第166話.無茶な選択? 違うな
兵士たちが狼煙を上げると、俺は黒い軍馬に乗って城から出陣した。
俺の後ろには700人の兵士が歩いていた。城の防御に必要な最低限の人員を除いて、全員出陣したわけだ。
「トム」
俺が呼ぶと、トムが白い軍馬に乗って近づいてくる。
「お呼びですか」
トムは鎖帷子を着て細剣を装備していた。小柄だがもう立派な士官だ。
「お前は……この出陣の目的をどう見ている?」
「目的ですか」
トムが落ち着いた口調で答える。
「敵は西へと進軍し、ルベンさんの部隊を攻撃しようとしています。我々は味方が撃破される前に敵を追跡して、殲滅しなければならない。これはそのための出陣だと存じます」
「ああ、その通りだ」
俺は頷いた。模範的な答えだ。
「しかし……もう話した通り、これは敵の罠でもある」
「はい、我々を城の外に誘き出すための罠ですね」
「そうだ」
俺はもう1度頷いた。
「城を陥落させるのは難しいと判断して、無理矢理にでも我々を城の外に誘導したわけだ」
「はい」
「城を占領せずに、敵地の奥に進軍するのは危険な選択だ。でも効果は確かさ。我々はこうして本当に外に出てしまったからな」
「味方がやられるのを見過ごすわけにはいきませんから」
その通りだ。ルベンの軍隊がやられると、反撃が難しくなる。いつまでも守勢のままでは……勝利できない。
「我々が城から十分に離れると、敵は反転して攻撃してくるはずだ」
「はい」
「問題はそれからだ。3倍の敵による集中攻撃を……撃退できると思うのか?」
「……できます!」
トムが力強く言った。
「先日の籠城戦の勝利で、我々の士気は高まっております! 総大将の下なら、どんな敵にも負けません!」
「いい答えだ」
俺はトムの姿を見つめた。たった2年の経験で、本当に大きく成長した。
「しかし……意気込みだけでは勝てないぞ」
「承知しております!」
トムは自信に満ちた顔で言った。
「だからこそ総大将は……数ヶ月に渡って連絡網を構築なさったわけですね!」
「こいつ……」
俺は苦笑した。
「本当に成長したな。ここ最近も戦略書を読んでいるのか?」
「はい! しかしまだまだです!」
トムが上気した顔になる。
「自分にはまだ、総大将の足下すら見えておりません! いつかは……総大将の半分くらいだけでもいいから、本当に強くなりたいと願っています!」
「男なら俺の半分くらいとかじゃなくて、『最強になりたい』と言え」
「それは流石に無理かと……」
「へっ」
俺が笑うと、トムも笑った。
トムの成長ぶりは『才能』という言葉だけでは説明できない。目にするもの全てから学ぶ『誠実さ』……それこそがこいつの強さだ。
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それから2日後、敵が広い平原で進軍を止めた。もう城から十分離れたし……反転してこちらを攻撃するつもりだ。
俺は敵から距離を置いて陣取り、トムと各部隊長たちを集めた。
「今回の勝利の鍵は2つ」
俺が口を開くとみんなの視線が集まる。
「まず1つは、我が軍の高い規律と士気だ」
俺は部下たちを見渡した。彼らの顔から強い闘志が感じられる。
「たとえ敵が3倍だとしても、我が軍は決して崩れない」
7月の太陽が我々を照らしている。流石に蒸し暑い。しかしこの暑さすら、我々の勢いを止めることはできない。
「敵の方は我々を恐れている。やつらに思い出させてやれ。先日の戦いを」
「はっ!」
部下たちが一斉に答えた。
「そして次の鍵は……連携だ」
俺は敵陣の向こうを見つめた。
「我が軍とルベンの軍は分断されている。敵はこれを利用し、各個撃破を狙っている。いい戦術だ」
いつの間にか俺は笑っていた。
「しかしその動きも……もう把握済みだ。『各個撃破の的』が『連携攻撃』に変わる時……我々の勝利が決まる」
俺は暗い軍馬『ケール』に乗り、部下たちを見下ろした。
