第211話.化け物でも超人でもない
青鼠が小屋の隅に行き、床に手を伸ばして蓋を開けた。すると地下への階段が現れる。
「ついてこい」
冷たい声で言ってから、青鼠は足を運んで階段を下りる。彼の後を追って地下へ向かうと……広い地下室が見えた。
「こっちだ」
青鼠が懐から鍵を取り出した。そしてそれを地下室の壁の穴に入れると、カチッという音と共に壁が開いた。壁の向こうは……暗い空間だ。洞窟? いや、これは隠し通路だ。
「こんなものが……」
傍からトムが呟いた。ここはただの小屋じゃなかったわけだ。
青鼠は地面に置いてあったランタンを持ち上げ、火をつけてから隠し通路に入った。俺とトム、そして白猫と黒猫もランタンの黄色い光を追って隠し通路に入った。
5人の足音が暗い通路の中に響いた。俺とトムは周りを警戒しながら進んだが、罠はないようだ。
「ここだ」
やがて広い部屋に辿り着いた。正方形の部屋だ。部屋の中央には……井戸みたいなものがある。
青鼠がゆっくりと歩いて、四方の壁についている松明に火をつける。それで部屋の内部が明るくなる。
「ここは……『狩人の住処』という場所だ」
井戸の近くにランタンを置いてから、青鼠が説明を始める。
「我々『夜の狩人』の隠れ家さ。王国各地に多数存在している」
「……ただの隠れ家とは思えないな」
俺は青鼠を見つめながらそう言った。
この正方形の部屋に入るや否や……俺は気付いた。微かだが、壁に血痕が残っている。それも無数の血痕が。
「ああ、ここは『試験場』でもあるからな」
青鼠が頷いてから説明を続ける。
「まず行き場のない孤児たちを集めるんだ。そしてある程度訓練をさせた後、ここで『夜の狩人』の一員を選抜する『試験』を行うのさ」
「……その試験の内容は?」
「『殺し合い』だ」
青鼠がニヤリと笑う。
「『夜の狩人』の一員になるためには、未熟さを捨てなければならない。昨日まで一緒に訓練してきた仲間を迷いなく殺せるかどうか……それが一次試験だ」
俺は猫姉妹の方をちらっと見た。黒猫はもちろん、白猫も強張った顔をしている。白猫の綺麗な瞳も……どこか怯えているように見える。
もしかしたら、いつもの余裕のある態度は全て演技で……今の強張った顔こそ、白猫の本当の姿かもしれない。
「そういう試験を数回受けると、もう誰でも迷いなく殺せるようになる。子供も老人も、善人も悪人も、仲間も敵も関係なくなる」
「なるほど」
「この冷酷さこそ、『夜の狩人』の強みだ」
青鼠が俺に近づく。
「お前、『夜の狩人』を変えるとか言ったな? でも我々は根本的に冷酷な殺人者だ。今更変えることなどできないんだよ」
「違う」
俺が首を横に振ると、青鼠は顔をしかめる。
「何が違うんだ? 言ってみろ」
「少なくとも白猫と黒猫は、ただ冷酷なだけの人間ではない」
俺は猫姉妹を見つめた。
「俺に負けた時……白猫と黒猫は互いを心配した。自分の命よりも姉妹の命を守ろうとした」
「……それはこの2人がまだ未熟だからだ」
「未熟なんかじゃない。あれは人間らしさというのだ」
「へっ」
青鼠が嘲笑う。
「人間らしさだと? この2人はもう何人も殺してきた。そんなものが残っていると思うのか?」
「ああ、もちろんだ」
俺が迷わず答えると、青鼠が苦笑する。
「化け物のくせに人間らしさを語るなんて……やっぱり兄さんの教育は駄目だ」
青鼠は手を伸ばして、部屋の中央の井戸を指さす。
「あれは死体捨て場だ。試験に通過できなかった未熟者は、あの中に入るのさ」
「そうか」
「お前も……あの中に入れてやる」
青鼠の全身から凄まじい気迫が発せられる。凍りつくほど冷たく、気が遠くなるほど真っ暗な気迫だ。
「トム」
俺はトムに大剣『リバイブ』を渡して、青鼠と対峙した。
「かかってこい、化け物」
「ああ」
この青鼠は、俺の師匠と同格の力を持っている。全力を出さないと……一瞬でやられてしまう!
