第160話.本当にやっかいな状況だな
柔らかいベッドで寝ている俺に……誰かが近づいてきた。俺は目を閉じたままその誰かの気配を探った。
軽い足音からしてたぶん女性だ。でもメイドではない。メイドなら仕事をするはずだ。しかしこの女性は……ただ俺を見つめている。
別に敵意などは感じられない。むしろ好意が感じられる。ということは……シェラか。
たぶんシェラは俺にイタズラする気なんだろう。そう判断した俺は、いきなり手を伸ばしてシェラの手を掴んだ。
「キャー!」
しかし聞こえてきたのはシェラの声じゃなかった。俺は驚いて目を覚ました。
「れ、レッド様……!」
茶髪の少女の姿が見えた。小さい顔と大きい瞳のせいで、まるで小動物みたいな印象の女の子だ。
「シルヴィア……?」
それは俺と婚約予定の『シルヴィア・パウル』だった。
「すまない」
俺は慌ててシルヴィアの手を放した。
「お休みのところ、申し訳ございませんでした!」
シルヴィアが慌てて謝ったが、俺は首を横に振った。
「いや、俺の方こそ……無礼を詫びよう」
俺はベッドに座って、ぼんやりした頭で記憶を探った。
そう、シェラはここにいない。俺は1人で敵陣を突破して城に帰還したのだ。そして相当疲れた俺は体を洗った直後、すぐ眠りについた。
「……シルヴィア」
「はい」
俺が呼ぶと、シルヴィアは従順な態度で答える。
「どうしてここにいるんだ? 何かあったのか?」
「いえ……」
シルヴィアが首を横に振る。
「申し訳ございません。私は……」
「俺に言いたいことでもあるのか?」
「いえ、私は……」
シルヴィアの頬が少し赤くなる。
「私はただ……」
「ただ……?」
「ただ、レッド様のお顔を拝見したいと思って……」
俺の顔を? どうして?
沈黙の中で……俺は考えてみた。
「なるほど」
数秒後、何となく答えを見つけた。
「不安だったのか? 城が攻撃されて」
「それもありますが……」
シルヴィアが視線を落とす。
「ただ、拝見したかったんです」
俺にはその答えが少し理解できなかった。
「……ま、ありがとう」
俺は立ち上がった。
「そろそろ仕事を始めるか」
「もう少し休まれた方が……」
「大丈夫さ」
「……はい」
シルヴィアが頷く。
「その、私にお手伝いできることがありましたら……ぜひ仰ってください」
「ああ」
俺は頷いたが、正直この女の子の意図が分からなかった。
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しばらくして、俺は城の執務室に入った。
「総大将!」
副官の席に座っていたトムが立ち上がる。そしてエミルも無言で席を立つ。
「トム、エミル……元気にしていたか?」
「はっ!」
「はい」
トムとエミルが同時に答えた。俺は領主の席に座って、2人を見つめた。
「現状を教えてくれ」
「かなり危険な状況です」
エミルが冷たい声で言った。
「敵傭兵部隊はこの城を完全に包囲し、周りの道路を封鎖しています。そして不定期的に波状攻撃を仕掛けてきています」
「こちらの被害は?」
「約120名の死傷者が出ました」
「そうか」
こちらの兵力は880くらい、それに対して敵の数は3000弱か。
「申し訳ございません!」
トムが片膝をついて頭を下げる。
「自分のせいで……城が危険な状況に陥ってしまいました!」
「いや、お前はよくやったよ」
俺は首を横に振った。
「俺も昨日直接戦ってみたけど、敵は数が多い上になかなか手強い。今までよく耐えてくれた、トム」
「……感謝いたします!」
トムが頭を深々と下げる。
「敵の指揮官に関する情報はあるか?」
「それが……」
エミルが口を開く。
「敵の指揮官は、先日カーディア女伯爵の使者としてこの城を訪ねた男です」
「……ダニエル?」
「はい、その人です」
なるほど……あの『海賊狩り』のダニエルか。
俺は黒髪の長身男性を思い出した。やつは……確かに有能そうだった。これはやっかいだな。
「ルベンには救援要請を送ったのか?」
「はい、しかしルベン・パウルからの援軍は遅れています」
「どうしてだ?」
俺が眉をひそめると、エミルが冷たい声で説明する。
「どうやら彼の領地で、またしても不満分子が反乱を画策したようです」
「また『金の魔女』の差し金か?」
「はい」
「やってくれるな」
俺は苦笑した。
「このケント伯爵領に対する工作は事前に防ぎましたが……ルベン・パウルの場合、彼に不満を持っている人間が結構いるみたいです」
「なるほどね」
ルベンが俺とシルヴィアの婚約を急いだのも、俺の力に頼って領民たちの不満を鎮めるためなんだろう。
「確かに危険な状況だな」
3倍以上の敵に包囲された上に、援軍が遅れている。しかも敵は戦争のベテランである傭兵部隊で、敵の指揮官は有能だ。それなのに今まで耐え抜いてきたんだから、トムは本当によくやってくれたのだ。
「城壁の状態はどうだ?」
「敵の攻城兵器によって西の城壁が破損しました。しかしまだ持ち堪えられると思います」
トムの答えを聞いて、俺は考えにふけた。
いつもの俺なら……騎兵隊を率いて敵陣を1点突破し、この状況を覆すはずだ。しかし現在、この城には騎兵隊がいない。
「……まずは敵の攻撃を待つ」
俺はそう宣言した。
「敵の攻撃を1回受け止めてから、反撃に出る。敵の攻城兵器の動きに注意しろ」
俺の指示に、トムとエミルが「はっ」と答えた。




