第122話.こいつは……気に入った
攻城戦で有効な戦略の1つは『包囲したまま、敵の食糧が尽きるまで待つ』ことだ。人間は食べないと戦えないし、城の倉庫に備蓄している食糧にも限界がある。外部からの補給が途絶えると、城の守備兵たちは飢え死にするしかない。
現在、俺はケント伯爵の本城を完全に包囲している。このままずっと待っていれば、それだけで勝てるのだ。無理して攻撃する必要もない。
だが……この方法は時間が掛かり過ぎる。城によって違うけど、備蓄している食糧が尽きるまで数年以上かかる場合もあるのだ。
流石にそれは困る。俺は一刻も早く王都に向かって進まなければならない。悠長に敵の食糧が尽きるまで待っているわけにはいかない。
結局直接攻撃して城を落とすしかない。でもその選択にも問題がある。ケント伯爵をまた取り逃がすかもしれないという点だ。
城を完全に包囲するため、我が軍は薄く広く陣取っている。百戦錬磨の武を持っているケント伯爵なら、一点突破して包囲網から逃げることも可能だろう。しかもケント伯爵の黒い軍馬が速すぎて、一度逃したら追跡も難しい。
ここでケント伯爵を取り逃がしたら、後顧の憂いとなるはずだ。確実に仕留める必要がある。何かいい方法はないのかな……と、俺は考え込んだ。
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幸いなことに、現地の民たちは俺の軍隊に協力的だ。食糧調達にも治安維持にも問題がない。ケント伯爵が『焦土作戦』を使い、自分の領地の村を自分の手で焼いたおかげで……民心はこちらに傾いたのだ。
もちろん俺が使った『水没作戦』も、本来なら現地の民に被害を及ぼしかねない。しかし俺が水没させた地域の村は、既にケント伯爵によって焼かれてしまい、誰も住んでいなかった。つまりケント伯爵の焦土作戦は、結果的に俺の利益になったわけだ。
そして城を包囲してから5日目……エミルの情報部が、現地の民から興味深い話を拾ってきた。
「馬の牧場?」
「はい」
指揮官用の天幕で、エミルが説明を始める。
「ここから北の山を越えて、半日くらい進めば馬の牧場があるそうです。南方民族の男が運営しているところで……この地方では少し有名みたいです」
「もしかして……」
「はい。ケント伯爵の黒い軍馬も、あそこから購入した馬だそうです」
俺の胸が高まった。
「つまり、あそこに行けば……あの黒い軍馬と同格の名馬が手に入るかもしれないか」
「可能性はあると思います」
エミルが冷静な口調で言った。
「兵士たちを派遣しますか?」
「いや、俺が直接行ってみる」
本当にあれほどの名馬がいるかどうか……この目で確かめたい。
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翌日の朝、俺は『レッドの組織』の5人と一緒に馬を走らせ、北の山に入った。
山道は狭かったが……馬が通れないほどではなかった。注意しながら山を登ると、少し肌寒い空気が気持ちよかった。
数時間かかって山を越えたら、そこには牧草地が広がっていた。このままずっと進めば牧場に着くはずだ。少し休憩して、俺たちはまた馬を走らせた。
周りが暗くなり始めた頃、牧柵に囲まれた広い空間が見えてきた。あれが例の牧場なんだろう。俺たちはゆっくり進んで牧場の入り口に近づいた。
「あなたたちは誰ですか?」
牧場に近づくと、どこからか2人の若い男が現れて俺に質問する。
「俺は南の都市守備軍司令官、レッドだ」
自己紹介してから、俺は『ここで馬を買いたい』と用件を説明した。若い男たちは俺の顔を注視する。
「……少々お待ちください。親父を呼んできます」
若い男たちはそう言い残して牧場に入った。しばらく待っていたら、若い男たちが大柄の老人と一緒に出てきた。
大柄の老人は鋭い目つきで俺を見つめる。俺は馬から降りて、老人に手を伸ばした。
「南の都市守備軍司令官、レッドだ」
