんど聞こえない小さな掛け声と共に、黒猫がハルバードを振り回す。すると長いハルバードが連続で曲線を描き、凄い風切り音がする。いつ見ても幼い少女とは信じられない怪力だ。
俺の城に来てから、黒猫はどこか元気がなかった。どこか不安に見えた。しかし体を鍛錬していると……この小さな少女の全身は活気に溢れる。堂々と自分の武を世に示す。やっぱりこの子は……。
「頭領様」
一通りの鍛錬を終えて、黒猫が俺に近づく。
「あの……」
「どうした?」
黒猫は何か言いたそうな顔だ。
「何か言いたいことがあるなら、気軽に言ってみろ」
俺はなるべく優しい態度で言った。まあ、俺の外見が怖いから無理かもしれないけど。
「頭領様は私に、もう殺人はしなくてもいいと仰いましたけど……」
「ああ、そうだ。もう誰も殺さなくていい」
「でも……それだと鍛錬する意味があるんでしょうか」
黒猫の顔が暗くなる。やっぱりこの子は……そう思っていたのか。
黒猫は血を吐くほどの鍛錬を重ねて、異常なまでの『力』を手に入れた。この子にとって『力』は、『自分の人生をかけて手に入れた大切なもの』なのだ。
そして前代頭領の青鼠は、黒猫に人々を暗殺させた。黒猫に『お前の力は暗殺をするために存在する』 と信じ込ませた。
つまりこの幼い少女は……『暗殺者ではない自分には、存在意義がない』と思っているのだ。
「違う」
俺は首を横に振った。
「それは違う」
「違いますか?」
黒猫が少し驚いた顔になる。
この子は今……迷っている。俺が道を示さなければならない。
「お前の力は、人を殺すためにあるわけではない」
「では、何のためにあるんでしょうか?」
黒猫が大きな瞳で俺を見上げる。
俺は少し考えてみた。この子が歩くべき道は何だろうか。
「……守るんだ」
「はい?」
「大事な人々を……守るんだ」
俺は黒猫の頭を撫でた。
「お前の大事な人々を、危険から守るのさ。お前の力はそのためにある」
「大事な人々を……」
黒猫は少し考えてから、口を開く。
「私には……お姉ちゃんが大事です。でもお姉ちゃんは私よりずっと強いから、守るより守られる方です」
「そうだな」
俺は笑顔で頷いた。
「じゃ……シェラやシルヴィア、そしてタリアはどうだ? あいつらはお前にとって大事なのか?」
「シェラさんたちは……」
黒猫は少し戸惑った。
「シェラさんたちは、頭領様の大事な人々です。だから私にも大事です」
「俺に大事かどうかは関係ない。お前にとって大事なのかと聞いている」
「私にとって……」
黒猫が視線を落とす。
「シェラさんたちは……いつも私に優しくしてくださいます。私が1人でいると、優しい声で話しかけてくださいます。でも……」
黒猫の顔が暗くなる。
「でも……私は今まで、優しい人々をたくさん殺してしまいました」
「あれはお前の意志ではなかった。違うか?」
「私の意志……?」
「ああ」
俺は膝を折って、黒猫と目線を合わせた。
「お前はお前の意志ではなく、命令されたから殺した。そうだろう?」
「はい、でも……」
「もちろんだからといって全てが許されるわけではない。だけど……お前は変われる」
「変われる……?」
黒猫が俺を直視し、俺も黒猫を直視した。
「これからは誰かを殺すためではなく、大事な人々を守るために力を使うんだ」
「守るために……」
「お前の業は、俺が背負ってやる。だからお前は変わるんだ」
俺はもう1度、黒猫の頭を優しく撫でた。
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次の日から、俺は黒猫に『相手を殺さずに制圧する方法』を教えた。
「まずは武器破壊だ。練習してみよう」
「はい、頭領様」
静かな森の中で……俺は木剣を手にし、黒猫は自分のハルバードを手にした。そして一緒にいくつかの戦い方を練習した。
「上手く相手の武器を破壊すれば、相手の戦闘意思を挫くことができる。有効な手段だ」
「はい」
