第181話.想像とは違うな
メリアノ平原の中央には、まだ激戦の痕跡が残っている。
幅広い道路を進んでいると、いつの間にか地面が赤くなる。そしてまだ片付けられていない敵軍の死体、捨てられた武器や防具、踏みにじられた旗などが見えてくる。
「気持ちのいい風景ではありませんな」
隣からハリス男爵が言った。
俺とハリス男爵は部下たちと一緒に馬に乗り、交渉の場に向かっている。『金の魔女』カーディア女伯爵と話して、この戦争を終結させるためだ。
「戦争が長引かずに終わって本当に幸いです」
「そうだな」
俺が頷くと、ハリス男爵が笑顔を見せる。
「しかもレッドさんのご活躍のおかげで、私も生き延びることができましたから。本当に感謝しています」
「いや、感謝される筋合いはないさ」
俺はゆっくりと首を横に振った。
「それは恩返しだと思ってくれ」
「恩返し……ですか?」
「ああ」
その時、地面に咲いている小さな花が視野に入ってきた。俺が手綱を操ると、ケールが花を避けて歩く。
「あんたが俺のことを信頼してくれたから、この同盟が上手く機能した。感謝しているさ」
「いえいえ……そこまで大したことはやっていません」
ハリス男爵は笑ったが、彼のおかげで同盟がまとまったのは事実だ。
俺のことを信頼して、見えないところでもいろいろ気を使ってくれた。そんなハリス男爵がいなかったら、俺の軍隊と同盟の軍隊の間に紛争が起きたかもしれない。
「……レッドさんは『貴族社会の仮面と短剣』という言葉をご存知でしょうか」
「いや、初耳だな」
俺が答えると、ハリス男爵が悲し気な声で説明を始める。
「貴族社会では、何よりも『礼儀』が大事です。だからみんなお互いに対して仮面のような笑顔ですよ。しかしその裏では……暗殺などの恐ろしい陰謀が渦巻いています」
「なるほど……つまり『仮面と短剣』は貴族社会の性質を現した言葉だな」
「はい」
ハリス男爵が頷く。
「子供を暗殺して、遺産を奪うことなんて普通にあります。ニーナ……いや、アップトン女伯爵様も子供の頃何度も殺されかけました」
アップトン女伯爵はハリス男爵のことを恩人だと言った。たぶん子供の頃の彼女を助けてくれたんだろう。
「でも私は……人間はやっぱり助け合うべきだと思っております」
「同意する」
俺はそう答えてから地平線の向こうを見つめた。
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メリアノ平原の中央を通り過ぎて、東南に進めば交差点がある。東西を繋ぐ道、そして南北を繋ぐ道が交差するところだ。
交差点の周辺には何もない。森も湖もなく、ただただ広い空地があるだけだ。つまり……罠を張ることができない場所だ。
『金の魔女』はその交差点の上に大きな天幕を張っていた。数十の敵兵が天幕を守っているけど……全員盾だけ装備している。
俺とハリス男爵は騎兵を率いて、天幕に近づいた。すると敵兵たちの顔に緊張が走る。
「レッド様、ハリス男爵様」
敵兵の中から、長身の男が現れた。
「ダニエル」
その男は『海賊狩り』のダニエルだ。彼は俺とハリス男爵に向かって丁寧に挨拶する。
「どうぞこちらへ。カーディア女伯爵様がお待ちになっております」
「ああ」
俺とハリス男爵は馬から降りて、ダニエルと一緒に天幕に入った。
天幕の中には大きなテーブルがあり、金髪の女性が座っていた。
「女伯爵様」
ダニエルが金髪の女性をそう呼んだ。この女性こそが……『金の魔女』だ。
「こちらのお方がレッド様でございます。そして隣のお方がハリス男爵様です」
ダニエルが俺たちのことを紹介すると、金髪の女性がゆっくり席から立ち上がる。
「初めまして」
金髪の女性が口を開く。
「私はカーディア伯爵領の統治者、『アデラ・カーディア』と申します」
