第194話.約束の手紙
城に帰還してから、俺はしばらく領主としての仕事に集中した。
幸い急ぎの仕事はない。俺の不在中、エミルとカレンが頑張ってくれたおかげだ。俺は彼らの報告書を詳しく確認してサインすればいい。
でも2時間くらい報告書ばかり読んでいたら、流石に怠くなってきた。でも仕方がない。これも大事な役割だ。
その時、誰かが執務室の扉をノックした。俺が「入れ」と言うと、巨体の女性が姿を現す。
「団長」
筋肉質の女戦士、カレンだ。彼女は直立不動で俺に報告を上げる。
「今日の訓練が完了しました。負傷者はいません」
「ご苦労」
俺は頷いた。
カレンが来てから、細かい訓練は彼女に一任している。もう10年以上傭兵団の副団長として働いてきたカレンの手腕は素晴らしい。
強い軍隊を作るためには、何よりも士気と規律が大事だ。カレンはその点をよく理解していて、ある程度融通が利くけど規律もしっかり守っている。そういう指揮官は兵士たちから信頼される。
「来週からは、俺も訓練に参加しよう」
「かしこまりました。では部隊の編成を……」
俺がカレンと訓練について話し合っていると、隣の席に座っていたエミルが立ち上がる。
「総大将」
「何だ、エミル?」
「少し休憩を取ってきます」
「休憩? お前が?」
俺は眉をひそめた。エミルが休憩を取りたいと自分から言ってきたのは初めてだ。
「まあ……いいけど」
「では失礼します」
エミルは急ぎ足で執務室を出た。俺は何となく事情が分かってきた。
「カレン」
「はい」
「エミルとの間に何かあったのか?」
俺が質問すると、カレンの顔が暗くなる。
「実は……その……」
カレンは視線を落とす。素晴らしい筋肉を持っている彼女が、今はまるで3割くらい縮んで見える。
「先日……手紙を書きました。参謀殿に」
「エミルに……手紙を?」
俺は目を丸くした。
カレンはエミルに対して好意を持っているが、自分の心を伝えられなくて悩んでいた。だから俺は『手紙を書いてみるのはどうかな』と助言した。そして彼女はその助言を実行に移したのだ。
「で、どうなったんだ?」
「それが……完全に無視されました」
カレンの顔が更に暗くなる。
「城壁の後ろでこっそり会いたいと書きましたが、彼は現れませんでした。そしてその日以来……彼は私のことを避けています」
「そ、そうか……」
俺は困惑した。
「すまない。俺の助言はまったくの間違いだったようだ」
「いいえ、団長のせいではありません」
カレンが寂しい笑顔を見せる。
「やっぱり私に恋愛は似合いません。それだけのことです」
カレンの声にはいつもの迫力がない。俺は思わずため息をついた。
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その日の夜、俺は執務室でエミルと2人きりになった。
シェラとシルヴィア、トムとカレンはもう仕事を終えて各々の部屋に戻った。この時間まで仕事をしているのは俺とエミルだけだ。
俺たちは沈黙の中で書類仕事を続けた。羽ペンの音だけが執務室の中に響いた。
「……エミル」
ふと俺が呼ぶと、エミルが頭を上げて俺を見つめる。
「はい、何でしょうか」
「1つ聞きたいことがあるんだが」
俺はエミルを直視した。
「お前……先日カレンから手紙をもらったんだろう?」
「そのことですか」
エミルが眉をひそめる。俺は少し間を置いてから話を続けた。
「別に部下たちの私生活にまで干渉するつもりはないし、当然お前の選択を非難するつもりもない。でも……カレンのことを一々避ける必要はないんじゃないか?」
「それは仕方ありませんよ」
エミルが冷たい声で言った。
「彼女から果たし状までもらった以上、私から避けるしかありません」
「は、果たし状……!?」
俺は思わず大声を出した。
「果たし状だと……!?」
「はい」
エミルが無表情で頷く。
