表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
201/602

第181話.想像とは違うな

 メリアノ平原の中央には、まだ激戦の痕跡が残っている。


 幅広い道路を進んでいると、いつの間にか地面が赤くなる。そしてまだ片付けられていない敵軍の死体、捨てられた武器や防具、踏みにじられた旗などが見えてくる。


「気持ちのいい風景ではありませんな」


 隣からハリス男爵が言った。


 俺とハリス男爵は部下たちと一緒に馬に乗り、交渉の場に向かっている。『金の魔女』カーディア女伯爵と話して、この戦争を終結させるためだ。


「戦争が長引かずに終わって本当に幸いです」


「そうだな」


 俺が頷くと、ハリス男爵が笑顔を見せる。


「しかもレッドさんのご活躍のおかげで、私も生き延びることができましたから。本当に感謝しています」


「いや、感謝される筋合いはないさ」


 俺はゆっくりと首を横に振った。


「それは恩返しだと思ってくれ」


「恩返し……ですか?」


「ああ」


 その時、地面に咲いている小さな花が視野に入ってきた。俺が手綱を操ると、ケールが花を避けて歩く。


「あんたが俺のことを信頼してくれたから、この同盟が上手く機能した。感謝しているさ」


「いえいえ……そこまで大したことはやっていません」


 ハリス男爵は笑ったが、彼のおかげで同盟がまとまったのは事実だ。


 俺のことを信頼して、見えないところでもいろいろ気を使ってくれた。そんなハリス男爵がいなかったら、俺の軍隊と同盟の軍隊の間に紛争が起きたかもしれない。


「……レッドさんは『貴族社会の仮面と短剣』という言葉をご存知でしょうか」


「いや、初耳だな」


 俺が答えると、ハリス男爵が悲し気な声で説明を始める。


「貴族社会では、何よりも『礼儀』が大事です。だからみんなお互いに対して仮面のような笑顔ですよ。しかしその裏では……暗殺などの恐ろしい陰謀が渦巻いています」


「なるほど……つまり『仮面と短剣』は貴族社会の性質を現した言葉だな」


「はい」


 ハリス男爵が頷く。


「子供を暗殺して、遺産を奪うことなんて普通にあります。ニーナ……いや、アップトン女伯爵様も子供の頃何度も殺されかけました」


 アップトン女伯爵はハリス男爵のことを恩人だと言った。たぶん子供の頃の彼女を助けてくれたんだろう。


「でも私は……人間はやっぱり助け合うべきだと思っております」


「同意する」


 俺はそう答えてから地平線の向こうを見つめた。


---


 メリアノ平原の中央を通り過ぎて、東南に進めば交差点がある。東西を繋ぐ道、そして南北を繋ぐ道が交差するところだ。


 交差点の周辺には何もない。森も湖もなく、ただただ広い空地があるだけだ。つまり……罠を張ることができない場所だ。


 『金の魔女』はその交差点の上に大きな天幕を張っていた。数十の敵兵が天幕を守っているけど……全員盾だけ装備している。


 俺とハリス男爵は騎兵を率いて、天幕に近づいた。すると敵兵たちの顔に緊張が走る。


「レッド様、ハリス男爵様」


 敵兵の中から、長身の男が現れた。


「ダニエル」


 その男は『海賊狩り』のダニエルだ。彼は俺とハリス男爵に向かって丁寧に挨拶する。


「どうぞこちらへ。カーディア女伯爵様がお待ちになっております」


「ああ」


 俺とハリス男爵は馬から降りて、ダニエルと一緒に天幕に入った。


 天幕の中には大きなテーブルがあり、金髪の女性が座っていた。


「女伯爵様」


 ダニエルが金髪の女性をそう呼んだ。この女性こそが……『金の魔女』だ。


「こちらのお方がレッド様でございます。そして隣のお方がハリス男爵様です」


 ダニエルが俺たちのことを紹介すると、金髪の女性がゆっくり席から立ち上がる。


「初めまして」


 金髪の女性が口を開く。


「私はカーディア伯爵領の統治者、『アデラ・カーディア』と申します」


 カーディア女伯爵が妖艶な声で自己紹介をした。俺はそんな彼女の姿を注意深く観察した。


 最初に驚いたことは、実際年齢と外見の不一致だった。確かカーディア女伯爵は40代半ばのはずだ。しかし彼女の真っ白な肌は綺麗すぎて、とても40代には見えない。30代……いや、20代後半と言っても信じてしまうほどだ。