カーディア女伯爵が妖艶な声で自己紹介をした。俺はそんな彼女の姿を注意深く観察した。
最初に驚いたことは、実際年齢と外見の不一致だった。確かカーディア女伯爵は40代半ばのはずだ。しかし彼女の真っ白な肌は綺麗すぎて、とても40代には見えない。30代……いや、20代後半と言っても信じてしまうほどだ。
それにカーディア女伯爵は女性らしい体つきと明るい笑顔を持っていて……もう魔女というより『聖女』に見える。この明るい雰囲気の美人が……本当に『金の魔女』と呼ばれている悪名高い女伯爵なのか? 一瞬そう疑ってしまう。
「お初にお目にかかります、カーディア女伯爵様」
俺の傍からハリス男爵が挨拶した。しかし俺は何も言わないまま、ただ女伯爵を見つめた。
「さあ、どうぞお座りになってください」
カーディア女伯爵は親切な態度だった。俺とハリス男爵はテーブルに座った。
「ダニエル、紅茶を持ってきて」
「はっ」
女伯爵の指示に従い、ダニエルが素早く天幕から出て……ガラスの高級やかんとティーカップなどを持ってきた。そしてすかさず俺とハリス男爵と女伯爵の前にティーカップを置く。
「我がクレイン地方の特産品です」
カーディア女伯爵が説明すると、ダニエルが丁寧な動作でティーカップに紅茶を注ぐ。
「さあ、召し上がってください」
『金の魔女』は自分のティーカップに手を出さず、俺を見つめた。
「れ、レッドさん」
傍からハリス男爵が小さい声で俺を呼んだ。しかし俺はゆっくりとティーカップを持ち上げて……紅茶を1口飲んだ。
「……どうですか? 紅茶の味は」
カーディア女伯爵が目を輝かせながら聞いてきた。
「さあな」
俺は肩をすくめた。
「残念だが、俺は紅茶の味をよく知らない。でも……悪くはないと思う」
「そうですか」
カーディア女伯爵が笑顔になる。
「もし紅茶に毒が入っていたら……どうなさるつもりでしたか?」
彼女の質問に、俺も笑顔になった。
「俺は以前にも毒に侵されたことがある。しかし……どうやら俺の体は毒に強いらしい。もし俺を暗殺したいんなら、別の方法を探した方がいい」
「なるほど」
カーディア女伯爵は笑顔のまま自分のティーカップを持ち上げて、1口飲む。
「レッドさんは噂通りの大胆なお方のようですね」
「……俺を試すような真似は止めろ」
ティーカップをテーブルに置いて、俺は『金の魔女』を睨みつけた。
「俺が非武装だからって、安全だと思うのは勘違いだ。そのことを忘れるな」
俺がそう言うと、ダニエルの顔が緊張で強張る。しかしカーディア女伯爵は笑顔のままだ。
「これは失礼いたしました」
カーディア女伯爵が妖艶な声で言った。
「でもレッドさんと私の目的は、交渉なんかではなく……お互いの人物像を探ることです。違いますか?」
「……なるほど」
俺は内心感嘆した。
この明るい笑顔の美人は……『赤い化け物』に脅されても笑顔を崩さない。いや、笑顔を崩すどころかちゃんと反撃までしてくる。
思ってみれば当然なことだ。この女は、伏魔殿みたいな貴族社会で数十年も生き残ったのだ。彼女の明るい笑顔はその貫禄の証……つまり『仮面』だ。
「先日の決戦で、レッドさんがお見せになったご武勇……あれは今も忘れられません」
『金の魔女』が俺の顔を注視する。
「レッドさんには私の策も軍隊も通じなかった。私がここまで完璧に敗北したのは本当に初めてです」
「……で、何が言いたいんだ?」
「貴方はその力を以って何をなさるつもりですか?」
またその質問か。俺は内心苦笑した。
「俺の目的がそんなに大事か?」
「もちろん大事です」
カーディア女伯爵が頷く。
「レッドさんほどの強者は、多くの人々の運命を変えることができますから。これから生き延びるためにも……レッドさんの目的を知っておく必要があります」
たぶんこの女も……アップトン女伯爵と同じく、俺の野心に気付いている。