「あんたが噂の『赤い化け物』か。私はこの牧場の主、『コルバス』だ」
俺はコルバスと握手を交わした。
「馬を買いたいって?」
「ああ、軍馬が必要だ」
「軍馬ならここじゃなくても買えるはずだ。司令官本人がわざわざこんなところまで来たのは、別の理由があるんだろう?」
コルバスの質問に俺は頷いた。
「話を聞いたのさ。ケント伯爵の黒い軍馬も、ここで育てた馬だと。できれば……あいつと同格の名馬を買いたい」
「『ゲーラス』と同格の……?」
「お金は十分に支払う。だから……」
「お金の問題ではない」
コルバスが俺を睨みつける。
「ゲーラスは私が育てた軍馬の中でも最高傑作だ。私がゲーラスをケント伯爵に譲ったのは、彼があいつに相応しい武を持っているからだった。でも今はそのことを後悔している」
コルバスの顔が暗くなる。
「ケント伯爵は百戦錬磨の猛将だが、同時に最悪の領主だ。彼の気まぐれで殺された人間は数えきれない」
その話なら俺も聞いたことがある。
「ある日……ケント伯爵の暴政に憤慨した人々が集まって、彼を暗殺しようとした。でもケント伯爵は……危機の瞬間、ゲーラスのおかげで生き延びた」
コルバスが苦笑する。
「私の最高傑作が、最悪の領主の命を助けて……多くの人間を地獄に落としたんだ。軍馬を扱っている以上、ある程度仕方ないとはいえ……そんなことはもうごめんなんだよ」
コルバスと俺の視線がぶつかる。
「あんたの噂は聞いた。『赤い化け物は意外といい領主』だとな。でも……私の目にはあんたも暴力の好きな人間に見える。いつ暴君に変わるか知れたもんじゃない」
「暴力が好きなのは否定しないさ。でも……」
俺はコルバスに一歩近づいた。
「もし俺の行動や統治が気に入らなかったら、いつでも来てくれ。馬をあんたに返す」
「そんな約束を信じろと?」
「ああ」
俺とコルバスはしばらく互いを見つめた。
「……確かに変わった領主だな」
ため息と同時にそう言ってから、コルバスは後ろの若い男たちを振り向く。
「おい、『ケール』を連れてこい」
「お、親父」
若い男たちが慌てる。
「ケールは……」
「早く連れてこい」
コルバスが睨みつけると、若い男たちが素早く牧場に入る。そして少し後、黒い馬を連れて来る。
「こいつは……」
俺は目を見開いた。素人の俺が見ても……規格外の名馬だ。ケント伯爵の『ゲーラス』よりも体格が大きく、全身が素晴らしい筋肉だ。
「こいつの名前は『ケール』だ」
コルバスがケールの頭を撫でる。
「私が南方大陸から連れてきた純血軍馬の最後の末裔だ。ゲーラスに対抗できるのは、こいつしかいない」
「素晴らしい」
コルバスはケールの手綱を俺に渡す。
「乗ってみろ」
「いいのか?」
「並大抵の騎士なら、ケールの方から拒否するはずだが……あんたなら大丈夫だろう」
ケールの赤い瞳が俺を見つめる。まるで俺の力量を測っているみたいだ。俺はケールに近づいて、その背中に乗った。
手綱を操ると、ケールが歩き出す。それで俺はもう一度驚いた。俺の体格と体重が……ケールには何の負担にもならないようだ。一般的な軍馬の何倍の力を持っている。
「走れ!」
俺の命令に従って、ケールが矢の如く走り出して……瞬く間に牧場の周りを一巡する。とんでもない速さだ。しかも結構な距離を走ったのに、少しも疲れていない。
「……凄い」
俺は素直に感嘆して、ケールから降りた。そして手綱をコルバスに返そうとしたが、コルバスは首を横に振る。
「今日からケールはあんたの馬だ」
「……ありがとう」
俺はジョージに指示して、大量の金貨が入った革袋をコルバスの息子に渡させた。
コルバスは鋭い眼差しで俺とケールと交互に見つめてから、口を開く。
「最後に……『赤い総大将』に一言言いたい」
「何だ」
「私に馬を返す必要なんてない。そんな生半可な覚悟でケールに乗るな。どっちかが死ぬまで、一緒に戦場を走れ」
「分かった。約束する」
俺はケールの手綱を強く握って、コルバスに約束した。




