第165話.選択の強要
朝早く執務室に入ると、シルヴィアの姿が見えた。
シルヴィアは動きやすい仕事用のドレスを着て書類と戦っていた。俺が「おはよう」と挨拶したら、彼女は席から立って頭を下げる。
「レッド様、おはようございます」
「こんな早い時間から仕事していたのか」
「私は時間に余裕がありますから……」
「要は暇ってことだな」
「はい、仰る通りです」
シルヴィアは少し恥ずかしそうに笑ってから、仕事を再開する。
俺は領主の席に座ってシルヴィアを見つめた。茶髪の小さな少女は領地の税金を計算していた。
「ほぉ」
思わず感嘆してしまった。税金の計算は、たぶんこの世で1番面倒くさい作業だ。俺も少しやってみたけど、結局エミルに一任した。
しかしシルヴィアは何の迷いもなくスラスラと計算を続けている。会計についてはエミルと同格かもしれない。
「……昔からお金の問題には少し敏感なんです」
ふとシルヴィアが言い訳するように呟いた。俺は「そうか」と頷いた。
「確か実家が名ばかりの貴族だったと言ったな」
「はい」
シルヴィアは書類に目を向けたまま頷く。
「貴族でありながらあまり遺産を分けてもらえなかった両親は、親戚たちの財政の管理を手伝って生計を維持しました。それで私も小さい頃から会計を学びました」
「なるほどね」
だから会計や書類仕事が上手いのか。
「そういう特技があるのは助かる。できればこれからも会計を任せたいな」
俺は腕を組んでそう言った。
「何しろ今の体制ではエミルの負担が大き過ぎる。信頼できる会計士が欲しい」
「……私のこと、信頼してくださるのですか?」
「もちろんだ」
俺は即答した。
「政略結婚といっても、結婚は結婚だ。俺たちはこれからもずっと一緒さ。信頼しなかったら話にならん」
「ありがとうございます」
シルヴィアが小さい声で答えた。
「シルヴィア」
「はい」
「午後は暑いし、今のうちにお散歩でもどうだ?」
「喜んで」
早速書類を片付けて、俺たちは執務室を出た。
廊下には数人のメイドたちが掃除をしていた。俺たちが横を通ると、メイドたちは一斉に頭を下げる。
俺はできるだけゆっくりと歩いた。俺とシルヴィアの身長の差がありすぎて、俺が1歩歩く度にシルヴィアは2歩歩かなければならない。ここは全力でゆっくり歩くしかない。
1階に降りて左側の廊下を少し進むと、窓越しに中庭の庭園が見える。この城にはいくつかの庭園があるけど、その中でも1番小さくて静かなところだ。
俺とシルヴィアは中庭に入って、一緒に満開の花々を眺めた。
「美しい庭園ですね」
「そうだな」
正直俺は花々についてよく知らないけど、見ていると気持ちは悪くない。
「このアジサイ、本当に綺麗……」
シルヴィアが手を伸ばして、アジサイにそっと触れる。その優雅な仕草は……名ばかりとはいえ流石貴族のお嬢さんだ。
「ダリアもこんなに大きく咲いて……」
「それがダリアだったのか」
「はい」
しばらくシルヴィアから花についていろいろ教えてもらった。
「なるほど、いろんな色のダリアがあるのか」
「はい、それに形も大きさもいろんな種類があります」
シルヴィアは笑顔で楽しく話した。
「あ……」
ふとシルヴィアの頬が赤くなる。
「申し訳ございません。ついお喋りになりました」
「いや、面白かったよ」
俺は笑顔でそう答えた。
「俺は花についてはまったくの門外漢だからな。いろいろ知識を得て面白かった」
「恐れ入ります」
シルヴィアが目を伏せる。
それから一緒にベンチに座って、無言の中で庭園の風景を楽しんだ。夏の朝の日差しがちょうど気持ちいい。
「あの……」
ふとシルヴィアが口を開く。
「私は……できればシェラさんといい関係を築きたいと思っております」
「そうか」
やっぱりそのことが気になっていたのか。
「もちろん正室と側室がいい関係を築くなんて、貴族社会でもごく稀なことですが……それでも……」
