第177話.覇王の姿を……!
『戦争とは人間の暴力性と残酷性の極みである』……鼠の爺の小屋で勉強していた頃、そういう文章を読んだことがある。
メリアノ平原での決戦は、まさにその文章通りだ。青空の下で数万の人間が狂乱になり……互いを殺し合っている。
最前線で戦っていた兵士の右目に矢が刺さる。兵士が苦痛の悲鳴を上げると、敵軍が剣で首を斬り落とす。首を無くした兵士は鮮血を流しながら倒れ、踏みにじられる。
そんな悲惨な殺戮が数十回、数百回、数千回繰り返される。ここには女神の助けなど存在しない。あるのは人間を狂わせる『戦争の狂気』だけだ。
でも指導者たる者は、戦争の狂気に惑わされてはいけない。犠牲になった兵士たちのためにも……冷静に考えて、みんなを勝利へと導かなければならない。それが……数多の人間を背負っている指導者の義務だ!
俺は拳を握りしめて、我慢した。誰よりも戦いを望んでいる『赤い化け物』の俺だけど……絶好の時が来るまで待つ。
「我が軍が敵を圧倒しています!」
伝令兵が前線の状況を報告する。それで周りの兵士たちの顔が明るくなるが、俺は無表情のままだった。
俺の推測が正しければ……俺の軍隊と交戦している『敵の左側面部隊』は、最初から時間稼ぎが目的だ。やつらは『赤い化け物の足止めをしていればいい』と思っているはずだ。
『強い敵を足止めして、弱い敵を打つ』……古代から戦いの基本だ。『斜線陣』、『鎚と鉄床戦術』、『迂回機動』などの戦術は、全てその基本を元に作られた。
現在、俺の軍隊は敵を圧倒している。だがそれは表面的なことに過ぎない。真相は『敵から足止めを食らっている』のだ。
そして今頃、戦場の反対側では……グレン男爵とハリス男爵が敵の猛攻を受けている。彼らが敗走すると戦争は負けだ。
「敵軍が後退していきます!」
伝令兵がもう1度報告を上げる。その時、俺の『推測』は『確信』に変わる。敵は無秩序に敗走しているわけではなく……『作戦通り後退しているだけ』だ。
「……カレンに伝えろ。深追いするな、と」
俺は伝令兵に指示した。伝令兵は「はっ!」と答えて前線へ駆け出した。
「レイモン」
「はっ!」
「俺に続け」
「はっ!」
俺は『レッドの組織』の6人、そして数十の精鋭騎兵隊と一緒に出陣した。全員赤い鎧を着ている重騎兵だ。
「総大将が出陣なされる!」
「道を空けろ!」
兵士たちが俺とケールを見上げる。その眼差しは敬いに満ちている。信者たちが女神に祈りを捧げる時とそっくりだ。
そう、兵士たちには信仰の対象が必要だ。戦場の恐怖、喪失の恐怖、死の恐怖に対抗するために……彼らには俺が必要だ。
赤い肌色と巨体を持ち、鋼鉄の鎧と兜を装備し、巨大な戦鎚を手にして、真っ黒な軍馬に乗っている。そんな俺の姿は……兵士たちの目には戦争の神として映っているのだ。
俺も予想できなかった。ただ自分勝手に戦っているだけだった。それなのにいつの間にか俺は多くの人々に勇気を与え……多くの人々から力を得ていた。
体の底から計り知れない力が湧いてくる。これは俺の力であり、俺の兵士たちの力であり、俺の領民たちの力である。俺は1人であって1人ではない。とてつもなく大きな……運命そのものだ。
今更気づいた。これこそが……俺の求めていた『覇王の力』だと!
「……戦場を突破する」
俺が命令すると、数十の重騎兵たちが無言で武器を構える。彼らの気迫は、数万の人々が戦っているメリアノ平原を覆ってしまうほどだ。
「ケール!」
真っ黒な軍馬が戦場を駆け出す。この異国の純血軍馬は喜びに満ち溢れている。小さな牧場で育ちながらずっと夢見ていた『広大な戦場』で戦うことができて……歓喜を感じている。
俺も同じだ。灰色の貧民街でずっと夢見ていた。いつかは『俺の名前をこの王国の全ての人間に教えてやる』と……ずっと夢見ていた。今日こそ、その夢がかなう日だ。
戦場の真ん中へと疾走していたら、最初の敵兵が現れた。やつの瞳は恐怖に満ちて、体は絶望で凍りついている。俺は真っ赤な竜の戦鎚を振るって、やつの命を奪う。
「赤い……化け物……!」
敵軍が戦慄する。やつらも『赤い化け物と戦うかもしれない』と覚悟していたはずだ。しかしいざ『逃れられない死』を目の前にすると……恐怖に支配されてしまう。
「俺の前から……消えろぉ!」
俺は戦鎚を振るい続けた。前に立ち塞がる敵兵たちは一瞬で命を失い、鮮血と肉片だけが残る。俺の後ろを追っている重騎兵たちも、各々の武器を振るって殺戮を繰り広げる。
「し、死にたくない……!」
周りの敵兵たちが戦意を喪失する。彼らの目には……俺たちはもう人間ではない。地獄と化した戦場に降臨した、真っ赤な鋼鉄の悪魔たちだ。
「ううっ……」
目前の敵兵が絶望して、崩れるように座り込む。ケールはその敵兵の頭を無慈悲に踏みにじる。血が飛び散り、もう1度恐怖が広がる。
