第127話.廃屋の幽霊
深夜になり……俺はランタンを手にして城門に向かった。するとシェラの姿が見えた。
シェラは高級そうな青色のコートを着て、不安そうな顔をしていた。まるで恋人と駆け落ちする貴族のお嬢さんみたいだ。
俺が近づくと、シェラは大きい目を更に見開いて俺を見上げる。
「ほ、本当に行くの? 森の廃屋に」
「もちろんだ」
「……信じられない」
シェラが軽く身震いをする。
「さっさと行くぞ。ぐずぐずしたら夜が明けるかもしれない」
「ちょ、ちょっと!」
俺が城門を出ると、シェラは慌ててついてくる。それで俺たちは一緒に城下町を歩いた。
城下町は暗くて静かだった。時間が時間だから当然だ。南の都市なら深夜にも船乗りたちがうろつくけど……ここはひたすら静かだ。
「どう考えてもおかしい……」
傍からシェラが口を開く。
「幽霊の調査って、領主の仕事じゃないでしょう?」
「ま、半分暇つぶしだ。でも……俺が調査したら領民たちも安心できるだろう」
俺は淡々とした口調で話した。
「廃屋を調査して、何もなかったらそれでいい。そしてもし何かあったら、それを排除すればいい」
「排除って……相手は幽霊でしょう? どうやって排除するの?」
シェラの反応に俺は思わず笑ってしまった。
「お前、まさか本当に幽霊を信じているのか?」
「だって……」
「幽霊騒ぎって言っても、結局ほとんどは人間の仕業だ」
俺は前方を注視しながら説明を続けた。
「たとえば……実は盗賊があの廃屋を隠れ家として使っているかもしれない」
「盗賊……」
「ああ、または敗残兵が隠れている可能性もある。その手の話は実際あるからな」
「なるほど」
相手が人間かもしれないと分かって、シェラは少し安心したようだ。
「盗賊か敗残兵を領民たちが幽霊だと勘違いした……確かにありそうな話ね」
「だろう?」
「でも……それなら私たちが行くより、警備隊を派遣した方が良くない?」
「だから半分暇つぶしだと言ったじゃないか」
「私はこんな暇つぶし嫌なの!」
シェラが目くじらを立てる。
「そんなに行きたかったらあんた1人で行けばいいじゃん! 何で私まで……!」
「そうは言っても、お前も興味があるだろう?」
俺はふっと笑った。
「カレンが幽霊について話した時、お前は怖がりながらも目を輝かせていた」
「こ、怖がったことないよ」
「とにかく、幽霊の正体が知りたいんだろう?」
「うっ……」
図星を突かれて、シェラが動揺する。俺はそんなシェラの顔を見て笑った。
「……レッドの笑顔、何か腹立つ」
「ん?」
「その『全部知っている』という笑顔が腹立つ!」
シェラが怒り出した。俺は声を殺して笑った。
その時だった。暗い城下町の向こうから、ランタンの光と共に2人の警備隊が現れた。
「そこ、誰だ!?」
警備隊がこちらに向かって質問した。しかし答える必要はなかった。彼らが俺の顔を確認したからだ。
「そ、総大将!?」
「巡察、ご苦労さん」
俺が口を開くと、警備隊は直立不動になる。
「俺は少し散歩していただけだ。お前たちの仕事を邪魔するつもりはない。巡察を続けてくれ」
「は、はい!」
2人の警備隊が遠ざかっていく。
「何か、申し訳ないね」
シェラが小声で言った。俺は軽く頷いた。
それから俺たちはなるべく静かに歩き、城下町から離れて森に向かった。
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夜の森はひたすら暗かった。
月は明るいのに、森の中は木々のせいで暗い。それに虫の鳴き声以外は何も聞こえてこない。
「シェラ、大丈夫か?」
「ん? 何が?」
シェラが顔に疑問を浮かべる。俺はそんなシェラの凝視した。
「お前は一応育ちのいいお嬢さんだろう? 夜道は怖くないか?」
「『一応』って余計よ!」
シェラが睨んでくる。
「それに、相手が人間だったら私も怖くないわよ!」