「シェラも同じようなことを言っていたよ」
俺はダリアを見つめながら言った。
「俺としては、2人が仲良くしてくれれば本当に助かる。でも強要するつもりはないし、2人の選択に任せるさ。いくら俺が領主でも……人間の心まで強要することはできないからな」
「……かしこまりました」
シルヴィアが微かな笑顔で頷いた。それからまたしばらく沈黙が流れた。
沈黙の中で……俺は自分の言葉が少し間違っていると思った。俺がいくら『2人の選択に任せる』と言っても、それはある意味もう強要なのだ。この領地の人間にとって『赤い総大将』の言葉は絶対だから。
---
シルヴィアと一緒に昼食を取り、一緒に執務室に戻った。
「総大将」
執務室にはエミルが1人で仕事をしていた。俺は彼に近づいて、これから会計の仕事はシルヴィアに任せると話した。
「そうですか」
エミルの声は冷たかった。仕事の負担が減るというのに、この男は喜ばない。むしろ『本当に任せてもいいのか?』と疑っている。
「シルヴィアは会計についてしっかりと勉強した。親戚たちの財政の管理を手伝ったこともあるらしい」
俺はシルヴィアが整理した財政報告書をエミルに見せた。
「……かしこまりました。異論はありません」
やっとエミルも納得したようだ。
「総大将!」
その時だった。副官のトムが強張った顔で執務室に入ってきた。
「敵部隊が動き出しました!」
「何?」
俺は少し驚いて、トムと一緒に執務室を出た。エミルが俺たちの後ろを追った。
全力で走って城壁の上に登ると、本当に敵傭兵部隊が移動をしていた。しかしあの方向は……。
「総大将!」
後ろからトムが荒い息をしながら声を上げた。
「敵は東ではなく西に向かっています! つまり……」
「ああ、やつらは退却しているわけではない」
敵は東の港湾都市『ハベルン』から来た。退却するのなら東に向かうべきだ。でも実際には西に向かって進軍している。
「敵は……援軍を各個撃破するつもりなんでしょうか!?」
トムが緊張した顔で言った。一理ある推論だ。
現在、この城を助けるために西の方から『ルベン・パウル』の援軍が来ている。このままだと敵は俺の軍隊とルベンの軍隊に挟撃されるわけだ。それを回避するために、敵は西へと進軍し……ルベンの軍隊を各個撃破するつもりかもしれない。
「ルベンさんの軍隊は1500だと聞いております! 単独で2400の敵と戦ったら勝算はかなり低いと存じます!」
「そうだろうな」
俺は頷いた。トムの予測は正しい。
何しろ敵は戦場のベテランである傭兵部隊だ。同数で戦ってもルベンに勝算はない。
「ここは敵を追跡するべきと判断されますが……」
トムが揺るぎない眼差しで俺を見上げる。俺がどんな判断を下しても、こいつは絶対的に信頼してくれるだろう。
「……お前の推論は正しい。しかし敵の意図は各個撃破だけではない」
「それでは……」
「敵の本当の意図は……俺たちへの誘導作戦だ」
俺がそう答えた時、エミルがやっと城壁の上に登ってきた。
「俺たちが慌てて城から出陣すると、待っているのは3倍の敵による集中攻撃だ」
「し、しかしこのままだと……」
「ああ、ルベンがやられるだろう」
俺は苦笑した。
「敵は俺たちに選択を強要している。出陣したら集中攻撃、出陣しないと援軍が各個撃破……そういう2択を迫られているわけだ」
「それでは、どうすれば……」
トムが唇を噛んだ。事態の深刻さに気付いたのだ。
「ルベンさんの軍隊と連携を取ろうとしても、今の状況では到底無理ですし……」
「答えはもう出ているさ」
俺は笑った。
「出陣して3倍の敵を正面から撃破する。それで解決だ」
「かしこまりました! 直ちに出陣の準備をします!」
トムが片膝をついて頭を下げる。
「本当に……」
傍からエミルが疲れた顔で呟く。
「いつも無茶な選択をしますね、総大将は」
「へっ」
俺はもう1度笑ってから、城から離れていく敵部隊を見つめた。