 それにカーディア女伯爵は女性らしい体つきと明るい笑顔を持っていて……もう魔女というより『聖女』に見える。この明るい雰囲気の美人が……本当に『金の魔女』と呼ばれている悪名高い女伯爵なのか? 一瞬そう疑ってしまう。


「お初にお目にかかります、カーディア女伯爵様」


 俺の傍からハリス男爵が挨拶した。しかし俺は何も言わないまま、ただ女伯爵を見つめた。


「さあ、どうぞお座りになってください」


 カーディア女伯爵は親切な態度だった。俺とハリス男爵はテーブルに座った。


「ダニエル、紅茶を持ってきて」


「はっ」


 女伯爵の指示に従い、ダニエルが素早く天幕から出て……ガラスの高級やかんとティーカップなどを持ってきた。そしてすかさず俺とハリス男爵と女伯爵の前にティーカップを置く。


「我がクレイン地方の特産品です」


 カーディア女伯爵が説明すると、ダニエルが丁寧な動作でティーカップに紅茶を注ぐ。


「さあ、召し上がってください」


 『金の魔女』は自分のティーカップに手を出さず、俺を見つめた。


「れ、レッドさん」


 傍からハリス男爵が小さい声で俺を呼んだ。しかし俺はゆっくりとティーカップを持ち上げて……紅茶を1口飲んだ。


「……どうですか? 紅茶の味は」


 カーディア女伯爵が目を輝かせながら聞いてきた。


「さあな」


 俺は肩をすくめた。


「残念だが、俺は紅茶の味をよく知らない。でも……悪くはないと思う」


「そうですか」


 カーディア女伯爵が笑顔になる。


「もし紅茶に毒が入っていたら……どうなさるつもりでしたか?」


 彼女の質問に、俺も笑顔になった。


「俺は以前にも毒に侵されたことがある。しかし……どうやら俺の体は毒に強いらしい。もし俺を暗殺したいんなら、別の方法を探した方がいい」


「なるほど」


カーディア女伯爵は笑顔のまま自分のティーカップを持ち上げて、1口飲む。


「レッドさんは噂通りの大胆なお方のようですね」


「……俺を試すような真似は止めろ」


 ティーカップをテーブルに置いて、俺は『金の魔女』を睨みつけた。


「俺が非武装だからって、安全だと思うのは勘違いだ。そのことを忘れるな」


 俺がそう言うと、ダニエルの顔が緊張で強張る。しかしカーディア女伯爵は笑顔のままだ。


「これは失礼いたしました」


 カーディア女伯爵が妖艶な声で言った。


「でもレッドさんと私の目的は、交渉なんかではなく……お互いの人物像を探ることです。違いますか?」


「……なるほど」


 俺は内心感嘆した。


 この明るい笑顔の美人は……『赤い化け物』に脅されても笑顔を崩さない。いや、笑顔を崩すどころかちゃんと反撃までしてくる。


 思ってみれば当然なことだ。この女は、伏魔殿みたいな貴族社会で数十年も生き残ったのだ。彼女の明るい笑顔はその貫禄の証……つまり『仮面』だ。


「先日の決戦で、レッドさんがお見せになったご武勇……あれは今も忘れられません」


 『金の魔女』が俺の顔を注視する。


「レッドさんには私の策も軍隊も通じなかった。私がここまで完璧に敗北したのは本当に初めてです」


「……で、何が言いたいんだ?」


「貴方はその力を以って何をなさるつもりですか?」


 またその質問か。俺は内心苦笑した。


「俺の目的がそんなに大事か?」


「もちろん大事です」


 カーディア女伯爵が頷く。


「レッドさんほどの強者は、多くの人々の運命を変えることができますから。これから生き延びるためにも……レッドさんの目的を知っておく必要があります」


 たぶんこの女も……アップトン女伯爵と同じく、俺の野心に気付いている。


「もう1度お聞きします。レッドさんの目的は……?」


「俺は……俺が背負っている人々のための王国を作るつもりだ」


