第219話.己の存在意義
新年パーティーの翌日、俺は朝から執務室でエミルと相談した。
相談の内容は新築の兵舎の位置についてだ。今年から軍備予算を増強し、追加で兵舎を建設する予定だけど……その位置がまだ決まっていない。
「思い切って、城の外に建設するのはどうだ?」
俺が地図を指さしながらそう言うと、エミルが頷く。
「それも可能ですね。城の近くに小規模の軍事要塞を建設し、有事の際には2ヵ所の兵力を連携運用しましょう」
「じゃ、ここの平地が適切だな」
「はい」
俺の提案にエミルが同意して、大体の位置が決まった。次は建築の専門家たちと直接現場に行って、詳細を決める必要がある。
「新兵の予想人数は?」
「1000人以上期待できます」
「そんなに?」
「はい」
エミルがいつもの無表情で話を続ける。
「ここ最近……総大将の名声の上昇具合は、尋常ではない。乱世を終わらせる英雄だという噂が広まっています」
「その噂、お前が流したんじゃないのか?」
「いいえ」
エミルが首を横に振る。
「ここまで来ると、私が介入する必要もありません。噂が噂を呼んで、王国の隅々まで総大将の名前が届く。正直に言って……私の予想を遥かに超えています」
「ふむ……」
「その理由、お分かりですか?」
「理由?」
「はい」
エミルが俺の顔を直視する。
「総大将の名前がここまで速く広まっているのは……民衆が英雄の出現を願っているからです」
「英雄の出現……」
「前国王が死んでから3年……戦乱は未だに続き、王国は疲弊している。それなのに王族たちは権力争いばかりで、領主たちも自分の身を守ることに精一杯です」
確かにその通りだ。3年前に比べると、この王国の国力は著しく減少した。
「だから民衆はこう考えているんです。『誰でもいいから、早くこの乱世を終わらせてくれ』と」
「……自然な考えだな」
「そしてそんな民衆の耳に、総大将の名前が届いた。『自らの手で盗賊たちを叩き潰し、暴君のケント伯爵や狡猾な金の魔女に勝利し、領地を安定させている赤い化け物の名前』が」
「つまり……俺は彼らにとって、平和をもたらす希望というのか」
「はい」
エミルと俺の視線が交差する。
「民衆も決して馬鹿ではありません。誰が本当の強者なのか、誰が本当に平和のために戦っているのか、誰が本当に自分たちを大事にしてくれるのか……薄々気付いている。だからこそ総大将に希望を託しているのです」
「……へっ」
俺はつい笑ってしまった。誰よりも暴力が好きで、戦いこそ生き甲斐だと思っている俺が……平和の希望とは。
「城下町の領民の間には、もうすぐ総大将が王室から爵位を授けられるという噂も流れています」
「俺が爵位を……?」
「不可能な話ではありません」
エミルが腕を組む。
「もはや王族も総大将の力を無視できません。爵位を餌にして、総大将を部下にしようとする者が現れてもおかしくない」
「なるほど」
聞いてみれば、確かにあり得る話だ。
「もう1度言いますが……総大将の名声の上昇具合は、私の予想を遥かに超えています。このままだと計画を早める必要が……」
その時、執務室の扉が開いて猫姉妹が入ってきた。
「レッド君」
白猫は黒猫の手を掴んで、俺に近づく。
「私たち、次の任務に移るわよ」
「ああ」
俺は頷いた。
「近くの村から調査を頼む。警備の薄い場所を集中的に」
「うん、お姉さんに任せて」
「ところで……」
俺は席から立ち上がって、白猫に近寄った。
「昨日はどうしたんだ? 舞踏会に参加するんじゃなかったのか?」
「ちょっと用事があってね」
白猫はそう答えてから、妹の方をちらっと見る。なるほど……やっぱり妹のことが心配になって宴会場から抜け出したのだ。
