第188話.9月の旅
やがて9月になった。
少しだけど気温が下がって、涼しくなった。まだ日差しは強いけど……旅にはちょうどいい天気だ。
そして旅の前日……俺はエミルとカレンを執務室に呼び出した。
「もう話した通り、明日から旅に行って来る」
俺は2人の顔を見渡しながらそう言った。
「10月半ばに戻ってくる予定だ。それまでの間、2人で協力してこの城を守ってくれ」
エミルとカレンは口を揃えて「はっ」と答える。
「特にエミル」
「はい」
「外交の方を頼んだぞ」
「はい」
エミルが無表情で頷く。
現在、俺は『ウェンデル公爵』との連絡を試みている。『3公爵の抗争』から脱落しそうになった彼を……俺の傀儡にするためだ。
敏感な外交だが、エミルなら上手くやってくれるだろう。
「カレンは兵士たちの訓練を疎かにしないように」
「かしこまりました」
筋肉の女戦士、カレンが直立不動で答える。
俺の軍隊は士気が高いし、規律が整っている。しかし日頃の訓練を疎かにすると……どんな強軍もすぐ衰えてしまう。
ま、カレンなら心配ないだろう。彼女の傭兵としての経験は豊富で、特に歩兵の指揮に関しては俺より上かもしれない。
「うむ……」
俺はもう1度エミルとカレンを見つめた。この2人の能力には何の問題もない。しかし何故か不安が残る。
エミルとカレンは本当に対照的だ。エミルは細い体型で運動嫌い、カレンは筋肉質で活動的だ。エミルは基本的に人嫌いで、カレンは誰とも仲良くなる。そして最後に……エミルはカレンのことが嫌いで、カレンはエミルのことが好きだ。
俺の側近たちの中でも……文官の代表がエミルで、武官の代表がカレンだ。しかしこの2人……本当に協力し合えるのかな。
俺は少し不安を感じたが、敢えて何も言わなかった。
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翌日の朝……青空の下で、俺は城から旅立った。
俺は真っ黒な軍馬ケールに乗って先頭を歩いた。今日はもちろん鎧姿ではなく、普段着のままだ。
俺のすぐ後ろには、副官のトムが純血の軍馬に乗って歩いている。そしてトムの後ろには3台の馬車があり、その周りには15人の兵士たちがいる。
3台の馬車の内、2台は大形荷馬車で、1台は旅行用の馬車だ。旅行用の馬車は赤と白に塗られていて、いかにも貴族が乗りそうな華麗な馬車だ。
俺たちはゆっくりと道を進み続けた。そして1時間くらい後、小さな湖に着いた。
「トム」
ふと後ろのトムを呼んだら、トムが「はい」と答えて近づいてくる。
「何でしょうか、総大将」
「ここで少し休憩を取るぞ」
「かしこまりました」
トムは素早く兵士たちに休憩を指示する。兵士たちは明るい顔で足を止めて、馬車も停止する。
俺もケールから降りて、旅行用の馬車に近づいた。すると馬車のキャビンの中から少女たちの楽しそうな話し声が聞こえてくる。
「へっ」
どうやらもう旅を楽しんでいるようだ。俺はキャビンの扉を開いて、中を覗いた。そこには3人の少女が座っていた。
「どうしたの、レッド?」
真ん中の少女がそう聞いてきた。細くて健康的な体型で、短髪が似合う少女……つまり俺の婚約者であるシェラだ。
「もう次の村に着いたの?」
シェラがもう1度聞いてきた。
「そんなはずないだろう」
俺は笑ってしまった。
「小さな湖に着いたから、しばらく休憩だ。これは進軍でもないし……旅だからな」
「うん、そうだね!」
シェラの顔が明るくなる。俺と一緒に戦場を駆け抜けた彼女としては、『進軍ではない』という言葉が気に入ったんだろう。
「ではでは、私が歌を捧げましょう!」
シェラの左側に座っている少女が声を上げた。まるで道化師のような服装をしている幼い少女……つまり吟遊詩人見習いのタリアだ。
「タリアさんの歌が聴けるなんて、とても嬉しいです」
今度はシェラの右側に座っている少女が言った。シェラより1個年上だが、小柄で小動物みたいな印象の少女……つまり俺のもう1人の婚約者、シルヴィアだ。
シェラとシルヴィアは動きやすい普段着を着ている。しかしそれでも2人からはどこか気品が感じられる。
3人の少女は馬車から降りた。
「いい天気!」
シェラが笑顔で手を叩く。
別に特別な場所なわけではない。小さな湖と数本の木があるだけだ。でもせっかく旅に出たからなんだろうか、何か楽しい気持ちになる。
兵士たちはもう湖の近くに座って雑談をしていた。半数くらいは女兵士で、前の戦争でシェラの指揮を受けたことのある人々だ。
「皆さん、今日もありがとうございます!」
タリアがリュートを手にし、湖の近くで声を上げる。
「このタリア、これから皆さんに全身全力で歌を捧げます!」
その宣言に俺たちは拍手し出した。もうタリアの歌は、俺の城と城下町では有名だ。
「涼しい風よ、どうか私の声を伝えて……」
タリアの声量のある声とリュートの音が鳴り響く。
「あの人に聞こえるように、彼方まで伝えて……」
心安らぐ歌を聴きながら、俺たちは暖かい時間を過ごした。
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数日後……俺たちは『パウル男爵領』に着いた。
別に急いだわけではないけど、少数だから移動が割と速い。大軍を率いている時とは違う。
「総大将」