「各自持ち場につけ。そして俺の命令通り動け。敵を粉砕する」
「はっ!」
部下たちが片膝をついて、頭を下げる。彼らにとって『赤い総大将』は……『戦争の神』だ。その信仰じみた信頼は……もう狂気の領域だ。
歩兵を防御の態勢で配置し、牧柵を建てて敵の騎兵に備えた。そうしているうちに太陽の日差しが弱くなり始めた。
敵は涼しい夕べに動くつもりだ。こちらとしては都合がいい。
「総大将!」
トムが軍馬に乗ったまま俺に近づき、報告を上げる。
「敵部隊が動き出しました! こちらに向かってきています!」
「ああ」
俺は頷いた。
「予定通り、射撃しつつ後方の牧柵まで下がる。各部隊長たちに合図を送れ」
「はっ!」
トムが馬を走らせて、俺の命令をみんなに伝える。
野戦において『偽装退却』は危険な選択だ。下手したら『偽装退却』ではなく『本当の敗走』になり得る。しかし我が軍の規律と士気は極めて高い。俺の命令なら……偽装退却も難なくこなせる。
美しい夕暮れを背景に、もの凄い埃が舞い上がる。そして同時に無数の足音が聞こえてくる。2400の敵が平原を横切って、こちらに向かってきているのだ。数分後には……やつらの姿がはっきりと視野に入ってくる。
「突撃! 突撃!」
「殲滅しろ!」
敵傭兵部隊が鬨の声を上げる。全員鎖帷子を着て、盾と剣を装備し、殺気のこもった目で突撃してくる。先日の戦いで敗北したとはいえ……流石戦場のベテランたちだ。突撃の最中にもしっかりと陣形を維持している。
「射撃開始」
敵が弓兵の射程内に入った時、俺が命令を出した。それで200の弓兵が一斉射撃を開始する。なかなか精錬された動きではあるが……敵の数が多くて、突撃を阻止させることは難しい。
「後ろに下がる」
1回射撃をしてから、我が軍は後ろに下がった。敵軍とは対照的に静かな移動だ。しかしそれは我が軍の闘志が敵に劣るからではない。その逆だ。俺の兵士たちは……全員極限まで闘志を溜めている!
牧柵まで退却してから、敵の突撃を迎え撃つ準備に入った。兵士1人1人が息を殺して、静粛な雰囲気の中で俺の指示を待っている。
「へっ」
俺は思わず笑った。兵士たちは、結局指揮官に似るのかもしれない。
「時間は十分稼いだ。やつらに……地獄を見せてやれぇ!」
俺の声が戦場に響き渡り、俺の兵士たちが一斉に雄叫びを上げる。
「うおおおお!」
「敵を蹴散らせぇ!」
700人の雄叫びが、2400の敵を勢いを圧倒する。そして数秒後……ついに両軍が激突する。
「皆殺しにしろ!」
「殺せ! 殺せ!」
槍兵が騎兵隊を必死に阻止し、弓兵が矢の雨を降らせる。歩兵たちは敵に密着して、血を流しながらも剣を振るう。血と鉄の匂い……戦場の匂いが瞬く間に広がる。
「ぐおおおお!」
激しい攻防により、敵の陣形に小さな隙が生じる。俺はたった数人しかいない騎兵を率いて、そこに突撃した。
「あ、赤い化け物だ……!」
俺が戦場に姿を見せただけで……周りの敵が怯んだ。先日の戦いでやつらは目撃してしまったのだ。『ただの噂ではない本物の化け物の力』を。
「俺の前に……立ち塞がるな!」
巨大な戦鎚『レッドドラゴン』を振るい、敵傭兵の頭を強打した。それでやつの頭はもう人間の頭とは呼べない肉片になってしまう。
「はあああっ!」
敵の血潮が噴出した瞬間、俺はもう次の敵の頭を粉砕していた。夕暮れの美しい空が真っ赤な血で染まる。
3人目の敵を粉砕した時……十字弓の矢が飛んできた。戦場の混沌の中でよくも俺を狙撃したのだ。
しかし集中力を極限まで高めた俺の目には、飛んでくる矢の軌跡がはっきりと見える。俺はケールに乗ったまま身を伏せて、鋭い矢先を回避した。
「この野郎……!」
十字弓兵に一直線で走って、戦鎚を上段から大きく振り下ろす。十字弓兵の頭は一瞬で無くなり、藁のように倒れてしまう。
ケールが低い鳴き声で喜ぶ。ケールも遠距離から攻撃されるのは嫌いみたいだ。
「総大将に続け!」
「総大将に合流しろ!」
