第2話.このクソみたいな老人は何だ
あの日から俺は変わった。
今までは不良に殴られても、人々から罵倒されても……全部『仕方のないことだ』と観念していた。だから抵抗することもなくやられ続けてきたのだ。しかし美しい金髪の少女と出会ったあの日から……俺は変わった。
俺を殴ったやつらをいつかは必ずぶっ殺してやる……! 俺を罵倒したやつらの口を裂いてやる……! やつらの家族にも苦痛を味わわせてやる……!
怒りが俺の中を満たした。だが……怒りに身を任せたところで、返り討ちされるだけだ。それくらいは俺だって知っている。
どうすれば復讐できるんだろう……? 12歳の俺にはそれが分からなかった。何より俺は生き残ることに精一杯で、じっと考えている余裕すらなかった。
辛すぎる冬を過ごして、春を迎えた俺は13歳になった。しかし現実はそのままだった。『復讐したい』という気持ちだけでは、現実は何も変わらないのだ。
「こいつ、気持ち悪いんだよ!」
不良たちに殴られるのもこれでもう何回目なんだろう。体が頑丈じゃなかったら俺はとうの昔に死んでいる。
「今度その面見せたら、二度と歩けないようにしてやる」
やっと暴力が終わって不良たちが去った。俺はボロボロになった体で立ち上がり、ふらつきながら歩いた。口の中から血の味がする。悔しいけど……今の俺にできることはない。
「おい、お前」
いきなり傍から声が聞こえてきた。振り向くと一人の老人がこっちを見つめていた。
白髪、ぼろぼろの服、粗末な杖……背は低く、顔は鼠みたいだ。つまりどこをどう見てもただのみすぼらしい貧民の老人だ。
「何で泣かないんだ?」
老人が俺に向かって質問した。俺はそんな馬鹿げた質問なんか無視しようとしたが、老人がもう一度口を開く。
「そんなに殴られて、何で泣かないのかって聞いているんだよ」
「……泣いても誰も助けてくれないから」
面倒くさくなった俺は小さい声で答えた。
「へっ、分かっているじゃないか」
老人は気持ちよさそうな笑顔になった。
一体何なんだ、このクソみたいな爺は……と思った俺は老人を無視して足を運ぼうとした。しかし老人は急ぎ足で動いて、俺の前を塞ぐように立つ。
「お前、それでいいのか?」
「何言ってんだ……」
「殴られてばかりでいいのか? やつらに仕返ししたくはないのか?」
その質問を聞いた途端、俺の体は不思議なくらいに熱くなった。
「いつかは……」
「はあ?」
「いつかは必ずやつらをぶっ殺す! 必ず……!」
俺の答えを聞いた老人がまた笑顔になった。しかしそれはさっきの気持ちよさそうな笑顔ではなく……冷たい嘲笑だった。
「そりゃ、ずいぶんちっぽけな復讐だな」
「……何?」
俺は老人を睨みつけた。しかし老人はびくともせず、話を続ける。
「仮にお前がさっきのやつらをぶっ殺したところで、その結果はお前が殺人犯として捕まることだ」
「そ、それでも……」
「それでもいいのか? お前は貴族でもお金持ちでもない。殺人罪で捕まったら間違いなく死刑、それも八つ裂きの刑だ。腕と足がぷちっともぎ取られて、血溜まりの中で悲鳴を上げながら死ぬ。お前はそんな結果に満足するのか?」
老人の言葉が俺の胸に刺さった。
「仮に運良く捕まらずに逃げたとしても、お前が人々から軽蔑される現実は何も変わらない。別のところで別の不良たちに殴られるだけだ。そうなったらまた八つ裂きの刑を覚悟して殺人するつもりか?」
「あんた、一体何が言いたいんだ……?」
「そんなちっぽけな復讐に満足するな、と言っているのだ」
老人が真面目な顔になった。いや……それはただの真面目な顔ではない。老人の小さい目は残酷な眼差しを放っている。
「一人か二人を殺したところで、お前の現実は何も変わらない。100人? 200人? それでも足りない」
「あんた……」
「お前の現実を変えるためには……この王国を滅ぼすしかないんだよ」
こ、この老人は一体何なんだ……? みすぼらしい貧民のくせに……王国を滅ぼす……?
「そもそもお前は何故自分自身が殴られるのか、その理由を知っているのか?」
「それは……」
俺の肌が赤いからだろう……。
「肌色のせいだと思っているのか? それは殴るための言い訳に過ぎない。もっと根本的な理由がある」
「何?」
「仮にここが肌の赤い人々の王国で、お前だけ肌が白かったら……お前は『白くて気持ち悪いやつ』と軽蔑されて殴られる」
それは……。
「分かるか? お前が殴られる根本的な理由は……お前が弱くて、しかも少数だからだ。そんなやつは殴られるのが人間社会の摂理というものだ」
俺は老人を凝視した。老人の鼠のような顔から……何故か知恵が感じられた。
「殴られるのが嫌だったら、同じ立場の人間を集めて多数になる方法もあるけど……お前にその方法は無理だ。何せ肌が赤いのはお前一人だからな」
老人の声は凍りつくほど冷たかった。
「一人のお前が現実を変えるためには、力が必要だ。しかも100人か200人くらい殺せるちっぽけな力では足りない。そう……この王国を滅ぼして、 お前だけの新しい国を作れるほどの力が必要なんだよ」
何故か体が震えてきた。俺が……そんな力を?
「……あんた、まるで何もかも知っているような口ぶりだな」
「まあ、少なくともお前よりは知っているさ」
「じゃ、答えてみろよ。俺みたいな貧民がどうすれば王国を滅ぼせるほどの力を得られるんだ?」
「それが知りたいのか? なら私についてこい」
老人はそう答えると、俺の反応を待たずに歩き始めた。
「お、おい! 待て!」
俺は慌てて大声を出したが、老人は振り向きもしないまま歩き続ける。
「人生の機会は待ってくれないんだよ。お前が追いかけろ」
「てめえ……!」
俺は一瞬戸惑った。何らかの罠かもしれない。しかし……ここで追いかけなくても、所詮俺には希望も失うものも存在しない。
結局俺は迷いを捨てて、老人の背中を追いかけた。