確かにシェラは格闘技と剣術を鍛錬したし、普通の兵士より強い。人間相手なら心配ないだろう。
「でも……」
シェラが顔をしかめる。
「本当に幽霊って可能性も完全に消えたわけじゃないでしょう?」
「へっ」
俺は思わず笑った。
「もし人が死んで幽霊になるのなら、この世はとっくの昔に幽霊だらけになっているぞ」
「そうかな……」
シェラが腕を組む。
「人が死んで幽霊になるのは、結構特別な場合という話もあるし」
「そんな話、どこから聞いたんだ?」
「教会からだよ」
「教会?」
俺は眉をひそめた。
「女神教の教会で、修道女さんが話してくれたの」
「へえ」
教会ってそんな話もするのか。
「俺にはよく分からない話だな。宗教は」
「私も別に女神教を信じているわけではないけど、ちょっと面白い話もあるからね。天使とか、悪魔とか、霊魂とか……」
「怖がりのくせに、やっぱりオカルトに興味あるんだな」
「だから怖がりじゃないわよ!」
シェラが必死な顔で否定する。
「幽霊には格闘技や剣術が通じないだろうし、出てきたら困ると思っているだけなの!」
「へっ」
必死に言い訳するシェラの顔は普通に可愛い。
「安心しろ。幽霊が出てきたら俺が殴って追い払うから」
「だから幽霊はそんなものじゃないの!」
そんな話をしている途中、ふとシェラの手が視野に入った。その手は寒さで赤くなっていた。
流石に秋夜の空気は冷たい。俺は暑さにも寒さにも強いからいいけど、シェラは結構寒いだろう。そう思った俺は無意識的にシェラの手を握った。
「な、何よ、いきなり……」
「寒そうだから」
俺は自分の大きく赤い手でシェラの白くて柔らかい手を包んだ。
「べ、別に大丈夫だけど……」
シェラが恥ずかしそうに頬を赤らめる。俺たちはそのまま手を繋いで歩き続けた。
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しばらく後、暗闇の向こうから建物のシルエットが見えてきた。例の廃屋だろう。
「ここからは静かに行こう」
俺はランタンを消した。こんな暗闇の中でランタンを持っていると、相手にすぐ気付かれる。
「シェラ、大丈夫か?」
「うん、暗いけど……何とか見える」
「俺の傍から離れるな」
「うん」
シェラと俺は月明かりに頼って、互いの呼吸を感じられるほど密着して歩いた。そして数分後、廃屋の前に辿り着く。
「大きい……」
シェラが小声で言った。その通り、廃屋は結構大きい。
俺もシェラも『森の廃屋』と聞いて『古い小屋』を想像していた。しかし実際は結構大きくて、大家族が住めるほどだ。もしかしたらお金持ちや貴族が狩猟用の別荘として建てたのかもしれない。
「レッド……」
シェラが俺の腕を掴んだ。それで彼女の心臓の鼓動が伝わってくる。廃屋を目の前にして、流石に怖くなったようだ。俺はシェラの頭を撫でて安心させた。
「大丈夫か? 引き上げようか?」
「だ、大丈夫」
「無理だと思ったら素直に言え」
「うん……」
廃屋の壁はボロボロだけど、崩れる危険性は無さそうだ。俺とシェラは息を殺して廃屋に近づき、中の気配を伺った。
「人の気配はないな」
俺は手を伸ばして、そっと扉を押し開いた。それで月明かりが廃屋の内部を照らしたが、やっぱり誰も見当たらない。
「やっぱり生きた人間じゃなく……ゆ、幽霊なのかも……」
シェラの顔に恐怖が浮かぶ。
「これは……内部を調べる必要があるな」
「は、入るの?」
「ああ。でもお前が嫌なら止めるよ」
俺がそう言うと、シェラの顔が強張る。恐怖心と好奇心の間で迷っているようだ。
「……入ってみよう」
「いいのか?」
「うん……せっかくここまで来たんだし」
「分かった」
俺はランタンに火をつけてから、シェラの手を握った。そして一緒に廃屋の内部に進入した。
廃屋の内部は静かで暗かった。それに意外と空気が綺麗だ。
「足跡……」
床に多くの足跡が残っている。やっぱり最近まで誰かが出入りしたんだろうか?