俺は黒猫の顔を注視した。いつも通り、エミル以上に無表情な子だ。しかし今日は……何か元気がない。
「黒猫」
「はい、頭領様」
黒猫が俺を見上げる。可愛い少女だけど……無表情すぎて人形みたいだ。
「お前、大丈夫か?」
「はい」
黒猫は抑揚のない声で答える。
「……じゃ、何かやりたいことはあるのか?」
「やりたいこと……?」
「歌を歌いたいとか、お菓子が食べたいとか」
俺の質問に、黒猫は少し考えてから首を横に振る。
「……ありません」
「そうか」
ふと黒猫の手が視野に入ってきた。黒猫の小さな手には……タコができている。
「黒猫」
「はい」
「お前の武器なんだけど、あれはどうした?」
「私の武器は……城の武器庫に預けました」
そう答えた瞬間、黒猫の顔が少し暗くなる。
「じゃ、これから俺と一緒に武器庫に行こう」
「武器庫に……?」
「ついて来い」
俺は黒猫を連れて執務室を出た。白猫も俺の後ろを追った。
階段で1階に降りて、廊下を歩いて西の端まで行く。そこにある大きな倉庫がこの城の武器庫だ。俺が武器庫に近づくと、警備中の兵士たちが頭を下げて武器庫の扉を開く。
真っ暗な武器庫の内部には剣や槍、盾などが大量に積み上げられていた。俺は黒猫の方を振り向いた。
「お前の武器はどこだ?」
「あそこに……」
黒猫が壁の方を指さす。壁には長いハルバードが立て掛けられている。俺はそれを手にした。
「いい得物だな」
とても幼い少女が扱う武器には見えないけど……まあ、いいだろう。
「ほら」
俺は長いハルバードを黒猫に渡した。黒猫は自分の武器を受け取って、怪訝そうな顔で俺を見上げる。
「頭領様……?」
「ついて来い」
俺は黒猫を連れて、今度は城内から出た。もちろん白猫も無言で俺の後を追った。
城の兵士たちが好奇の目で黒猫を見つめた。幼い少女が2メートル以上の武器を手にしているのは、確かに珍しい光景だ。
やがて俺たちは城門を出て、北の森に入った。そして約10分くらい歩いたら、木々に囲まれた静かな場所に辿り着いた。少し寒いけど、風はあまり吹いていない。
「ここなら問題ないだろう」
俺は足を止めて、黒猫を見つめた。
「黒猫」
「はい、頭領様」
「思う存分に武器を振るってみろ」
「武器を……ですか?」
「そうだ」
俺は黒猫の頭を撫でた。
「今まで鍛錬してきたように、武器を振るうんだ。分かったか?」
「……はい」
黒猫は長いハルバードを構えて、太い木の前に立つ。そして全力でハルバードを振り回し、木を攻撃する。
「っ……」
黒猫は自分の背より長い武器を完璧に扱っている。たかが13歳の少女の武とは到底思えない。血を吐くほどの厳しい鍛錬を積んできたんだろう。まるで……昔の俺のように。
「これで……」
幼い少女が力を集中し、一撃を放つ。ハルバードが少女を中心に大きな円を描いて、太い木が両断されてしまう。
「頭領様」
黒猫は手を止めて、俺の方を見つめる。次の指示を待っているのだ。
「もっとやりたいなら、もっとやってみろ」
「……はい」
俺の許可が下りると、黒猫は近くの木に向かってまたハルバードを振るい始める。
「なるほど」
傍から白猫が頷いた。
「妹にとって、戦いは……」
「自分の存在意義だ」
俺は小さい声で言った。
「あの子は他の生き方を知らないし、望んでもいない。体を鍛錬して、武器を振るうことだけが自分の存在意義だと思っている。それを『もうやめろ』とか言って無理矢理やめさせるのは……あまりにも一方的な考えだった」
「そうわね」
白猫は頷いてから、俺を見上げる。
「でも、レッド。どうか妹には……」
「ああ、人殺しはさせないさ」
「……ありがとう」
俺と白猫は一緒に黒猫を見つめた。黒猫は自分の存在意義を世に示すかのように、全力で一撃を放った。




