第134話.人間の光
『裁判』は領主として大事な仕事の1つだ。
領主は王国法と自分の判断に基づいて、自分の直轄領地で行われる裁判で判決を下す必要がある。これを疎かにすると人々の紛争はいつまでも終わらない。
俺の前任者であるケント伯爵は……裁判をほとんど配下の官吏たちに任せたようだ。それだけなら『忙しかった』と言い訳できなくもないけど、事後確認すらろくにしなかったらしい。その結果一部の官吏たちの独断で裁判の結果が左右され、腐敗も酷かった。
その官吏たちは全員監獄に送ってやったから、もう俺が直接判決を下すしかない。ま、エミルに任せることもできるけど……彼はいろいろ忙しい。
城の2階の裁判所は、円形の広い部屋だ。中央には被告人の席があり、東側には原告人の席が、西側には弁護人の席がある。南側には傍聴人たちのための多数の椅子が置かれている。そして北側には領主の席……つまり俺の席がある。
俺が裁判所に踏み入ると、十数人の傍聴人たちが軽く騒めいた。傍聴人のほとんどはこの領地の有力者たちで、今日は多分『噂の赤い総大将』の力量を確かめにきたんだろう。
俺は領主の席に座って、人々を見下ろした。そしてトムとシェラが俺の左右に座る。
「今日の裁判を開廷します」
トムが少し上気した顔で宣言すると、傍聴人たちが静かになり、1番目の被告人が入廷する。
1番目の被告人は若い男だ。外見は普通の農家の青年だが、疲れ切った顔をしていて、両手に手かせをはめられている。
「被告人の罪状は殺人です」
原告人の席から、警備隊士官が声を上げる。
警備隊士官の説明によると、被告人は1ヶ月前に別れた元恋人の女性と会話中、逆上して突発的に彼女を殺害したそうだ。
「現場の状態、証人、被告人の自白まで……疑う余地はありません。被告人の犯行は明らかです」
警備隊士官は事務的な口調で話し続ける。
「王国法に基づき、正当な理由のない殺人は処刑に値します。被害者の遺族たちも被告人の処刑を希望しています。どうか領主様の賢明なご判断をお願いいたします」
原告人の発言が終わると、裁判所は沈黙に包まれる。本来はここで弁護人が発言する番だが……弁護人の席には誰も座っていない。ま、貴族やお金持ちでもない限り、自分で自分を弁護するしかないけど……青年は口を噤んだまま何も言わない。
俺は警備隊の調査資料をもう一度確認した。士官の説明通り、被告人の殺人であることは疑いの余地がない。
「被告人」
俺が呼ぶと、青年が頭を上げる。
「何か言いたいことはあるか?」
「……ありません」
青年は弱弱しい声で答える。
「自分を弁護するつもりはないか?」
「……スーザンに謝りたいだけです」
青年が視線を落とす。
「被告人に対して有罪の判決を下す」
俺が宣言した。
「ただし処刑は非公開で行う。罪人を連れていけ」
2人の警備隊が青年を連れて、裁判所を出る。
「次の被告人を連れてこい」
2番目の被告人は大柄の中年男性だ。彼はさっきの青年とは違って堂々とした態度で入廷する。
「被告人の罪状は傷害致死です」
警備隊士官が説明を始める。中年男性は金銭のもつれで知り合いの男性と決闘し、相手を死に至らしめたそうだ。
「複数の立会人の証言によると、決闘自体は合法的なものでした。しかし既に勝敗が決まったのにも関わらず攻撃を続けたという容疑があります」
多少の制限はあるが、決闘は合法的な行為だ。しかし合法的であっても、決して『褒められる行為』ではない。
「あれは正々堂々な決闘の結果です」
中年男性が野太い声で発言する。
「自分もやつも、決闘前に『どっちかが死んでも文句言わない』と誓いました。自分にかけられた容疑は不当です」
