第197話.16歳の春
翌日の朝、俺と3人の少女たちはハリス男爵と共に城を出た。そして広大な森の中を一緒に歩いた。
「ご覧の通り……」
ハリス男爵が笑顔で口を開く。
「私の領地はどこもかしこも森だらけです。お世辞にも経済的に豊かとは言えませんが、代わりに自然豊かと言えるでしょう」
俺は頷いた。
「木材の輸出がここの主要産業だと聞いたのに、まだこんなに森が多いんだな」
「まあ……少しずつ森が減っているのは事実です」
ハリス男爵がゆっくりと頷く。
「人口が増えれば増えるほど、森の減少は加速します。100年か200年くらい後には……この地の森も無くなるかもしれませんね」
「なるほど」
この自然豊かな風景も、時間が経つに連れて変わってしまうのだ。当然なことだが、不思議なことでもある。
森の中を進めば進むほど、周りの木々が高くなっていく。人間の身長を遥かに超える巨木がいっぱいだ。
「おお……!」
タリアが声を上げながらキョロキョロする。この小さな吟遊詩人は、見たことのない風景に接するといつも感動を覚えるようだ。
シェラとシルヴィアも興味の目で周りを見回して、話し合う。俺にはよく分からないけど、珍しい植物がたくさんあるそうだ。
「さあ、皆さん! あれをご覧ください!」
ハリス男爵が笑顔で何かを指さす。あれは……とてつもなく巨大な木だ。
「おお……凄い、凄いです!」
タリアが感嘆の声を連発する。
俺とシェラとシルヴィアも感嘆した。灯台より太くて、城の主塔より高い木だ。もう高すぎて全体像がよく見えないほどだ。
「この地方で、いや、この王国で1番高い木です」
「凄いな」
「学者たちの話によりますと、あの木はもう2000年以上前からこの地を見守っているらしいです」
「2000年以上……」
太古から存在しているわけだ。俺が言うのもあれだけど、ある意味もう化け物だ。
「人々はあの木のことを『神聖なる巨木』と呼んでいます。領主は私ですが、この地の本当の主はあの木かもしれません」
ハリス男爵が笑った。
俺たちは『神聖なる巨木』に近づいて、その姿を見上げた。
「く、首が痛いです……!」
ずっと木々を見上げていたタリアが泣き声を出してきて、俺たちは笑った。
「それにしても……凄いな」
想像もできないほど長い年月を生きてきた存在を見ていると……何か人間の争いなんて小さく感じられる。だからこそ『神聖』と呼ばれているんだろう。
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その日の夜、3人の少女たちは早く眠りについた。1日中森を歩いたし、まだ旅の疲れも残っているからだろう。
俺はハリス男爵と2人きりで小さな応接間に入った。その応接間にもいろんな木造彫刻が置かれていた。どうやら木造彫刻はこの城の名物のようだ。
ソファーに座ると、メイドたちがお茶を持ってきた。俺とハリス男爵はお茶を飲みながらいろいろ話し合った。
「レッドさん」
話の途中、ふとハリス男爵が俺を見つめる。
「レッドさんの武勇伝、ぜひお聞かせください! 興味あります!」
ハリス男爵は本当に興味津々な顔だ。俺はつい笑ってしまった。
「武勇伝か……」
自分の過去について話すのは、あまり好きではないけど……この親切な男爵の要請を断るわけにはいかない。
「しかし……どこから話せばいいんだろう」
「なるべく詳しくお願いします!」
「分かった」
俺は淡々とした口調で説明を始めた。今までの戦いについて……なるべく詳しく。
鼠の爺から格闘技を教わったこと、小さな少女を助けたこと、格闘場の選手として戦ったこと、薬物を広げていた組織と戦ったこと、義勇軍を募集してホルト伯爵と戦ったこと、勢力の拡大のためにケント伯爵と戦ったこと……。
「それからはあんたも知っている通りだ。アップトン女伯爵と同盟を結んで、カーディア女伯爵に勝利したのさ」
俺は説明を終えてハリス男爵を見つめた。彼は信じられないという顔をしていた。
「……おお」
やがてハリス男爵が感嘆の声を上げる。
「想像以上、噂以上です……! レッドさんは……歴史書の中の英雄そのものです!」
「いや……」
俺は首を横に振った。
「俺はそんな偉い人間ではない。自分勝手に戦ってきただけだ」
「いいえ……私はとても感激いたしました! 古代英雄の再臨をこの目で見ることができるなんて!」
ハリス男爵は上気した顔でそう言った。俺はちょっと恥ずかしくなってきた。
それからしばらく、ハリス男爵に質問攻めされた。『レッドさんの武器はどこで入手しましたか?』『今までの中で一番強かった敵は?』『もっとも有効な戦術は何だと思いますか?』などなど……俺はなるべく真面目に答えてやった。