俺が敵陣の中で暴れると、俺の兵士たちも狂乱になって暴れる。みんなの闘志が共鳴し、更なる力を発揮する。驚異的な人間の底力だ。
何しろ、今我々は3倍の敵と真っ向勝負をしているのだ。それなのに怯むどころか、みんな修羅になって戦っている。兵士たちはやっぱり指揮官に似るんだろうか。
「どけぇ! 雑魚ども!」
部下たちの壮烈な戦いを見て、俺の体から理解できないほどの力が湧いてくる。指揮官の俺も部下たちに影響されている。もう俺たちは700人の軍隊ではなく……700の修羅になっている。
敵の悲鳴をリズムにして、修羅たちが殺戮を続ける。その異常なまでの戦いぶりを見て、ベテラン傭兵たちすら恐怖に染まる。
「こ、こいつら……!」
「な、何をしている……!? 敵は少数だ! 突撃を続けろ!」
それでも攻撃を続けるのは、流石ベテランと言えるだろう。俺の戦鎚『レッドドラゴン』は、そんな勇敢な敵を容赦なく食い散らかした。
「うおおおおお!」
戦鎚が走る度に、敵の血の雫が空中に飛び散る。地面には血の川が流れ始めて、美しい夕暮れの下に地獄のような風景が広がる。
「ちっ!」
修羅になって戦いながらも、俺は冷静に戦況を見極めていた。味方の左側が敵の突撃によって突破されそうになっている。修羅たちすら数的劣勢を覆すのは容易くないのだ。
「ケール!」
俺はケールと一緒に全速力で走り、劣勢に陥っている味方部隊を救援した。
「はああああっ!」
味方を殺している敵騎兵の横腹に一撃を浴びせた。敵騎兵は血を吐いて落馬し、絶命する。
「総大将が来てくださった!」
「反撃しろ!」
俺の姿を見て兵士たちはもう1度力を振り絞る。それで崩れそうになっていた戦線が回復する。
「もう少しだ……!」
開戦から結構な時間が経っている。後もう少しだ。俺の本能がそう告げている。
俺は全力で走り回りながら、戦線を圧迫する敵を蹴散らした。俺も俺の兵士たちも人間の限界を超えた体力と精神力を発揮している。
そして更に数分後……ついに『その時』が来た。敵の後方から混乱の声が上がったのだ。
「へっ」
そう、俺が数ヶ月に渡って『連絡網』を構築したのは……味方と連携を取るためだ。狼煙を上げ、伝書鳩を飛ばし……『敵の後方を全速力で突け』と、ルベンの軍隊に伝えたのだ。
通常、軍隊を無暗に分散させるのは自殺行為だ。『広く分散させて敵を包囲する』ことも不可能ではないが……それはあくまでも味方と『緊密な連携』を取った場合だ。無暗に分散させると、味方がやられているのに助けに行けず『各個撃破の的』になるだけだ。
『緊密な連携』の鍵は『連絡』だ。常に味方に状況を伝達し、同じ戦場に集まって戦う必要がある。だから俺は領地の所々に監視塔を設置し、狼煙や伝書鳩を用意した。
その努力が今になって実を結んだ。ルベンは騎兵部隊を先行させて、やっとのこと我が軍が戦っている戦場に到着した。こうなったら『各個撃破の的』は『連携攻撃』に変わる。
「援軍が来た……!」
「味方が到着した!」
俺の兵士たちも変化に気付いて、士気が更に高まる。
「な、何だ!?」
「後方から……!?」
『後方からの奇襲』の恐怖は、ベテランほどよく知っている。敵傭兵たちは一瞬で動揺する。
「敵の援軍はたった数人だ! 怯むな!」
敵指揮官が必死に叫んで、動揺を収拾しようとした。
「数人だと……?」
俺すら少し驚いた。ルベンのやろう……まさかたった数人を先行させたのか?
その直後、俺はその『たった数人の援軍』の姿を直接目撃した。彼らは……本当にたった6人だ。たった6人の騎兵たちだ。
「まさか……」
しかしその6人は……全員赤い鎧を着て、極限まで鍛錬された武で周りを圧倒している。立ち塞がる敵を次々と倒し、凄まじい殺戮を繰り広げている。その威風堂々な姿は……まさに戦場の悪魔たちだ。
「ふふふ……」
俺は笑った。笑うしかなかった。たった6人の援軍の正体は……俺の組織、俺の最初の仲間たち……『レッドの組織』だった。




