第149話.ご丁寧な宣戦布告だな
シルヴィアを俺の城に招き入れたから3日が過ぎた。
俺はシルヴィアとほとんど顔を合わせなかった。気の毒ではあるが、今は戦争準備のために忙しいし……だからといって彼女を軍事訓練に参加させるわけにもいかない。
今日も俺は側近たちと訓練を指揮した後、城に戻って体を洗い、シェラと一緒にベッドで横になった。
「疲れた……」
シェラが呟く。俺は手を伸ばしてシェラの頭を撫でた。
「本当にご苦労だった、シェラ」
「レッドもね」
シェラは俺の手を掴んだ。
「軍隊の指揮がこんなに疲れるなんて、知らなかった」
「でも少し慣れてきているみたいじゃないか」
「まだまだ未熟だよ」
シェラが恥ずかしそうに笑う。
「戦場までついていくって言ったのは私だけど、まさか指揮まですることになるとは思ってもみなかった」
「お前に指揮までさせたくはないが……今回は仕方ない」
「うん、分かっている」
戦場に出る以上、完璧に安全な場所などない。でも普段なら、シェラのいる後方部隊は補給や退路の確保などを担当しているし……奇襲されたり戦線が突破されたりしない限り安全だ。でも今回の戦いは……そう単純にはいかない。
「……そう言えばね」
シェラが視線を落として話す。
「今朝……あの人が話しかけてきたの」
「あの人?」
「シルヴィアさんのことよ」
シルヴィアが……シェラに話しかけてきたのか。
「あの人ね、明るい顔で『何かお手伝いできることがあるんでしょうか』と聞いてきたの」
「そうか」
「適当に答えたけど……驚いた」
シェラの声が少し小さくなる。
「私はね……あの人をどう接すればいいのか、正直分からない。側室といっても、私より年上だし……貴族だし」
俺はシェラの声に耳を傾けた。
「だから敢えて考えないようにしたけど……結局いつかは通らないといけない道だよね」
確かにそれはそうだな。
「悪い人には見えなかったけど……レッドはどう思う?」
「正直よく分からない。何せ、まともに話したこともないからな」
「じゃ、これからも話さないつもり?」
シェラが俺を見上げた。俺は「さあな」と肩をすくめた。
「結局政略結婚だ。エミルの言う通り、愛情も実際の結婚生活も必要ないさ」
「でも……それではシルヴィアさんがあまりにも不憫……」
シェラが再び視線を落とす。
「あまり気にするな。戦争が終わったら、俺が何とかするから」
「心配だよ。レッドって乙女の心が理解できていないし」
「へっ」
俺は少し強引にシェラを抱きしめて、彼女の柔らかい唇にキスした。
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シェラとシルヴィアのことも心配だけど、当面の課題は戦争準備だ。
今回は長期戦になる可能性が高いから、いつもより多くの食糧を備蓄しておく必要がある。戦争って本当にお金のかかる仕事だ。
幸いなことに、同盟の『アップトン女伯爵』が約束通り資金を支援してくれた。『銀の魔女』と呼ばれるだけあって、かなり大きい資金だ。
「期待以上の支援ですね」
送られてきた金貨を確認して、エミルが呟いた。
「これなら食糧の確保も問題ないでしょう」
「そうだな」
アップトン女伯爵は俺のことがあまり気に入らない様子だった。しかしそんな個人的な感情で大局を見失ったりはしないようだ。
「情報も細かく提供してきているし……あの女、有能だな」
「無能だったらもう『金の魔女』の手によって滅んでいるでしょう」
2人の魔女は、数年前から領土紛争で揉めている。エミルの説明によると、領土自体の価値はあまり高くないけど……若手の実力者であるアップトン女伯爵を牽制するための紛争だそうだ。
アップトン女伯爵は冷徹な人物だ。もし俺が自分の利益にならないと判断したら、迷わず同盟を切るだろう。しかし逆に言えば、共通の強敵がいる限りは信頼できるという意味だ。
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それから戦争準備が順調に進み……いつの間にか4月になった。そろそろ向こうが動き出すだろうと思っていたが、案の定、使者を送ってきた。
そして4月6日、俺は城の執務室で『金の魔女』の使者と接見した。
