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第164話.怖いもの

 籠城戦は我が軍が勝利した。しかしまだ敵を完全に撃滅したわけではないし、城の包囲が解かれたわけでもない。


 翌日の朝、俺は執務室でエミルやトムと一緒に作戦会議を行った。


「昨日の戦闘で、敵は約600の兵力を損失したと推定されます。よって総兵力は3000から2400まで減少しました」


 エミルが冷静な口調で報告を上げた。


「なかなかの戦果だな」


 俺は頷いたが、エミルは首を横に振る。


「しかし我が軍の方も約90の兵力を損失し、総兵力は880から790になりました。楽観はできません」


「あんな大勝利をしたのに、まだ敵の方が3倍以上多いか。ま……いつものことだけどな」


 思わず苦笑した。何倍の敵を相手するのはもういつものことだ。


「トム」


「はっ!」


「城門や城壁はどうだ?」


 俺の質問に、トムは直立不動で応える。


「城門の方は、敵の次の攻撃まで補修可能と存じます。しかし城壁の方は……」


「やっぱり西の城壁は無理か?」


「はい。損傷が大きくて、数ヶ月以上の工事を必要とします」


 昨日、敵軍はトレビュシェットで西の城壁を集中攻撃した。その結果城壁の一部が完全に崩れてしまい……大きな穴が開いてしまった。


「兵士たちの士気は?」


「もうこれ以上はないと断言できるほど高いです」


 トムの声が明るくなる。


「総大将が帰還なされて、兵士たちの顔から不安や恐怖が消えてしまい……昨日の勝利で更に士気が高まりました。つい先日までの暗い雰囲気が嘘みたいです」


「うむ」


 不利な戦場の雰囲気を変えて、兵士たちに勝利を確信させる。そしてそれが反撃の糸口になる。逆転勝ちの理想的なパターンだ。しかし……。


「……敵軍の方はどうだ?」


 その質問を聞いてトムの顔が強張る。


「それが……少し不思議です」


「不思議?」


「はい」


 トムが頷く。


「今まで相手にしてきた軍隊とは違って、敗北後にも落ち着いています。相当な被害を受けたはずなのに……」


「ま、やつらは傭兵部隊だからな。負け戦にも慣れているんだろう」


「確かに……仰る通りと思います」


「それに指揮官の力量も高いと見た」


 俺は顎に手を当てた。


「敵は小さな傭兵団の集まりだ。普通なら各団長たちの意見が一致せず、烏合の衆になってもおかしくないのに……上手くまとめている。あのダニエルという男の統率力が優れているんだろう」


 『有能な指揮官』の必須条件は『統率力』だ。極端的に言えば、統率力のある指揮官は自分の足で歩けなくても問題ない。指揮官は後方で指揮だけに専念して、最前線で戦う役割は部下に任せればいいから。


 いや、むしろそれが普通の軍隊だ。総指揮官のくせに真っ先に突撃する俺の方が……数少ない例外だ。


「総大将」


 エミルが口を開いた。


「反撃に出るのはまだ早計だと判断されます。ここは防御に徹するべきかと」


「ふむ……」


「少なくとも2週間後にはルベン・パウルの援軍が到着します。彼らと合流してから反撃するのが妥当でしょう」


 もっともな意見だ。まだ敵との戦力の差が大きいし、むやみに攻撃するのは危険だ。


「でも……何か釈然としないな」


 俺がそう呟くと、トムが頷く。


「自分もそう思います。別に根拠があるわけではありませんが……」


「ああ、少し嫌な予感がする」


 俺とトムの会話を聞いて、エミルが微かに笑う。


「また『直感』ですか? 私にはちょっと理解しがたい」


「へっ」


 俺は苦笑した。


「何しろ俺たちは包囲されて、外部からの情報が制限されている。状況の変化に気付かず、意表を突かれる可能性は常にある」


「それは確かにそうですが」


 エミルもその点は気になるはずだ。彼が誇る情報部も、今は機能していないのだ。


「とにかく今はエミルの意見通り、防御に徹する。しかし……トム、敵の動きを常に確認せよ。小さな変化も見逃すな」


「はっ!」


 トムが真剣な顔で答えた。それで作戦会議が終わった。


---


 作戦会議の後、俺はふと思い出して1階の宴会場に向かった。


 廊下を歩いていると、もう歌声が聞こえてきた。今日もタリアは頑張って公演しているのだ。


「ふむ……」


 宴会場の中を覗くと、タリアが道化師のような服装を着て歌っているのが見えた。そして休憩中の兵士たちやメイドたちが席に座ってタリアの歌を聞いていた。観客の中には……シルヴィアもいた。