「はあっ!」
俺は全身の力を集中し、青鼠に向かって突進した。そして目に追えない速さで拳を振るったが……もう青鼠はそこにいない。
「うおおおお!」
攻撃がかわされるのは、もう予想済みだ。俺は青鼠の残像を追い続けながら、無数の攻撃を繰り広げた。どんな達人でも受け止められない連続攻撃だが、相手ももう人間の限界をとっくに超えている。
「ふっ」
俺の攻撃と攻撃の間に、青鼠が拳を放つ。正確すぎる反撃だ。
「うっ……!」
俺は腕を上げて青鼠の反撃を受け止めたが、まるで鉄の槌で殴られたような衝撃が伝わってくる。
「『心魂功』の熟練度はなかなかだな」
少し離れたところから、青鼠が余裕のある顔で俺を見つめる。
「しかし……兄さんに言われなかったか? 心魂功を完成させるためには、全ての迷いを捨てなければならない」
「そういえば、言われたような気がするな」
「へっ」
青鼠が口元を歪めて笑った。
「『人間らしさ』だか何だか知らないが……そんなくだらない迷いを抱えている以上、お前は私の相手にならない」
言葉が終わると同時に、青鼠の姿が消える。
「ちっ!」
危険を感じ取った俺は、全速力で防御態勢に入り……ギリギリのところで青鼠の拳を受け止めた。
「くっ……!」
まるで錐に刺されたような鋭い痛みが全身に広がる。そして俺が何か行動を取る前に、青鼠は俺の背後に回り込んでもう1撃を放つ。
「総大将!」
トムが緊迫した声で叫んだ。俺の背中の筋肉は、刃物すら簡単には突破できないのに……青鼠の拳によって深い傷ができてしまった。
「はっ!」
やられてばかりでは駄目だ。俺は苦痛を抑えて反撃を繰り出そうとした。でも青鼠は俺の右脚に蹴りを入れてから、迅速に距離を広げる。
「くっ……」
右脚からも血が出てくる。信じられないほど鋭い攻撃だ。
「私は兄さんとは違う」
青鼠が笑顔で言った。
「真向勝負を楽しんだりはしない。背後を狙って、確実に殺すだけだ。ゆえに敵の返り血を浴びることもない」
「だから『青鼠』か」
俺は苦笑した。
「やっぱり俺の全力では……あんたに勝てないかもしれない」
「もう諦めたのか? 意外と早いな」
「勘違いするな」
俺は姿勢を立て直した。
「今のは俺個人の全力に過ぎない」
「はあ? どういう意味だ?」
「こういう意味だ」
俺は上半身を脱いで、深呼吸をした。すると体の底から少しずつ力が湧いてくる。
これは『人間らしさ』を捨てて得る力ではない。全ての迷いを……雑念、恐れ、不安を全部背負って……尚更進む力だ。そう、これは化け物には使えない力……『人間の底力』だ!
「かかってこい、青鼠」
俺の全身が燃え上がるように熱くなった。まるで俺自身が太陽になった気持ちだ。化け物や悪魔なんて、俺にはもう小さく見える。
「……へっ」
青鼠が冷たく笑った。
「どんな茶番なのかは知らないが……一瞬で殺してやる」
その言葉が終わると同時に、また青鼠の姿が消えた。俺の背後に回り込むつもりだ。しかし俺の全身から出ている熱が……敵の居場所を教えてくれる。
俺は平穏な気持ちで、無言で拳を放った。その拳はゆっくりと進んで、目にも留まらぬ速さで動いている青鼠の体に的中する。
「うっ!?」
俺の拳が届いた瞬間、青鼠は驚愕の表情をする。そしてその直後、彼の体は凄まじい勢いでぶっ飛ばされ、壁に激突する。
「うぐっ……!」
轟音が響き、青鼠は無様に倒れた。
「立てよ」
俺は静かに言った。
「あんたがそれくらいで倒れるわけないだろう? もう1度かかってこい」
「こ……この青二才が……!」
青鼠が苦痛の声を吐いてから立ち上がる。
「調子に乗るな、未熟者め……!」
青鼠はまた目にも留まらぬ速さで動き出し、人間の限界を軽く超えた攻撃を仕掛けてくる。冷たくて、暗くて、鋭い攻撃だ。
だが青鼠は未だに知らない。いくら超人だとしても、彼の力は所詮個人の力……数多の運命から力を得ている俺からすれば、太陽の前の雪に過ぎない!
「はあっ!」
俺は拳を放った。相手の巧妙な動きに惑わされる必要はない。全身全霊の1撃を以って、相手の本質を貫くのみだ!
「がはっ……!?」
俺の拳が青鼠の腹部に刺さり、青鼠が断末魔を上げて倒れる。
「こ、この……」
青鼠はまた立ち上がろうとするが……ままならない。たった2回の反撃によって、彼の冷たい気迫は消えてしまった。
「……俺の勝ちだ」
俺はそう宣言してから、猫姉妹の方を見つめた。
「今日から俺が『夜の狩人』の頭領だ。俺の指示に従ってもらう」
「で、でも……」
白猫が驚愕の表情で俺を見つめる。俺はそんな彼女に近づいた。
「最初の指示だ。青鼠を治療してやれ」
「う、うん……」
白猫は倒れている青鼠に近づいて、彼の状態を確認する。
白猫の妹、黒猫も驚いた顔で俺を見上げていた。俺は幼い少女の頭に手を伸ばした。
「っ……」
黒猫は驚いてビクッとしたが、俺は少女の頭を優しく撫でてやった。
「お前もこれからは俺の指示に従え。そして……もう殺人はしなくていい。分かったか?」
「……は、はい」
黒猫が小さい声で答えた。俺はそれを見て、笑顔で頷いた。