しばらく論争が続いた。警備隊士官は『殺害せずに決闘を終わらせることもできた』と主張し、中年男性は反論した。
「……被告人に一部の責任があると認める」
俺が判決を下した。
「賠償金として、死亡者の葬式の費用を一部負担せよ」
俺の言葉に中年男性を何か言いたそうな顔をしたが、結局何も言わずに頭を下げる。
「次の被告人を連れてこい」
3番目の被告人は若い夫婦だ。彼らの容疑は、自分たちの子供を虐待して死に至らしめたことだ。
若い夫婦は『あれは虐待じゃなくて必要な教育だったし、子供の死亡はあくまでも事故だった』と主張した。しかし警備隊の調査によると、家庭内暴力は日常だったようだ。
若い夫婦と警備隊士官の論争の途中、俺はシェラの方をちらっと見つめた。彼女は精一杯冷静を装っていた。
やがて証人として医者が呼び出され、死亡した子供の遺体の調査結果が公表された。医者の証言によると子供の遺体には数年にわたる虐待の痕跡があり、死因は鈍器による頭部損傷らしい。
裁判が不利になっていくと、若い夫婦は仲間割れして……互いを虐待の主犯だと告発し始める。
「被告2人に対して有罪の判決を下す」
俺は冷たい声で宣言した。
「週末に公開処刑を行う。罪人を連れていけ」
2人の警備隊が若い夫婦を連れて、裁判所を出る。若い夫婦は大声で叫んだが、それも間もなく聞こえなくなった。
「レッド」
隣からシェラが俺に話しかけてきた。
「ごめんなさい……私、少し休んでもいいかな」
「ああ」
俺が頷くと、彼女はもう1度「ごめんなさい」と言ってから裁判所を出る。
---
5件の裁判を終えて、俺も少し休むことにした。
石の階段を登って高い城壁の上に立ち、周りの風景を眺めた。ここからだと人も人の住む街も全部小さく見える。空気は冷たいけど気持ちいい。
ふと少女の姿が目に入った。それは……シェラだ。シェラは城壁の隅で膝を抱えて座っていた。
「シェラ」
俺が近づいてもシェラは動かなかった。彼女は涙に濡れた瞳でひたすら地平線を見つめるだけだ。
「風邪引くぞ」
彼女の隣に座って、細い肩を抱きしめた。するとシェラの瞳から涙が零れ堕ちる。
「ごめんなさい……」
シェラがか弱い声で謝る。
「私は……レッドみたいに強くない。冷静でいなければならないと分かっているのに……」
「いいんだ、それで」
俺はシェラの頭を撫でた。
「お前が弱いからじゃない。まだ純粋だからだ」
城壁の向こうを見つめながら、俺は話を続けた。
「子供の頃……俺は道を歩いているだけで侮辱されて、石を投げられた。不良たちに殴られても誰1人助けてくれなかった」
シェラは涙を止めて、俺の話に耳を傾ける。
「鼠の爺はそれが人間社会の摂理だと言った。確かにそうかもしれない。多少の差はあれど、人間社会ならどこでも起きていることだ」
痴情のもつれ、金銭をめぐる争い、弱者への虐待……それらが完全に無くなることは、人間が人間である限り、ない。
「人間なら誰にでもそういう一面があるだろう。しかしそれが全てではない」
俺は首を横に振った。
「人間にはそれを補えるほどの光がある。他人のために命をかける心、絶望の中でも笑顔を忘れない強さ……普段は隠されていてよく見えないかもしれないけど、人間はそういう光を持っている」
それを俺に教えてくれたのは、小さな少女だった。
「だからこそ俺には頑張って生きている人々が眩しく見えるんだ。彼らは絶望することもできるし、憎悪に満ちることも、悲しみに溺れることもできる。しかしその全てを拒否して生きているのさ」
「うん……そうね」
シェラが頷いた。
「レッドは……強く生きているから光っているんだね」
「さあな」
「私には見えるの」
俺とシェラは、一緒に地平線の向こうを眺めた。




