第187話.旅を前にして
俺は執務室の席に座って、考えにふけていた。
ダニエルが去ってからも……彼の話が頭から離れなかった。そんな俺の隣では、エミルが黙々と仕事をしている。
「……エミル」
重い沈黙を破って、俺はエミルを呼んだ。
「はい」
エミルは書類に目を向けたまま答える。
「何でしょうか」
「1つ聞きたいことがある」
俺はエミルの横顔を見つめた。
「貴族社会では……子供を暗殺して遺産を奪ったり、側室が正室を嫉妬して毒殺を謀ったり……そういうことが多いのか?」
その質問を聞き、エミルはやっと書類から目を離して俺を見つめる。
「……絶対多数とは言えませんが、割とあることです」
「そうか」
「もっと正確に言えば、別に貴族社会に限ったことではありません」
エミルが冷たく言った。
「大きなお金や権力が絡むと、必ず欲を出す人間が出て来る。そして自分の欲望のためなら、どんな残酷なこともできる人間も必ず存在します」
「俺も自分の欲望のために戦っているから、それは理解できる。でも……」
俺は腕を組んだ。
「俺の考えている『戦い』は……多数の敵や強敵と命をかけて戦うことだ。子供を暗殺したり、毒殺を謀ったりするのは……どうも性に合わない」
「それは総大将個人の感傷に過ぎません」
エミルの声が更に冷たくなる。
「私の故郷では、たった銀貨3枚のために殺人を犯した人もいました。暴力を振るう理由なんて、人それぞれです」
「それはそうだろうけど」
俺は少し驚いた。エミルが自分の故郷について話したのは初めてだ。
「じゃ、俺が新しい王国を作っても……子供を暗殺したり、毒殺を謀ったりする人は必ず出て来るだろうな」
「もちろんです。完璧な社会なんて存在できません。人間自体が完璧ではありませんから」
「だな」
俺は頷いた。
「俺は別に完璧な王国を作りたいわけではない。そんなのは本当に空想だ。でも……俺の性に合わないことは減らしたい」
「不可能ではありません。でも小さな変化のためには、とんでもないほど大きな努力が必要です」
「それは覚悟しているさ」
俺は少し笑った。
「何かお前と話していると……俺の師匠と話している気持ちになるな」
「総大将の……師匠ですか?」
「ああ」
俺の頭の中に、みすぼらしい老人の姿が浮かび上がる。
「お前とすれ違う形で旅に出てしまった老人さ。たぶんお前とは気が合うだろう」
「そうですか」
エミルは無表情で答えてから、仕事に戻る。
俺は椅子に深く座った。そして俺の作った新しい王国を想像してみた。
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週末の午後……俺は応接間のテーブルに座って、ゆっくりとお茶を楽しんだ。
俺の隣にはシルヴィアとシェラ、そして吟遊詩人見習いのタリアが座っている。3人の可愛い少女たちと一緒にティータイムを過ごすのは、確かに悪くない。
「来週から旅だね!」
シェラが明るい声で言った。その通り、来週の火曜日から南の都市へと旅立つ予定だ。エリザさんの出産が近づいている。
「シルヴィアさんもタリアちゃんも一緒だから、きっと楽しいに違いない!」
「え……?」
シェラの言葉を聞いて、俺は首を傾げた。
「タリアも……一緒に行くのか?」
俺が聞くと、小柄のタリアが両手を上げる。
「もちろんであります! このタリア、命に賭けてもぜひご同行させて頂きたいと存じます!」
タリアはいつも通り大げさな口調で答える。
「いや……別に命まで賭けなくても、一緒に行きたいんなら連れていくさ。でも……どうして南の都市に行きたいんだ?」
「もちろん叙事詩の執筆のためであります!」
タリアが目を輝かせる。
「領主様が活躍した場所に直接行って、より素晴らしい作品を執筆したい……! それが私の一生の願望です!」
「それはいい心構えだな」
俺は頷いた。
「しかし南の都市では迂闊に行動しない方がいい。犯罪組織たちが蠢いているからな」
「そ、そうでありますか!?」
タリアが怯える。俺の思った通りだ。
「ま、確かにタリアちゃんにはちょっと怖いかもね」
シェラが笑顔で言った。
「顔に傷のある屈強な人々が、肩を並べて街を歩くのは普通だからね。あの都市は」
「こ、怖いです!」
タリアが更に怯える。シェラの思った通りだ。
「わ、私は領主様の後ろに隠れているべきだと存じます!」
タリアが必死な顔でそう言うと、シェラがプッと笑う。
「何言っているの? その屈強な人々を束ねているのがレッドなのよ」
「その話ならお聞きしました! 確か領主様が……『総会の会長』だと!」
タリアが俺を見つめる。
『総会の会長』か……懐かしい呼称だ。
「いや、その話はちょっと違うな」
俺は首を横に振った。
「会長といってもほぼ名誉職みたいなものだ。実際に束ねているのは各組織のボスたちさ」
「それはそうだね」
シェラが頷く。
「うちのお父さんも、屈強な人々を100人くらい連れているからね」
「ええ……!?」
タリアが驚く。
「そ、それじゃシェラ様の実家でお泊りする計画は……止めた方がいいと存じます!」
「大丈夫、大丈夫」
シェラが笑った。
「タリアちゃんは私が守って上げるから、私の後ろに隠れていれば問題ない!」
「お願い致します!」
シェラの冗談に対して、タリアは本気で答えた。
「そう言えば……」
俺はシルヴィアの方を見つめた。
「旅の途中、パウル男爵領で泊まる計画だったな。せっかくだし、どこか行きたい場所があるのか、シルヴィア?」
「はい」
シルヴィアがゆっくりと頷く。
「実は……両親の墓にお参りに行きたいと思っております」
「そうか」
俺が頷くと、シェラが声を上げる。
「じゃ、みんなでお参りに行きましょう!」
「そうですね! 私もご一緒お願い致します!」
タリアまでそう言って、シルヴィアは微かに笑う。
「皆さんの心遣い、本当にありがとうございます」
「じゃ、決まりだな」
俺たちは旅の日程を少しずつ決めていった。
確かにこのメンバーなら、楽しい旅になりそうだ。俺は3人の少女の顔を眺めながらそう思った。




