第205話.聞きたかった情報
12月になってから気温が急激に下がり……雪が降ってきた。
俺は執務室の窓から外の風景を見つめた。城、城壁、城下町、道路、森……何もかも真っ白に染まっていく。大半の領民たちは暖かい毛皮の服を着て、家の中に閉じこもる。でも数人の子供たちは寒さにも負けずに、はしゃいで雪合戦をしている。
「冬だな」
俺は窓から視線を外して、後ろを振り向いた。するとシルヴィアが机に座って会計の仕事をしているのが見えた。
「シルヴィア」
「はい」
シルヴィアが書類に目を向けたまま答えた。俺は彼女に近づいた。
「来年の予算の見積もりはどうなった?」
「完了しています」
シルヴィアは俺に1枚の書類を渡してくれた。
「今年の税収と支出、そしてカーディア女伯爵からの戦争賠償金を元にして推定値を計算しました」
「うむ」
俺は見積書をざっと読んでみた。
「……結構きつい数値だな」
「はい、軍備を増強しなければ余裕が出ますが……」
シルヴィアが言葉を濁す。
来年から軍備予算を5割近く増強することになっている。兵舎を追加で建設し、もっと兵士たちを募集する予定なのだ。そしてそのためには軍備以外の予算を抑える必要がある。
「乱世が終わるまでは仕方ないな」
乱世を終わらせ、平和を成すためには大軍が必要だ。しかし大軍は莫大な維持費がかかるから……長期的に見れば経済を疲弊させ、平和を揺るがしてしまう。この矛盾も乱世の定めだろう。
「それにしても仕事が速いな。助かるよ」
俺は書類に目を向けたまま手を伸ばした。そしてシルヴィアの頭を撫でた。
「れ、レッド様……?」
シルヴィアが驚いた声を出す。俺もハッと気づいて手を引いた。
「ごめん、思わず手が動いてしまった」
「い、いいえ」
シルヴィアの顔が赤く染まる。
シルヴィアは貴族のお嬢さんだし、気品もある。しかし目が大きくて小柄だから、小動物みたいな印象だ。そんな彼女が可愛くてつい撫でてしまった。
「私は大丈夫です」
少し気まずい沈黙を破って、シルヴィアがそう言った。
思ってみれば、シルヴィアとの身体接触はこれが初めてではない。ハリス男爵領で『森林偵察隊』に追われた時、俺は彼女を抱き上げて森の中を走ったのだ。状況が状況だったし、仕方なかったけど。
俺はまだ赤面のシルヴィアを見つめた。この小動物みたいなお嬢さんは、俺の事実上の婚約者だ。身体接触どころか、この場でキスしても俺に文句を言う人はいない。
いや、1人だけいる。それは……と思っていた時だった。いきなり執務室の扉が開いて、誰かが入ってきた。
「しぇ、シェラ?」
俺とシルヴィアはシェラが入ってきたと思って慌てた。しかし入ってきたのは別の人だった。
「総大将」
無表情の痩せた男……つまり俺の参謀であるエミルが俺を呼んだ。
「……エミル、驚かすなよ」
「はい?」
エミルが怪訝そうな顔になる。俺は素早く首を横に振った。
「いや、何でもない。気にするな」
「はい」
エミルが無表情に戻って、俺に近づく。
「実は、少し情報が集まりました」
「情報……」
たぶんエミルの率いる情報部が何か掴んだんだろう。俺はまずシルヴィアの方を振り向いた。
「シルヴィア、今日は本当にご苦労だった。休憩してくれ」
「かしこまりました」
シルヴィアは俺の意図を読んで、素直に書類を整理して執務室から出る。俺は彼女の後ろ姿が見えなくなるまで見守った後、エミルの方を振り向いた。
「で、情報とは何だ?」
「アップトン女伯爵の動向です」
エミルが無表情で口を開く。
「行商人やメイドとして潜入させた情報部員たちから、ついさっき報告書が届きました」
「どういう内容だ?」
「何の変化も感じられない……という内容です」
エミルは無表情で説明を続ける。
「『森の襲撃事件』以後、アップトン女伯爵の方はこれといった動きがありません。ルシアンという男を隠している気配もありません」
「そうか」
俺は腕を組んだ。
『ルシアン』は『森林偵察隊』に嘘の命令を出して、俺を暗殺しようとした犯人だ。しかしやつの単独行動とは思えない。他に『首謀者』がいるはずだ。
その『首謀者』の正体について、俺は同盟の『銀の魔女』……つまり『アップトン女伯爵』を疑った。だが今エミルの話によると、彼女の仕業である証拠は何もないようだ。
「俺の推測が外れたのか」
「そう断言するにはまだ早いです」
エミルが冷静な口調で言った。
「本件はまだ調査中であり、アップトン女伯爵が首謀者である可能性が消えたわけではありません。もっと徹底的に調査する必要があります」
「そうだな」
俺が顔をしかめると、エミルは俺を直視する。
「何か気に障りますか?」
「いや」
俺は首を横に振った。
「お前の言うことは正しい。ただ……俺の性に合わないだけだ」
窓の外の風景を見つめながら、俺は話を続けた。
「一緒に戦った同盟を疑ったり、秘密裏に調査したりするのは……どうも性に合わない」
「同盟のアップトン女伯爵が1番怪しいと言ったのは、他でもなく総大将自身ですが」
「そうだな」
俺は苦笑した。
「それが1番合理的な推測だったからな。でもやっぱり気が乗らない」
「仕方ありませんよ」
エミルが冷酷な顔になる。
「やりたいことだけをやって、見たいものだけを見ていたら……いずれ真実を見失います。一般人ならそれでも結構ですが、指導者はそうなってはいけない」
「ああ、分かっているさ」
俺が求めているのは、強敵や多数の敵と命をかけて戦うことだ。でもそれだけを追求するわけにはいかない。俺の戦いは、もう俺1人のものではないのだ。
「エミル、引き続きアップトン女伯爵に対する調査を……」
心を決めてエミルに指示を出そうとした時、誰かが執務室の扉をノックした。俺が「入れ」と言うと、「失礼いたします」という女性の声とともに1人のメイドが入ってきた。
「領主様」
30代に見えるメイドは、丁寧な態度で頭を下げてからエミルに1枚の手紙を渡す。
「失礼いたしました」
メイドはもう1度頭を下げた後、執務室を出る。俺はエミルを見つめた。
「今の人は情報部員だな」
「はい」
エミルが頷いた。今の女性はただのメイドではない。エミルの率いる情報部の一員だ。
「何か緊急の情報でも入ったのか?」
「そうみたいです」
エミルはメイドからもらった手紙を開けて読み始める。そして数秒後、手紙から視線を外して俺を見つめる。
「総大将が指示した課題の1つが解決されたようです」
「課題?」
「はい、『夜の狩人』の尻尾を掴みました」
エミルの答えを聞いて、俺は目を見開いた。




