第172話.真夜中の偵察
俺とエイブとリック、そしてシェラは偵察に必要な道具を持参して……野営地から出発した。
「月が明るいね」
傍からシェラが言った。
「これならランタンを使わなくても問題なく歩けるね」
「ああ……しかし逆に言えば、敵に見つかる可能性も高いってことだ」
「うん、気を付けないと」
俺たちは月明かりを浴びながら東に進んだ。すると道がどんどん狭くなり、やがて山の登り口に辿り着いた。
「こっちだな」
ここから山に入って、敵陣の近くまで行かなければならない。道に迷わないように注意しないと。
4人は無言で山を登り始めた。足音と夏虫の鳴き声だけが聞こえてくる。気温はちょうど良くて、暑くも寒くもない。
「シェラ」
俺はふと隣で歩いているシェラに話しかけた。
「あまり無理するな」
「レッドって、私のこと心配しすぎじゃない?」
シェラがペロッと舌を出す。
「そんな頼りにならないのかな、私」
「いや、そんなわけではないんだ」
俺は首を横に振った。
「ただ、俺にはお前が大事すぎて……心配になるんだ」
「ありがとう。でも……心配より信頼をしてほしいの」
「……そうだな」
確かにシェラの言う通りだ。
彼女も頑張って鍛錬してきたし、今は指揮官として活躍している。心配しすぎるのは……失礼な行為だ。シェラももう子供ではないのだ。でも……。
「シェラ」
「ん?」
「何かあったのか?」
俺の質問に、シェラは少し間を置いてから答える。
「実はね、レッドが1人で城に帰還した時……兵士たちは不安がっていたの」
シェラは淡々とした口調で話し続ける。
「みんな言葉には出さなかったけど、早くレッドに帰ってきてほしいという雰囲気だった」
「そうか」
「それを見て分かった。私は……レッドに頼りすぎだと」
シェラの瞳に強い意志が宿る。
「最初から私はレッドについて行くために戦場に立った。でもそれじゃ駄目。私も……自分の意志で戦わないと」
俺は何も言わないまま、ただ頷いた。
シェラに女性部隊の指揮官を任せたのは……強いて言えば『人材不足』のせいだ。女兵士たちをまとめられる女性指揮官が必要だったのだ。カレンもいるけど、彼女は歩兵全体を指揮しなければならない。
シェラは実家が実家だけに、人に指示することに慣れている。それに頭がよく、格闘技も上手だ。そして何よりも……信用できる。だからシェラに指揮官を任せた。
でもそれは……結局シェラに俺の考えを押し付けただけだ。『もし嫌ならやらなくてもいい』とも言ったけど……シェラが俺の決定に逆らうはずがないのだ。
それでシェラは『他意による戦い』に限界を感じていた。そして『レッドに頼ってばかりではいられない』と思ったわけだ。
「……俺の方こそ」
「ん?」
「俺の方こそお前に頼っているのかもしれない」
「何よ、そんなわけないじゃない」
シェラが笑った。
「レッドは強すぎるし、私がいなくても大丈夫なんでしょう?」
「違うさ。お前がいてくれるからこそ……俺は俺のままでいられるんだ」
「何それ」
シェラがもう1度笑った。俺もちょっと恥ずかしくなって笑った。
「ま、とにかく……これからもお互いに頼り合おう」
「うん」
シェラが小さく頷いた。
俺は自分も知らないうちに、周りの皆から頼られている。しかしだからといって周りの皆を子供扱いしてはいけない。彼らを本当の意味で『信頼』しなければならない。俺は月明かりの下でそう思った。
---
数時間後、俺たちは目的地に着いた。
「ここか」
俺は周りの地形を見回した。
高い崖に沿って狭い道がある。本来なら、この道を進めば崖の上に辿り着けるはずだ。しかしグレン男爵が説明した通り……今は大量の土砂崩れで道が塞がれている。
大軍が通るのは無理だ。しかし少数の精鋭なら……できるかもしれない。
「これから崖を登る」
俺がそう言うと、エイブとリック、そしてシェラが頷いた。
俺たちはまず崖を注意深く観察した。幸い完全な直角の崖ではない。体力と技術があれば……十分に登れるだろう。
「よし」
俺が先頭で崖を登った。突出した石を掴み、体重を移動させて、なるべく慎重に動いた。急ぐ必要はない。
他の3人も俺の後を追って崖を登り始めた。3人とも器用で機敏だ。
「ふう」
やがて数分後、俺は崖の上に辿り着いた。思ったより体力を消耗したけど、これで崖を登れることが証明された。
崖の上は平坦だ。ここから北に進めば敵の野営地だ。
「レッド」
ふとシェラの声が聞こえてきた。俺が地形を観察してるうちに、エイブとリックとシェラも崖を登り切ったのだ。
「みんなよくやった。これから敵の野営地の近くまで行く」
俺たちは崖の上を移動し、北に進んだ。
ここからは敵と遭遇する可能性がある。なるべく音を立てずに、痕跡を残さずに移動しなければならない。結構難しいことだけど……交戦は避けるべきだ。
そして30分くらい後、異変が起きる。
「ボス」
エイブが小さな声で俺を呼んだ。前方から敵兵士の姿が見えたのだ。
俺たちは素早く動いて、近くの茂みに身を隠した。2人の敵兵士はゆっくりと歩いて、俺たちの方に近づいてくる。
「ちっ」
どうやら敵兵士たちは見回りをしているようだ。しかしこんなところまで見回りをするなんて……敵も余計に慎重だな。
やがて2人の敵兵士は、俺たちが隠れている茂みのすぐ近くまできた。俺たちは息を殺して、敵の様子を注視した。
「……ん?」
1人の敵兵士がいきなり眉をひそめて、周りを観察する。痕跡は残していないのに……何か違和感を感じたんだろうか。
茂みから飛び出て、敵兵士を倒すことは簡単だ。しかしそうすれば……俺たちがここまで侵入したことが敵にバレてしまう。奇襲作戦が水泡に帰してしまうのだ。
さっさとどこかに行ってしまえ……と俺は心の中で念じた。でも敵兵士はむしろどんどん近づいてくる。
「おい、何かあるの?」
「何もないけど……うむ……」
敵兵士は仲間の質問に答えながらも、こっちに向かってくる。
こうなったら仕方ない。一瞬で始末してやる……と思った瞬間だった。シェラが小さい石を拾って、崖の方に投げた。
「あ……?」
敵兵士は崖の方に視線を移した。そしてゆっくりと崖に近づき、下を見下ろす。
「何してるんだ? もう行こう」
「ああ、そうだな」
そんな会話を交わしてから、敵兵士たちは自分たちの野営地に戻り始める。
「ふう」
敵の姿が完全に見えなくなったことを確認して、俺はため息をついた。やっぱりこういう隠密行動は俺向きではない。
「よくやった、シェラ」
「ふっ」
シェラは得意気な表情を見せた。俺は笑ってから、3人と一緒に帰路についた。