「言いたいことがあるから城壁の後ろに来い、という内容でした。カレンさんは私のことが嫌いだから、少し痛めつけるつもりなんでしょう」
「お、お前……」
俺が言葉を失うと、エミルが冷静に説明を続ける。
「私はカレンさんの相手にならない。一方的に殴られるだけでしょう。それで暴力事件に発展したら、仕事に支障が出ます」
「いや、だから……」
「だから私としては、なるべく彼女のことを避けるしかないのです。まあ、人間社会に不和はつきものですから……これくらい、どうと言うことではありません」
エミルは説明を終えて、仕事を再開する。
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仕事を終えて、俺はベッド室に戻った。
「遅いわよ!」
シェラがベッドに横になったまま、俺を待っていた。俺は無言で彼女の隣に座った。
「どうしたの、レッド? 顔色が悪いよ」
「いや、ちょっと疲れただけだ」
俺はため息をついてから、シェラの方を見つめた。
「シェラ……」
「ん?」
「エミルとカレンのことだけど」
「あの2人に何かあった?」
シェラ目を丸くする。俺はそんなシェラの手を取った。
「お前が以前言っていた通り……あの2人のことは、俺たちがどうにかするべきかもしれない」
「そうかな……」
シェラが首を傾げる。
「今は私もシルヴィアさんに賛成だけどね。余計に口出ししたら逆効果になるかもしれないし」
「それはそうだけど」
「うん、だからここは2人を信じてみましょう」
「……全然駄目な気がするけどな」
俺は額に手を当てた。
戦場での決断なら誰よりも速いのに、こういうことに関しては俺もまったく正解が見えない。一体どうすればいいんだろうか。
「あ、そう言えば……」
シェラが手を伸ばして、ベッドの上に置いてあった何かを俺に渡した。それは……1通の手紙だ。
「何だ、これは?」
「ハリス男爵からの手紙だよ。ついさっき行商人を通じて届いたの」
「ハリス男爵からの?」
俺は手紙を開けて読んでみた。シェラは好奇の目で俺を見つめる。
「ね、どういう内容?」
「自分の城にぜひ訪問してください、という内容だ」
「城に……訪問?」
シェラは少し驚いたようだ。俺は説明を始めた。
「実は以前、ハリス男爵と約束したんだ。今年中に彼の城を訪問するってな。どうやらあの約束を忘れなかったらしい」
「レッドって……あの男爵と親しかったの?」
「まあな」
俺は軽く頷いた。
「あの男爵は、俺が今まで見てきた貴族の中で1番の人格者だ。彼のおかげでアップトン女伯爵との同盟が上手く機能したと言える」
「そうなんだ。まあ、確かに悪い人には見えなかったね」
シェラも頷く。
「で、どうするの? 彼の城に行くの?」
「今後もハリス男爵の力を借りるかもしれないし、約束は約束だからな。行くしかないだろう」
「じゃ、もちろん私とシルヴィアさんとタリアちゃんも一緒だね!」
シェラが笑顔を見せたが、俺は首を横に振った。
「もうすぐ寒くなるだろうし……お前たちまでついてくる必要はない」
「何言っているの? レッド1人で旅を楽しむなんてズルいよ!」
シェラが口を尖らせる。俺は苦笑した。
「俺はあくまでもお前たちのことを心配して……」
「あ! もしかして……」
シェラは俺の言葉を無視して、いきなり大声を出す。
「もしかして……ハリス男爵との約束は言い訳で、実はあの『銀の魔女』と密会するつもり!?」
「何言ってんだ」
俺はもう1度苦笑したが、シェラは真面目な顔だ。
「私の目は誤魔化せないからね。レッドとあの女の間には何かがある!」
「何かって何だよ」
「私が知りたいの!」
シェラは目を細めて俺を見つめる。
「とにかく、私たちも絶対ついていくからね!」
「……分かった。一緒に行こう」
結局俺は降参した。
数万の敵より、シェラやシルヴィアの方が手強い。たぶん俺が覇王になっても……この事実は変わらないだろう。