「再びお会いできて光栄です」
礼服姿の使者が丁寧に挨拶した。しかし俺は彼の顔を見て少し驚いた。
「お前は……」
黒髪に長身、鋭い目つきをしている30代の男だ。俺はこの男と以前会ったことがある。
「確か……『ダニエル』だったけ?」
「覚えてくださいましたか」
ダニエルが笑顔を見せる。
そう、こいつは『海賊狩り』のダニエルだ。俺が海賊の本拠地を叩き潰した時、この男は巨大な軍艦と共に現れた。
「いつ海賊狩りから使者に転職したんだ?」
俺の質問に、ダニエルは笑顔を崩さず答える。
「私は傭兵です。相応の報酬さえもらえれば、少し変わった仕事も引き受けますよ」
「なるほどね」
俺は頷いた。
「それに……私はレッド様に対して個人的な興味を持っております」
「俺に?」
「はい」
ダニエルが頷く。
「仕事上、いろんなところに友達がいて……いろんな噂を耳にします。ところでレッド様に関する噂は、どれも信じられないものばかりでしてね」
「そうか」
「それらの噂がどこまで真実なのか、自分の目で確かめたい所存です」
ダニエルが俺を凝視する。
俺は直感した。やっぱりこいつは単なる海賊狩りではなく……『金の魔女』の情報網の一角を担っているに違いない。
「で、今日は何しにここまで来たんだ?」
「もちろん外交のためです」
ダニエルは笑顔で説明を始める。
「現在、レッド様はケント伯爵領及びパウル男爵領を統治していらっしゃいます。短期間でこれほどの勢力拡大を成し遂げたのは、レッド様が規格外の力をお持ちだからでしょう。しかしレッド様の勢力拡大は……こういう言い方は大変失礼ですが、あまり褒められる行為ではありません」
「ま、そうだな」
俺はルベン・パウルを傀儡にしてパウル男爵領を奪い、その後侵攻してきたケント伯爵を倒してケント伯爵領も奪った。これは国王不在の混乱、つまり乱世だからこそ可能な行為だ。
「今はまだいいでしょうけど、どのような形であれ混乱が収まったら……レッド様の現在の地位は危うくなります。最悪の場合、反逆者として扱われる可能性もあるでしょう」
「それで?」
「もしレッド様があの『銀の魔女』との関係を断ち、カーディア女伯爵様に協力してくださるのなら、現在の地位を維持することは容易いでしょう」
「なるほど」
俺は笑った。
「何を言いたいのかは分かったよ。しかしその提案はちょっとおかしいんじゃないか?」
「……と申しますと?」
俺とダニエルの眼差しがもう1度ぶつかる。
「カーディア女伯爵は、今まで何度も俺の親書を無視してきた。それなのに今更協力を提案するのか?」
「それは立場の上、仕方のないことでした」
ダニエルが即答する。こういう質問は予想していたんだろう。
「貴族の盟主格として、レッド様のことをすぐ認めるわけにはいかなかったわけです。しかしカーディア女伯爵様は決して融通の利かないお方ではありません。あのお方は、レッド様をカーディア家の一員として受け入れることも考慮中でいらっしゃいます」
「また縁談かよ」
俺は苦笑した。
「悪いけど、縁談ならもうたくさんだ」
「それはそれは……残念ですね。何しろレッド様のような英雄なら、多くの側室をお持ちになってもおかしくないだろうに」
「お世辞は要らない」
俺は冷たく返した。
「お前の……いや、お前の主の意図はお見通しだ」
「カーディア女伯爵様はあくまで善意をもって……」
「離間の計なんだろう?」
俺の言葉に、ダニエルの顔から笑みが消える。
「お前は俺とアップトン女伯爵の連携を崩すために、甘い言葉を並べているだけだ。もし俺がここで答えに悩んだら『レッドはアップトン女伯爵と手を切るつもり』と噂を流すだろう。そしてだんだん疑心を増幅させて、やがては分裂させる算段だ。違うか?」
ダニエルは口を噤んだ。
「戻ってお前の主に伝えろ。俺を倒したいのなら、こんな小汚いやり方ではなく……大軍を持ってこい、と」
「……分かりました」
ダニエルが再び笑顔を見せる。
「レッド様のご意向は十分理解しました。たぶんカーディア女伯爵様ならレッド様の希望にお応えなさるでしょう」
「そうか」
「はい。では、またお目にかかる機会を今から楽しみにしております」
「ああ」
俺とダニエルは笑顔で挨拶を交わした。