「レッド、それって……盗賊の足跡?」
「それは断言できない。領民たちの足跡かもしれない」
「そうね」
人間の足跡を見て、シェラは少し安心する。幽霊なら足跡が残らないと思っているんだろう。
「ふふふ」
その時だった。いきなり女の笑い声が聞こえてきた。シェラは目を丸くして、自分の口を手で塞ぐ。
「れ、れ、レッド……! 幽霊の声よ、これは……」
「落ち着け」
俺はシェラを落ち着かせて、廃屋の奥を見つめた。笑い声はそこから聞こえてきた。
「あっちだ。シェラ、確認してみよう」
「うう……」
シェラは少し迷ったが、やがて頷く。怖がりなのか勇敢なのか曖昧な女の子だ。
俺たちは音を立てずに動いて、廃屋の奥に向かった。シェラの手は汗ばんでいた。
「レッド、光が……」
「ああ」
1番奥の部屋から、微かな光が漏れている。誰か、もしくは何かがいるに違いない。俺とシェラは息を殺したまま部屋の扉に近づいた。
扉を開く前に、俺はシェラを振り向いた。シェラは上気した顔で頷いた。俺はシェラの頭を撫でてから、手を伸ばして扉をそっと開いた。するとそこには……。
「じゃ、ここはどう?」
「そんなとこ触らないでぇ」
そこには……2人の若い男女がいた。彼らは敷物の上に座って……抱きついている。
「君の肌は本当に柔らかいな」
「ああん、恥ずかしい……ふふふ」
それは……どこをどう見てもいちゃついているカップルだ。
「何なの、一体……」
シェラが小さく呟いた。彼女の表情は失望そのものだ。俺は必死に笑いを堪えながら、部屋に進入した。
「お前たち、ここで何をしているんだ?」
俺が話しかけると、若いカップルが驚いて飛び上がる。
「う、うわああああっ!?」
「きゃああああ!」
こんな場所でいきなり赤い肌の巨漢が現れたんだから、驚くのも無理ではない。俺は彼らが落ち着くまで待った。
「俺はレッドだ」
少し落ち着いた彼らに自己紹介すると、若い男が目を見開く。
「まさか……新しい領主様ですか!?」
「ああ」
「ご挨拶が遅れて、申し訳ございません!」
若いカップルが何度も頭を下げた。俺は彼らから事情を説明してもらった。
「つまり……」
俺は若いカップルの話を整理した。
「お前たちは恋人関係だけど、親に反対されていて……夜こっそり抜け出してデートしているんだと?」
「は、はい!」
若い男が赤面になって頷く。俺は必死に笑いを堪えた。
「ま、事情は理解できなくもないけど……何でここなんだ?」
「それが……」
若い男は汗をかきながら答える。
「自分たちは、その、怪談が好きで……」
「怪談?」
「はい、それで……ここの雰囲気が好きで……ここならスリルのあるデートができるから……」
俺は傍に立っているシェラの顔をちらっと見た。シェラの表情は怒りに変わっている。
「お前たちのせいで幽霊騒ぎが起こっているのは知っているか?」
「ゆ、幽霊騒ぎですか?」
「ああ、近所の領民たちが不安がっている」
どうやらこの若いカップルは何も知らなかったようだ。
「お前たちのことは秘密にしてやるから、もうこんなところでデートするな。危険だし、騒ぎが続くとまずいことになり得る」
「かしこまりました!」
「今日はもう帰れ」
「はい! 感謝いたします、領主様!」
若いカップルが素早く逃げ出す。それで俺とシェラは2人っきりになる。
「……何が『スリルのあるデート』よ、もう!」
ずっと黙っていたシェラが声を上げる。
「何で私があんな馬鹿なカップルのせいで……!」
俺は笑うしかなかった。
「さあ、俺たちも帰ろう。『スリルのあるデート』も楽しんだし」
「こんなデート要らない!」
廃屋に内部にシェラの声が響き渡る。もし本当に幽霊がいても、シェラの怒りに怯えてとっくに逃げただろう。
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翌日、俺は城内でカレンに出会った。カレンは治安について報告してから、ふと質問してくる。
「そう言えば、団長……廃屋の調査はどのようになりましたか?」
「それは……」
俺は苦笑して答えた。
「ちょっと大変だったけど、もう幽霊は出ないはずだ」
「……かしこまりました」
何かを察知したのか、カレンは顔に笑みを浮かべた。