黒猫は言われた通り、俺の木剣を狙ってきた。少し説明しただけなのに……素晴らしい才能だ。
「次は峰打ちだ」
「峰打ち……?」
「武器が破壊されても戦い続けようとするやつらがいたら、お前のハルバードで峰打ちするんだ。まあ、骨が折れてしまうだろうけど……死ぬよりはマシだ」
「分かりました、頭領様」
黒猫はハルバードの刃の反対側で木を叩いた。この子の怪力なら、大体のやつらは降伏するはずだ。
「……もちろん場合によっては、制圧が困難な時もある」
俺はなるべく正直に言った。
「相手が強すぎて、制圧するのが無理な場合とか……相手の数が多すぎて、一々制圧できない場合もあるだろう」
「そういう時は、どうすればいいんでしょうか?」
「大事な人々と一緒に逃げろ。相手を制圧できなくても、大事な人々が安全ならお前の勝ちだ」
「はい、頭領様」
黒猫は頷いたが、どこか釈然としない顔だ。
「あの……頭領様?」
「何だ」
「もし……逃げることもできない場合は、どうすればいいんでしょうか?」
「逃げることもできない場合……か」
俺は笑顔を見せた。
「心配するな。そういう時は俺が駆け付けてやる」
「頭領様が……?」
「ああ」
「どうして頭領様が……?」
黒猫が怪訝な顔で俺を見上げる。俺はそんな黒猫の頭を撫でた。
「お前の業は、俺が背負うって言ったんだろう? だからこそだ」
「……申し訳ございません、頭領様。私には……理解が難しいです……」
「今はそれでいい」
俺は笑った。
1時間の練習を終えてから、俺たちは城に帰還するために森の中を歩いた。黒猫は相変わらず無表情だが……今日は少し顔が明るい。
「これはまた何の茶番だ?」
ふと後ろから声がした。振り向くと……みすぼらしい老人が俺を見つめていた。
「青鼠」
音もなく俺に近づいてきたのは、『夜の狩人』の前代頭領である青鼠だった。鼠の爺もそうだけど……本当に予測不可能な老人だ。
「もう帰ってきたのか?」
「ああ、『ルシアン』と一緒にな」
青鼠が冷たい笑顔でそう言った。
俺は青鼠に、俺の暗殺を企んだ『ルシアン』という男を捕獲するように命令した。そして今日、青鼠は任務に成功して帰ってきたわけだ。
「で、ルシアンは今どこだ?」
「城の牢獄の中にいる」
「そうか……よくやった。流石だな」
「まあ、生け捕りすることは私の専門ではないけどな」
青鼠は自分の髭を撫でながら笑った。
「ところで、レッド」
「ん?」
「黒猫に『制圧術』を教えるなんて、一体何の茶番だ?」
青鼠の声が急激に冷たくなる。
「黒猫は優秀な暗殺者だ。お前が一言命令すれば、お前の敵を容赦なく殺すはずだ。それを……」
「俺には要らない」
俺は青鼠を睨みつけた。
「俺の敵を殺す時は、俺が直接やる。子供の暗殺者なんて、俺の道には要らない」
「へっ」
青鼠が冷たく笑った。
「今の頭領はお前だから、お前の命令には従ってやる。でも……そんな甘い考えで本当に天下が取れると思うのか?」
「もちろん取れるさ」
俺は即答した。
「青鼠……そもそもあんたはどうして『夜の狩人』が衰退してしまったのか、その理由を分かっていない」
「何?」
「暗殺みたいな方法では……人々を抑圧することはできても、導くことはできない」
俺と青鼠の視線がぶつかる。
「もし俺が暗殺に頼って天下を取ったとしても、人々は俺の天下に反感を持つだろう。それでは俺の王国を作ることもできなく……やがて誰かに排除される結末が待っているだけだ。『夜の狩人』が衰退したようにな」
「へっ」
「だから俺は堂々と戦う。誰が本当の強者なのか、それを万人に示すために……堂々と戦って天下を取って見せる」
「……口だけは達者だな」
青鼠が視線を逸らす。
「まあ、勝手にしろ。どうせ今の頭領はお前だからな」
その言葉を残して、青鼠は城に向かった。
「頭領様」
傍から黒猫が俺を呼んだ。俺が振り向くと、黒猫はそっと手を伸ばして俺の裾を掴んだ。
そして俺たちは一緒に城に向かった。