道を歩いている途中、トムが俺に近づいてきた。
「もうすぐ日が落ちますが、野営の準備を致しましょうか?」
「いや」
俺は首を横に振った。
「城が近い。今日はもうちょっと歩いて、城に泊まろう」
「かしこまりました」
トムが頷く。
それから2時間くらい歩いたら、前方から明かりが見えてきた。パウル男爵領の城と城下町だ。
俺たちが城下町に近づくと……向こうから兵士たちが現れて、丁寧に挨拶する。
「レッド様、ここからは私たちがご案内致します」
「ああ」
兵士たちに案内され、俺たちはそのまま城に入った。
パウル男爵領の城は小さいけど、内部は綺麗に整頓されている。華麗過ぎず、素朴過ぎずって感じだ。
「レッド、シルヴィア」
ふと男の声が聞こえてきた。振り向いたら小柄な美男子の姿が見えた。この地の領主、ルベン・パウルだ。
「よくぞ来てくれた、歓迎するよ」
ルベンは笑顔を見せる。
「さあ、僕が客室に案内してやる。今日はゆっくり休んでくれ」
「ありがとう」
ルベンは俺たちを客室まで案内してくれた。
ところで……シェラとシルヴィアとタリアは同じ部屋に泊るつもりらしい。
「レッドは1人で過ごしなさい!」
シェラが舌を出した。俺は苦笑して、1人で客室に入った。
客室は広くて綺麗だ。貴族の客が泊まる部屋だから当然だろうけど。
「ふう」
俺は体を洗ってからベッドに横になった。そしてすぐ眠りに着いた。
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翌日の朝……俺と3人の少女たち、そしてトムは一緒に城を出た。
相変わらず天気がいい。暖かい日差しと涼しい風を感じながら、俺たちは城下町を歩いた。
15分くらい後、俺たちは目的地に着いた。
「ここです」
シルヴィアが小さい声で言った。そこは……城下町の北に位置する、小さな共同墓地だ。
共同墓地に入り、ある墓石の前まで行った。その墓石には『アルフレッド・パウル、そして彼の妻ジョゼフィーヌ・パウル。2人は永遠の愛を誓い、ここに一緒に眠る』と書かれていた。
「お父さん……お母さん……」
シルヴィアが呟いてから目を閉じた。
俺たちは一緒に目を閉じて、しばらく沈黙を守った。
「皆さん、本当に感謝いたします」
やがてシルヴィアが俺たちを振り向いた。彼女の大きな瞳には涙が溜まっている。
「さ、城に戻りましょう」
俺たちはまた一緒に歩いて城に戻った。気持ちのせいなんだろうか、さっきより日差しが暖かく感じられた。
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城に戻ってから、3人の少女たちは城内を見回り始めた。
俺は1人で歩いて応接間に向かった。そこでルベンがテーブルに座って、俺を待っていた。
「来たか。座ってくれ」
「ああ」
俺はルベンの向こうに座った。するとルベンが笑顔を見せる。
「せっかくだから、1週間くらい泊まってくれ」
「いや……3日後に出るよ。こちらも予定があるからな」
「そうか」
ルベンが頷く。
「じゃ、それまでゆっくりしてくれ」
「ああ」
その時、メイドたちがお茶を持ってきた。俺とルベンは一緒にお茶を飲み始めた。
「……ところで」
ティーカップをテーブルに置いて、ルベンが口を開く。
「もう戦争も終わったし……早くシルヴィアと正式に婚約したらどうだ?」
「その話はまだだ」
俺は冷たく言った。
「まだ適当な王族との連絡を試みているところだ。婚約式は来年になるだろう」
「そうか……分かった」
ルベンが少し残念そうな顔になる。
ルベンは俺に力に頼っている。俺とシルヴィアを正式に婚約させて……俺の権威をもっと借りるつもりなんだろう。
「そう言えば……」
ルベンが俺を直視する。
「聞いた話では、お前があの『金の魔女』と直接話したそうじゃないか」
「ああ、直接話した」
俺が答えると、ルベンは再び笑顔を見せる。
「当ててみようか。お前……『金の魔女』から縁談を受けたんだろう?」
「……よく分かるな」
「ふふふ」
ルベンが笑った。俺は彼を見つめた。
「何が可笑しいんだ?」
「やっぱりお前は分かりやすいからだよ」
「俺が……分かりやすい?」
俺が眉をひそめると、ルベンが笑顔で説明を始める。
「お前の力は本当に凄すぎる。いくら大軍を持ってきても、お前には勝てないだろう。しかし……分かりやすい弱点がある」
「弱点?」
「女さ」
ルベンが自信満々に言った。
「たまにいるよ。とてつもなく強いのに、女子供に弱い男がね」
「……それが俺だと?」
「ああ、政治の経験がある人間なら何となく分かる。だから『金の魔女』も縁談を持ちかけてきたのさ」
「ちっ」
俺は内心慌てた。
シェラの父親であるロベルト、ルベン、そしてカーディア女伯爵は……みんな俺の弱点が『女』だと思っているのか。
「俺は別に女子供に弱いわけではないぞ」
「そうかな……?」
ルベンが面白そうに笑う。
「じゃ、お前はシルヴィアのことを捨てることができるかい?」
「っ……」
「できないだろう? 実に分かりやすい」
「こいつ……」
俺はルベンを睨みつけたが、反論はできなかった。
「これからもお前に縁談を提案する人々が現れるだろう。シルヴィアが悲しまないように、ほどほどにしてくれ」
「大きなお世話だ」
俺はお茶を飲み干して、ティーカップをテーブルに置いた。




