第148話.シルヴィア
春になってから忙しい日々が続いていた。
俺はもちろん、シェラ、トム、カレン、エミルも忙しく動いていた。敵の侵攻が近づいてきている今、できる限りのことをやっておかなければならない。
吟遊詩人見習いの少女、タリアも頑張って活動していた。彼女は静かで繊細な歌を歌い、仕事に疲れた兵士たちやメイドたちを癒してくれた。
そして3月末、俺の城に訪問者がやってきた。それは『ルベン・パウル』と彼の従妹『シルヴィア・パウル』だった。
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水曜日の午後、執務室で書類の山と戦っていたら……トムが入ってきて報告を上げる。
「総大将、ルベン・パウルさんとその一行が城下町に到着しました」
「来たか」
俺は席から立ち、トムと一緒に執務室を出た。
正直に言って……今は『政略結婚』に気を使っている余裕はない。しかし流石に相手の顔も見ないのは失礼すぎる。迎えに行かなきゃ。
「しかし……ルベンのやつ、相当急いでいるな。戦争の後でもいいだろうに」
たぶんルベンとしては、俺の気が変わらないうちに婚約を成立させたいんだろう。
俺は城門まで出てルベンを待った。俺の後ろにはトムと数十の兵士たちやメイドたちが並んでいた。春の日差しが暖かくて、俺は散歩でもしたいと思った。
しばらくすると馬に乗っているルベンが現れた。彼の後ろには数十の兵士たちと1台の華麗な馬車がある。シルヴィアはあの馬車の中なんだろう。
「総大将」
ルベンが馬から降りて俺に挨拶する。貴族の彼だが、平民の俺に仕えることを素直に受け入れている様子だ。
「ご苦労、ルベン」
「ああ」
ルベンは頷いてから後ろの馬車を振り向く。
「シルヴィア、城に着いたぞ」
ルベンが声を上げると、華麗な馬車の扉が開かれ、2人のメイドと茶髪の少女が下車する。俺は茶髪の少女を注意深く見つめた。
少女の肌は真っ白で、着ているドレスも真っ白だ。背は女性の中でもちょっと低い方だ。俺に比べたらかなりの差がある。
俺と同じく19歳のはずなのに、小さい顔に大きな瞳、そしてスリムな体型のせいで幼く見える。15歳のタリアといい勝負だ。貴族のお嬢様らしい美少女と言えるだろうけど。
しかし俺が注視したのは、シルヴィアの美貌ではない。彼女の表情だ。いきなり『赤い化け物』と婚約することとなった貴族のお嬢様は……一体どんな表情を見せるんだろうか。
大体の人間は、俺の姿を初めて見た時……恐怖を示す。女性なら尚更だ。小さい女の子の場合は、俺の姿に怯えて泣きながら逃げ出すこともよくある。
「……お初にお目にかかります」
馬車から降りたシルヴィアは、礼儀正しく俺に挨拶する。
「パウル男爵領の統治者ルベン・パウルの従妹、シルヴィア・パウルと申します。ふつつかものでありますが、今後ともよろしくお願いいたします」
挨拶してから、シルヴィアは穏やかな表情で俺を見上げる。
「俺はレッドだ」
俺はシルヴィアの瞳を見つめながら答えた。綺麗で、揺るぎない茶色の瞳だ。
「長い旅に疲れているだろう? 部屋を用意しているから、ゆっくり休んでくれ」
「はい、お言葉に甘えさせていただきます」
俺はルベン、そしてシルヴィアを連れて城に入った。トムと兵士たち、メイドたちが俺たちの後を追った。
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俺はまずシルヴィアを2階の広い客室まで案内した。彼女にはしばらくここで生活してもらう。
シルヴィアと彼女の専属メイドを部屋に残して、俺はルベンと一緒に執務室に入った。今後のことについて彼と話し合う必要がある。
俺とルベンは執務室の椅子に座り、暖かい紅茶を飲みながら会話を始めた。
「戦争準備はどうなっているんだ、ルベン?」
「8割……というところだ」
ルベンが真面目な顔で答える。
「城の守備兵を除いて、僕が動員できる兵力は約1500だ。規模は小さいが、しっかり訓練されている」
「そうか」
俺とルベンの兵力を足せば5000を超える。一介の領主としては結構な数の軍隊だが、敵はこちらより多い。
「どう動くつもりだ? やっぱりこちらから打って出るのか?」
ルベンの質問に俺は首を横に振った。
「敵の出方を待つさ」
「お前らしくないな」
「へっ」
俺は思わず笑った。
「俺を何だと思っているんだ? 俺はケント伯爵みたいなイノシシではない」
「でもお前の武力なら普通に勝てると思うけど」
「たとえ勝っても、多くの部下たちが犠牲になったら意味がない」
「それは……そうだな」
ルベンが頷く。
どうやらルベンは……俺の武力を絶対的に信頼しているようだ。まあ、だからこそ貴族でありながらも俺の部下のままで満足しているんだろうけど。
「先日連絡した通り、カーディア女伯爵は陸路と海路を同時に使ってくるはずだ。まずは敵の侵攻を食い止めて、反撃に出る」
「ふむ……」
ルベンは顎に手を当てる。
「常に連絡手段の確保を忘れるな。そして俺が指示を出すまでは、領地の防備に集中しろ」
「分かった」
俺はしばらくルベンと軍隊運用の詳細について話し合った。
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翌日、ルベン・パウルは自分の領地に戻った。正式な婚約式は戦争の後になるだろうけど、一応シルヴィア・パウルのことを完全に俺に任せたわけだ。
そのシルヴィアのことだが、ただ自分の部屋で静かに過ごしているようだ。たまに城の庭園を散歩している以外は、何かを要求してくることもないらしい。
正直に言って、俺にはシルヴィアに構っている暇はない。ただエミルに指示を出して、情報部員のメイドにシルヴィアのことを監視させただけだ。たぶんシルヴィアもそのことを気づいているだろう。
シェラは……何の反応も見せなかった。俺も何も言わなかった。