「……やっぱりあんたはちょっと変わった貴族だな」
ふと俺はそう言った。
「俺の行動は、貴族社会の秩序を乱している。普通の領主なら俺のことを警戒するはずだ」
「それは……そうかもしれませんね」
ハリス男爵が笑顔で頷いた。
「確かに私は、時々自分が貴族だということを忘れてしまいます。しかしそれはある程度仕方ありません」
「どうしてだ?」
「私は……生まれつきの貴族ではありませんから」
「生まれつきの……貴族ではない?」
俺は目を丸くした。
「どういう意味だ? 詳しく聞かせてくれ」
「……分かりました。レッドさんの武勇伝に比べれば、別に面白い話ではありませんけど」
ハリス男爵はお茶を1口飲んでから、話を始める。
「私は、いわゆる『私生児』です」
「私生児……」
「はい、前代と平民の女性の間に生まれて……ハリス家の一員として認めてもらえず、自分が貴族の血統だということも知らないまま……普通の平民に育ちました」
そうだったのか。俺はハリス男爵の話に耳を傾けた。
「小さな村で母と2人きりで暮らしながら、どうにか生計を立てようとしました。幸い私には……その、彫刻の才能があったらしく、いろんな木造彫刻を作って売りました」
「木造彫刻……?」
俺は驚いて応接間の中を見回した。ここにもいろんな木造彫刻が置かれている。いや、応接間だけではない。この城のあらゆるところに……素晴らしい木造彫刻が配置されている。
「まさかこれらの彫刻は……あんたが?」
「はい、私の拙作です」
ハリス男爵が恥ずかしそうに笑った。俺は首を横に振った。
「いや、素晴らしい彫刻だ。名のある職人の作品に違いないと思っていたよ」
「ありがたきお言葉、感謝いたします」
ハリス男爵の顔が少し赤くなる。
「16歳になるまで、私は彫刻を売って生活しました。そんな私を母と幼馴染がいろいろ手伝ってくれました」
「幼馴染?」
「はい。隣に住んでいた染屋の娘です。別に美人というわけではありませんが、可愛い娘でした」
ハリス男爵が暖かい笑顔を見せた。暖かい日々を思い出しているからだろう。
「しかし16歳の春……全てが変わりました。いきなり兵士たちが現れて、私はこの城に連れてこられたんです」
ハリス男爵が視線を落とす。
「この城で私を待っていたのは、ある貴族の男でした。その男は自分が私の遠い親戚であり……私が前代の私生児であると教えてくれました」
「なるほど」
「それから私はその男の指示に従い、名ばかりの領主になったわけです」
何の力もない私生児を連れてきて、傀儡にしたわけだ。よくあると言えばよくある話だ。
「生活は裕福でしたが、私は自分の意志で部屋から出ることすら出来ませんでした。ひたすら木造彫刻を作りながら、母と幼馴染に会いたいと思うだけでした」
ハリス男爵の顔が少し暗くなる。
「数年後、メイドたちに頼んでこっそりと母に手紙を送りました。そして1年後、今度は母からの手紙が届きました。私はその手紙を何度も何度も読み返しました」
ハリス男爵は袖で目を拭いた。
「そうやって数年に1度くらい、親戚の男の目を盗んで母と手紙を交換しました。母と幼馴染は、私のことを忘れずに待ってくれていました。あの2人に会いたい……という思いを抱えて、私はどうにか耐え続けたんです」
俺は息を殺してハリス男爵を見つめた。
「時間が流れて……私は27歳になりました。もうどれだけ木造彫刻を作ったのか、数えきれなくなった頃……私の人生が、またいきなり変わってしまいました」
「何があったんだ?」
「私を利用していた親戚の男が……伝染病にかかって、いきなり死んでしまったんです」
「そうか」
俺が頷くと、ハリス男爵が話を続ける。
「権力者が急にいなくなり、城は混乱に陥りました。私はどうにかその混乱を収拾して……やっと領主として少し認められるようになりました」
「なるほど」
「そして自由になった私は……故郷に……あの小さな村に駆けつけたんです。母と幼馴染に会うために……」
ハリス男爵の声が震えていた。
「しかしそこで私を待っていたのは……2人の墓でした。親戚の男を殺した伝染病が、母と幼馴染の命まで奪っていったんです」
俺は何も言わなかった。
しばらくの沈黙の後、ハリス男爵が口を開く。
「その後……私は2人を忘れないようにしながら、頑張って生きました。しかし領主としてもう30年も働いているのに……時々忘れてしまいます。自分が貴族だということを」
「そうか」
「現在もたまに木造彫刻を作っています。たぶん私の時間は……16歳の春に止まってしまったんじゃないでしょうか。もうこんなに太ってしまいましたけど」
ハリス男爵が笑った。俺は彼のことが少し理解できた気がした。