「悪魔だ……!」
「助けてくれ……助けてくれ!」
悪魔たちを目撃した敵軍は恐慌に陥る。全てを諦めて死を待つか、1刻も早く地獄から逃げ出すか……やつらにできるのはその2つだけだ。
「赤い化け物……!」
敵騎士たちが俺に突進してくる。ここで俺を倒さなければ、この戦争に勝てないと気付いたのだ。
「死ねぇ!」
華麗な鎧を着ている敵騎士は、長い槍で俺の心臓を狙う。悪魔を倒すための勇猛果敢な攻撃だ。名の知れた騎士に違いない。
「ぐおおおお!」
しかし俺の戦鎚は放たれた矢よりも早く動いて……長い槍を弾き飛ばす。そして俺はすかさずもう1撃を放って、敵騎士の華麗な鎧を強打する。
「ぐはっ……!」
強固な鎧が潰され、敵騎士は血を吐いて落馬する。
「ぬおおおお!」
俺は次の騎士に向かって、大きく戦鎚を振り下ろした。それで騎士の兜と頭蓋骨が粉々になり、真っ赤な血潮が噴出する。
俺を狙っているのは全員強者だ。数多の戦場を駆け抜けて、数多の敵を倒してきた騎士たちだ。そして俺はそんなやつらを容赦なく食い散らかす。
砂埃が舞い上がり、血の雨が降り注ぐ。数万の人間が集まっている戦場の真ん中で、俺は堂々と戦う。俺の戦鎚が曲線を描く度に、1人の騎士が命を失う。
「うおおおお!」
戦鎚『レッドドラゴン』は、飛んでくる矢すら叩き落とし、次の瞬間には敵騎士の頭を粉砕する。俺が進んだ道は真っ赤な血に染まり、死体だけが残される。
「む、無理だ……こいつは……無理だ!」
「退却しろ!」
敵騎士たちが馬首を返して、逃げ出そうとする。このままでは全滅すると気付いたわけだが……もう遅い。
「やつらを逃がすな……!」
俺と俺の重騎兵隊は敵騎士たちを追跡して、次々と葬った。その光景に敵の本隊は後ずさり、道が開かれる。
「このまま突破する!」
俺たちは戦場の真ん中を堂々とまかり通った。誰1人も真っ赤な悪魔たちを止めようとしない。
まだ地面が濡れていて、大規模の騎兵隊を運用することは難しい。しかし俺には大規模の騎兵隊など要らない。俺の仲間たちと、たった数十の精鋭さえいれば十分すぎる……!
やがて俺たちは戦場の反対側に辿り着いた。これほど大胆な突撃は、誰も見たことがないだろう。戦場に慣れた兵士たちの常識を超える行為だ。
思った通り、グレン男爵とハリス男爵の軍隊が敵の猛攻を受けていた。しかし俺たちの登場で、全てが変わる。
「はあああっ!」
味方と戦っている敵兵士たちを襲撃し、やつらを粉砕する。兜、鎧、盾……俺の邪魔をする全てを破壊し続ける。敵軍は悲鳴を上げ、藁のように脆く崩れる。
「はあっ!」
傍からレイモンの掛け声が聞こえてくる。彼は目にも留まらない速さで槍を動かし、敵兵士たちの頭に穴を開ける。
「へっ」
つい笑ってしまった。俺の部下ながら恐ろしいやつだ。
俺と『レッドの組織』の6人は集まって、互いの隙を補いながら戦った。俺たちの力は何倍に増幅し、周りの敵軍を殲滅し続けた。
俺の戦鎚がレイモンの隣の敵を潰すと、レイモンの槍が俺の後ろの敵を刺し殺す。ジョージの大斧が敵歩兵を両断し、エイブとリックの剣が敵弓兵を斬り捨てる。カールトンとゲッリトは連接棍を大胆に振るって敵騎兵を倒す。
瞬く間に数十の、数百の敵が命を落とし……やがて敗走し始める。たった数分の接戦で、味方の救援に成功した。
「レイモン」
「はっ!」
「このまま敵本隊を踏みにじる……!」
「はっ!」
もう敵の作戦は崩れて、勝負はついた。だがまだ足りない。俺は、俺たちは見せつけなけらばならない。覇王の力を……俺たちの存在を!
俺たちはもう1度戦場を駆け出して、敵本隊に向かった。ケール以外の軍馬は疲れていて、さっきのように全速力で突撃することはできない。しかしそれすらもう関係ない。
「や、やつらが来る……!」
俺たちを見ただけで、敵本隊は怖気づいてしまう。
この戦場の全員が目撃したのだ。たった数十の騎兵隊による突撃が、広大な戦場を覆したことを。彼らはその光景を一生忘れないだろう。
「俺たちの姿を……その目に焼き付けろぉ!」
後退する敵本隊に突撃を仕掛けて、片っ端から踏みにじった。俺たちはもう全身が真っ赤な血に濡れていたが、それでも殺戮を続けた。敵軍は恐慌状態になり、悪魔に追われるかのように逃げ出す。
後ろから味方の勝鬨が聞こえてくる。敵の敗走はもう誰にも収拾できない。
俺は戦闘を中止して、一緒に戦ってくれた精鋭たちを眺めた。傷を負った人もいるが、全員生き残った。その事実が嬉しすぎる。
やがて俺たちは堂々と凱旋した。俺の軍隊はもちろん、同盟の軍隊も歓声を上げながら俺たちを見上げる。
これで俺は自分の力を証明した。俺の噂は王国の隅々まで広がるだろう。そして国民たちが俺の名を称え、大貴族たちが跪く時……俺は覇王になる。




