第186話.忠告、ありがとう
エミルはクレイン地方から帰還した後、さっそく仕事に復帰した。
流石に仕事中毒というか……エミルの健康が心配になるくらいだ。しかしやつは「私は大丈夫です」と言い張って、頑なに休もうとしない。
エミルのことが心配になるのは、俺だけではないようだ。2人の婚約者と一緒にお茶を飲んでいたら、ふとシェラが「エミルさんって仕事ばかりだよね」と言ってきたのだ。
「ああ、エミルは完全に仕事中毒だ」
俺がそう言うと、シェラが眉をひそめる。
「休暇の時も、自分の部屋で本ばかり読んでいたらしいよ」
「やつらしいな」
「隙が無くて困るの」
「隙?」
俺は首を傾げた。
「何の隙だ?」
「もちろんカレンさんが近寄る隙のこと」
「え……?」
俺は驚いてシェラを見つめた。
「まさか……まだ諦めていないのか?」
「諦めてなんかない! これからなんだから!」
シェラが決意に満ちた表情をする。
俺はシルヴィアの方をちらっと見た。彼女は話について来れず、ただ沈黙を守っていた。
「あ、シルヴィアさんにも説明しなきゃ!」
シェラが手を叩く。
「シルヴィアさん、カレンさんのことは知っていますよね?」
「女性の軍指揮官のお方ですね」
「はい! 実はそのカレンさんは……エミルさんのことが好きなんです!」
「え……?」
シルヴィアは目を丸くした。流石に少し驚いたようだ。
しかし……カレンの恋について、勝手に広めても大丈夫なんだろうか。
「それは……素敵なことですね」
シルヴィアがすぐ冷静を取り戻してそう言った。なかなかの精神力だ。
「でしょうでしょう? だから私とタリアちゃんが協力して2人の間に恋の花を咲かせようとしています!」
シェラが明るい声で言ったが、シルヴィアは首を傾げる。
「でも……そういうことなら、2人に任せた方がいいのではありませんか?」
「うっ」
図星を突かれて、シェラが動揺する。
「だ、駄目です! あの2人に任せたらいつまで経っても始まりません!」
「それはそうかもしれませんが」
「はい! だから私たちがどうにかするべきです!」
シェラが胸の前で拳を握る。俺はそんなシェラを見つめながら肩をすくめた。
「正直に言えば……俺もシルヴィアに同意だ。俺たちは首を突っ込まない方がいいと思う」
「レッドは何言っているの!?」
シェラが睨んでくる。
「私たちが応援して上げなきゃ駄目でしょう!?」
「まあな」
俺はもう1度肩をすくめた。するとシルヴィアが口を開く。
「まずは2人を見守って上げた方がいいと思います。周りから促されると、逆効果になるかもしれません」
「そ、それは……」
シェラが視線を落とす。
「シルヴィアさんの言う通りかもしれませんね……」
シェラの声が小さくなる。俺は内心笑った。
「ま……来月俺たちが南の都市へと旅立ったら、エミルとカレンが2人でこの城を守ることになる。それで何か進展があるかもしれない。じっくり待ってみよう」
「うん」
シェラが頷いた。やっと『カレンとエミルを結ぶ大作戦』が中止になったようだ。
それにしても……シェラとシルヴィアは結構仲良くなった感じだ。俺としては本当に幸いだ。
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エミルの帰還から3日後……予定通りカーディア女伯爵の使者がやって来た。
俺はいつも通り執務室の席に座っていた。すると扉が開いて、長身の男が入ってきた。
「レッド様、お久しぶりです」
「またあんたか」
俺は笑いながら長身の男を見つめた。礼服姿のその男は……もちろんダニエルだ。
「今日は戦争賠償金を持ってきたのか?」
「はい」
ダニエルが丁寧に頭を下げる。
「馬車で金貨を運んで参りました。ご確認お願い致します」
「ああ、分かった」
俺は隣に座っているエミルの方に目配せした。するとエミルは席から立って、執務室を出た。
ダニエルと2人きりになった俺は……彼の男前な顔を見つめた。
「あんたもいろいろ大変だな、ダニエル」
「これも仕事ですから」
ダニエルが微かに笑う。
「カーディア女伯爵様は、レッド様の力に心から感服なさいました。できればこれからも友好な関係を……」
「その話はまだ早い」
俺は冷たく言った。
「友好な関係になるかどうかは、戦争の後処理が完全に終わってからだ」
「……承知いたしました」
ダニエルがゆっくりと頷く。
俺は席から立って、ダニエルに近づいた。
「ダニエル」
「はい」
「そう言えば……カーディア女伯爵に直接聞きたかったけど、結局聞けなかったことがある」
「何でしょうか」
「あんたとカーディア女伯爵の関係だ」
俺は腕を組んだ。
「別に答えたくないなら答えなくてもいいけど……やっぱり気になってな」
「なるほど……」
ダニエルが笑顔を見せる。
「実は……レッド様には私たちの関係について説明してもいいと、女伯爵様から許可が下りました」
「そうだったのか」
俺は苦笑した。
「じゃ、教えてくれ。あんたとカーディア女伯爵は……ただの傭兵と雇い主の関係ではないんだろう?」
「はい」
ダニエルが頷いた。
「私とカーディア女伯爵様は……姉弟です」
「姉弟……?」
予想外の答えに、俺は目を見開いた。ダニエルは笑顔のまま説明を始める。
「正確には、腹違いの姉弟です。カーディア女伯爵様は前代の正室のご息女で、私は側室の子供です」
「……そうだったのか」
俺は頷いた。
「じゃ、どうして赤の他人みたいに行動しているんだ?」
「それは……私の母親が追放されたからです」
ダニエルの顔が少し暗くなる。
「私の母親は……前代の正室、つまりカーディア女伯爵様のご母堂様に嫉妬していました。それである日、毒殺を謀ってしまいました」
「毒殺……」
「そのことが発覚し、私と母親はクレイン地方から追放されました。そして数年後、母親は病でこの世を去りました」
ダニエルは少し間を置いてから、話を続ける。
「つまり私は、もう公式的にはカーディア家の人間ではありません。私の素性を知っているのは……一族の中でも極めて少数だけです」
「……なるほど」
俺はしばらく考えてから、ダニエルを見つめた。
「あんたは……カーディア女伯爵のことを恨んでいないのか?」
「恨むなんて滅相もありません。むしろ感謝しております」
ダニエルが真面目な顔で言った。
「カーディア女伯爵様は爵位を継承なさった直後、『子供に罪はない』と仰って1人だった私を拾ってくださいました。私が今こうして生きていられるのは、カーディア女伯爵様のおかげです」
ダニエルは顔を上げて、俺を見つめる。
「レッド様は、これからも多くの側室を迎えることになるでしょう。大変恐縮ですが……『家和して万事成る』という言葉をお含みおきください」
「……分かった。忠告、ありがとう」
俺も真面目な顔でそう答えた。