「もう1度お聞きします。レッドさんの目的は……?」
「俺は……俺が背負っている人々のための王国を作るつもりだ」
俺の答えを聞いて、カーディア女伯爵は少し間を置いてからニッコリと笑う。
「なるほど、分かりました」
『金の魔女』は意味ありげな眼差しで俺を見つめる。
俺の言った『王国を作る』という言葉は、決して『改革する』という意味ではない。言葉通り『新しい王国を作る』という意味だ。そしてそれを理解したのは……この場ではカーディア女伯爵だけだ。
「でもその大業を成すためには……王都に進出する必要があります」
「そうだな」
「そしてレッドさんが王都に進出するためには、私が統治しているこの『クレイン地方』を通らなければなりません。つまり……」
カーディア女伯爵の美しい瞳が俺を直視する。
「レッドさんには私の協力が必要です」
「あんたを排除して王都に進出することもできるけど」
「それはそれは……御冗談を」
カーディア女伯爵が笑った。
「私を排除したら、クレイン地方は大混乱に陥ってしまいます。その混乱を収拾するには、流石のレッドさんでも数年以上かかるでしょう」
この女……痛いところを突いてくる。
「で? あんたが俺に協力してくれるのか?」
「それも可能です。ただし、条件がありますが」
その条件が何なのか、俺は察しがついた。
「悪いけど……縁談なら遠慮する」
「あら、気の早いお方ですね」
カーディア女伯爵は満面に笑みを浮かべる。
「私があと10歳若かったら、どんな手を使ってでもレッドさんを私の男にしたはずですが……」
「それは更に遠慮する」
「……私には可愛い娘がいます。ちょうどレッドさんと同年代の娘が」
俺は首を横に振った。
「遠慮すると言っただろう?」
「本当に可愛いですよ、私の娘は」
「可愛いか否かの問題ではない」
「あら、そうですか?」
カーディア女伯爵が意地悪そうな顔をする。
「男は可愛い嫁を欲しがるんじゃなかったんですか?」
「俺には可愛い婚約者が2人もいる。それ以上は要らない」
「男は多くの女を欲しがるんじゃなかったんですか?」
「へっ」
俺は苦笑するしかなかった。
「だから縁談は遠慮する。もうその話は止めろ」
「……分かりました」
カーディア女伯爵が肩をすくめる。
「でも……私の協力が必要でしたら、いつでも仰ってください」
「さあな」
俺も肩をすくめた。するとカーディア女伯爵はハリス男爵の方を見つめる。
「ハリス男爵」
「は、はい」
いきなりカーディア女伯爵に呼ばれ、ハリス男爵は慌てて答える。
「何のことでしょうか」
「私とレッドさんの話は終わりました。交渉の方を話しましょうか」
「はい、分かりました」
それからしばらく、カーディア女伯爵とハリス男爵は戦争の終結について話し合った。
「……慰労金の金額については、この場で決めることは難しいですね」
やがてカーディア女伯爵が話をまとめる。
「でもアップトン女伯爵の意向通り、川辺の村の譲渡は約束します」
「ではその言葉を文書にしてくださいませんか」
「はい、分かりました」
カーディア女伯爵はダニエルから羽ペンと紙を受け取り、即座に文書を作成した。
「これでどうですか?」
「感謝いたします」
目的を達成したハリス男爵の顔が明るくなる。
「お2方と話ができて、本当に楽しいお時間でした。ではまたお会いしましょう」
カーディア女伯爵が丁寧に挨拶し、天幕から出た。俺とハリス男爵も彼女の後を追って天幕を出た。
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そうやって交渉が終わり……俺たちは帰路についた。
「……変わった人でしたね、カーディア女伯爵は」
「ああ、本当だ」
ハリス男爵の感想に、俺は心から同意した。