 俺は宴会場に入って、シルヴィアの隣に座った。


「レッド様……」


 俺の姿を見て、シルヴィアは目を丸くして驚いた。しかし俺が口元に指を当てて「しーっ」と言うと、彼女は口を噤んだ。


「あの日の思い出がいつまでも色褪せないように……!」


 タリアは情熱的な歌を歌っていた。俺とシルヴィアはしばらく一緒に歌を楽しんだ。


「……それでは、午後の公演はこれにて終了します。本日ご来場頂き、誠にありがとうございます!」


 やがて30分くらい後、タリアが公演を終えた。観客たちは一斉に拍手した。俺とシルヴィアも大きく拍手した。


「領主様!」


 タリアが明るい顔で俺に近づいてきた。


「領主様のご来場、幸せに存じます!」


「ご苦労。今日も素晴らしい公演だったよ」


「恐縮です!」


 タリアは笑顔で深々と頭を下げる。


「俺とシルヴィアとお前……3人でジュースでも飲むのはどうだ?」


「おお! それは願ってもないお話でございます!」


 タリアの答えを聞いてから、俺はシルヴィアの方を見つめた。するとシルヴィアはゆっくりと頷いた。


「レッド様のご意向なら」


「よし、決まりだな」


 俺は2人の少女と一緒に2階の応接間に入って、メイドたちにジュースを頼んだ。そして3人で会話を始めた。


「暑いのに数時間も歌うなんて、相変わらず凄いな」


「いえいえ! 戦っている皆さんに比べれば、別に大したことではありません!」


 3人で会話と言っても、結局俺とタリアが喋るだけだ。シルヴィアは口を噤んで、俺たちの話を聞いた。


「それにしても……」


 俺はジュースを飲み干して、タリアを見つめた。


「怖くないのか? 城が包囲されているのに」


「めっちゃ怖いであります!」


 タリアが両手を上げて答えた。それを見て俺は思わず笑った。


「怖いのによくも歌えるんだな」


「怖いから、逆に必死に歌っております!」


 タリアが得意げな顔で説明する。


「最初は怖くて、公演を中止しようとも思っておりましたが……トムさんから助言を受けました!」


「トムから?」


「はい、トムさんは……『自分も戦場が怖いけど、総大将の姿を思い出して頑張っている』と言いました! そして自分は、そんなトムさんの姿を見て頑張ろうと思ったんです!」


 タリアが目を輝かせた。


「怖いからって何もしないより、今できることを精一杯する……それで怖がりの自分でも生き残ることができるのであります!」


「なるほど」


 俺は頷いた。


「素晴らしい心構えだ」


「恐れ入ります!」


 タリアは明るく笑った。


 しばらくして、タリアは自分の部屋に戻った。それで俺はシルヴィアと2人きりになった。


「シルヴィア」


「はい」


「お前の方はどうだ? 戦闘が怖くないのか?」


 その質問に、シルヴィアは少し考えてから答える。


「……正直に申し上げますと、私はそれほど怖くありません」


「ほぉ」


 予想外の答えだ。俺はシルヴィアの小さい顔を見つめた。


「それは珍しいな。兵士たちすら戦場を怖がるのに」


「たぶん私は……シェラさんやタリアさんとは、いいえ、他の皆さんとは少し考え方が違うと存じます」


「そうか」


 この小動物みたいな可愛い少女は、『赤い化け物』を目の前にしても怖がらなかった。意外に肝が据わっているのは確かだが……。


「じゃ、お前には怖いものがないのか?」


「いいえ、私にも怖いものはあります」


「それは何だ?」


「それは……」


 シルヴィアが目を伏せる。


「それは……今この場では、お答えいたしかねます」


「じゃ、いつ答えられるんだ?」


「レッド様と正式に婚約式を挙げる日に、お答えできるかと」


 シルヴィアは頬を少し赤く染めながらそう言った。俺は笑顔で「分かった」と頷いた。

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