 俺の答えを聞いて、カーディア女伯爵は少し間を置いてからニッコリと笑う。


「なるほど、分かりました」


 『金の魔女』は意味ありげな眼差しで俺を見つめる。


 俺の言った『王国を作る』という言葉は、決して『改革する』という意味ではない。言葉通り『新しい王国を作る』という意味だ。そしてそれを理解したのは……この場ではカーディア女伯爵だけだ。


「でもその大業を成すためには……王都に進出する必要があります」


「そうだな」


「そしてレッドさんが王都に進出するためには、私が統治しているこの『クレイン地方』を通らなければなりません。つまり……」


 カーディア女伯爵の美しい瞳が俺を直視する。


「レッドさんには私の協力が必要です」


「あんたを排除して王都に進出することもできるけど」


「それはそれは……御冗談を」


 カーディア女伯爵が笑った。


「私を排除したら、クレイン地方は大混乱に陥ってしまいます。その混乱を収拾するには、流石のレッドさんでも数年以上かかるでしょう」


 この女……痛いところを突いてくる。


「で? あんたが俺に協力してくれるのか?」


「それも可能です。ただし、条件がありますが」


 その条件が何なのか、俺は察しがついた。


「悪いけど……縁談なら遠慮する」


「あら、気の早いお方ですね」


 カーディア女伯爵は満面に笑みを浮かべる。


「私があと10歳若かったら、どんな手を使ってでもレッドさんを私の男にしたはずですが……」


「それは更に遠慮する」


「……私には可愛い娘がいます。ちょうどレッドさんと同年代の娘が」


 俺は首を横に振った。


「遠慮すると言っただろう?」


「本当に可愛いですよ、私の娘は」


「可愛いか否かの問題ではない」


「あら、そうですか?」


 カーディア女伯爵が意地悪そうな顔をする。


「男は可愛い嫁を欲しがるんじゃなかったんですか?」


「俺には可愛い婚約者が2人もいる。それ以上は要らない」


「男は多くの女を欲しがるんじゃなかったんですか?」


「へっ」


 俺は苦笑するしかなかった。


「だから縁談は遠慮する。もうその話は止めろ」


「……分かりました」


 カーディア女伯爵が肩をすくめる。


「でも……私の協力が必要でしたら、いつでも仰ってください」


「さあな」


 俺も肩をすくめた。するとカーディア女伯爵はハリス男爵の方を見つめる。


「ハリス男爵」


「は、はい」


 いきなりカーディア女伯爵に呼ばれ、ハリス男爵は慌てて答える。


「何のことでしょうか」


「私とレッドさんの話は終わりました。交渉の方を話しましょうか」


「はい、分かりました」


 それからしばらく、カーディア女伯爵とハリス男爵は戦争の終結について話し合った。


「……慰労金の金額については、この場で決めることは難しいですね」


 やがてカーディア女伯爵が話をまとめる。


「でもアップトン女伯爵の意向通り、川辺の村の譲渡は約束します」


「ではその言葉を文書にしてくださいませんか」


「はい、分かりました」


 カーディア女伯爵はダニエルから羽ペンと紙を受け取り、即座に文書を作成した。


「これでどうですか?」


「感謝いたします」


 目的を達成したハリス男爵の顔が明るくなる。


「お2方と話ができて、本当に楽しいお時間でした。ではまたお会いしましょう」


 カーディア女伯爵が丁寧に挨拶し、天幕から出た。俺とハリス男爵も彼女の後を追って天幕を出た。


---


 そうやって交渉が終わり……俺たちは帰路についた。


「……変わった人でしたね、カーディア女伯爵は」


「ああ、本当だ」


 ハリス男爵の感想に、俺は心から同意した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