第121話.残ったのは本城だけだ
ケント伯爵との3回戦は……俺の完全勝利に終わった。
湖を利用した水没作戦が成功して、敵軍の主力騎兵隊は全滅に近い被害を受けた。残りの敵軍も味方の追跡によって瓦解した。元々士気の低かったケント伯爵の軍隊は……もう原型を維持することすらできなくなった。
それに対して俺の軍隊の被害はほぼゼロだ。敵弓兵の矢に当たった兵士たちや、追撃の途中敵の反撃に負傷した兵士たち、そしてうっかり捻挫した兵士などがいるけど……少数だ。2500で4000を撃退したのに、死傷者は30人もいない。数字だけみれば本当に奇跡みたいな大勝利だ。
勝利の後、俺の軍隊はゆっくり進んだ。正直に言えば、速く進軍して戦争を終わらせたいけど……ケント伯爵の焦土作戦のおかげでゆっくり進むしかない。食糧調達を気にせずに無理して進軍したら、兵士たちが持たない。焦っては駄目だ。
少し進軍してから野営地を作り、後方からの補給物資が到着するまで待機する。敵の騎兵隊を粉砕したおかげで、輸送隊が襲撃される可能性は極めて低いが……それでも護衛部隊を派遣する。ケント伯爵の本城に着くまでは、ずっとその繰り返しだ。
副官のトムに必要な指示を出してから、俺は『レッドの組織』の一員たちの天幕に向かった。今日は何となく彼らと話したい。
「……ボス!」
広い天幕に入ると、『レッドの組織』の5人が俺を見て笑顔を浮かべる。どうやら彼らは一緒に座って鎧の手入れをしていたようだ。
「今日はお前たちと話がしたくてな」
俺は彼らの傍に座って、全員の顔を確認した。巨漢のジョージ、無口なカールトン、ムードメーカーのゲッリト、鷹揚なエイブ、頭のいいリック……みんな元気にしているようだ。
「ちょうどいいところに来てくださいました、ボス」
ゲッリトが笑顔でそう言った。
「実は大変なことが起こりました」
「大変なこと?」
「はい、リックのやろうが……」
みんなの視線がリックに集まる。
「抜け駆けしたんですよ!」
「抜け駆けって……」
俺はリックを見つめた。リックは赤面になって視線を落とす。
「い、いいえ……抜け駆けというわけでもありません。ただ……」
リックの声が小さくなる。
「ただ友人から手紙をもらっただけです」
「おい、ボスには正直に話せよ」
ゲッリトが笑った。
「ただの友人じゃなくて、女性の友人だろう?」
「なるほど、女性の友人か」
俺は頷いた。リックは大人しい性格だけど、女性の前で緊張したりはしない。いや、むしろ女性と自然に話せるやつだ。幼い頃から実家の果物屋を手伝っていたし、お姉さんもいるから女性には比較的に慣れているんだろう。
「ほ、本当に友人です。そういう……関係ではありません」
リックが恥ずかしそうな顔で話すと、ゲッリトが大声で口を挟む。
「実はその友人ってのが、トムのお姉さんらしいです!」
「え……?」
ゲッリトの説明に俺は少し驚いた。
「トムのお姉さんって……レストランで働いているあの……?」
「はい、そうです」
ゲッリトが笑顔で頷く。
トムのお姉さんって、俺が所有しているチキン料理レストランで働いている女性だ。そもそも俺はトムからあのレストランを紹介してもらって、アイリンと一緒にあそこで食事したのだ。懐かしい。
「それが……レストランのことで彼女と知り合って、それで……トムと3人でたまに話しただけです」
リックが言い訳するような口調で話す。
「だからゲッリトさんの言うそういう関係ではありません……」
「いや、ただの友人がわざわざ遠征に出ている軍隊に手紙を送るかよ!」
「それは弟への手紙のついでに……」
ゲッリトとリックがしばらく口論する。
まあ……事情がどうあれ、待ってくれる人がいるのはいいことだ。待つのが嫌だからって戦場にまでついてくる変わった女の子もいるけど。
それから俺は『レッドの組織』の一員たちと他愛のない話で盛り上がった。『錆びない剣の傭兵団』の訓練法は素晴らしいとか、副団長のカレンと対決してみたいとか、新しく料理担当になった兵士の腕が凄いとか……。
「……それにしても」
ふとジョージが口を開く。
「今回の戦闘は本当に楽勝でしたね」
ジョージの言葉にみんな頷く。
「ボスの指揮にはみんな感嘆の声を上げています」
「そうか」
「はい、兵士たちの中には……ボスに奇跡を起こす力があると、本気で信じている人もいます」
「奇跡って……」
俺は苦笑した。
確かに奇跡みたいな大勝利ではあったが、それはいろんな要素が噛み合っていたからだ。天気、地形、敵軍の低い士気、ケント伯爵の盲目的な憎しみ、シャルシア傭兵団の油断……その全てがあってからこそ奇跡みたいな大勝利を掴むことができた。
ま、でも……兵士たちが奇跡を信じて士気が上がるのなら、それでいいかもしれない。
「しかしちょっと残念です」
ジョージが話を続ける。
「今度こそケント伯爵を倒して、レイモンさんの仇を打つつもりでしたのに……」
その言葉を聞いて、みんなの顔が暗くなる。
「あ……す、すみません。場の雰囲気を暗くしてしまいました」
「いいんだ」
俺は謝るジョージに向かって首を横に振った。
「俺もケント伯爵を取り逃がしたことを残念に思っている。本格的な近接戦闘になる前に、もう勝負が決まったから仕方ないけどな」
「そうですね」
「でも……次はケント伯爵の本城を攻め落とす番だ。今度こそやつの息の根を止める」
「はい」
『レッドの組織』のみんなから強い気迫が伝わってきた。レイモンの負傷以来、彼らは更に強くなっていた。人間の強さは、いろんな経験を積み重ねることで真価を発揮するのかもしれない。
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それから数週後、俺の軍隊はやっとケント伯爵領の本城に着いた。
城下町の真ん中に位置する本城は、とても頑丈に見えた。黒色の城壁はとても高く、攻城梯子を使っても簡単に侵入できなさそうだ。本城という名に恥じない立派な拠点だ。
城の守備兵は約800くらいだと予測された。4000を超えていたケント伯爵の兵力も、もうそれしか残っていないのだ。だが……たった800だと言えど、この頑丈な城を攻め落とすのは容易くなかろう。
我が軍は早速攻城兵器の組み立てを開始した。できれば冬が来る前に攻城戦を終わらせたい。
「攻城兵器の用意は順調です。今週内に全作業が終了すると存じます」
指揮官用の天幕で、トムが俺に報告を上げた。
「城下町での物資買い溜めも順調です」
「流石のケント伯爵も、自分の本城の城下町には手を出さなかったか」
俺は机の上に置かれている紙箱を見つめた。
「ご苦労だった。今日はもう休んでよし」
「はい」
「あ、その前に一つ」
「何でしょうか」
トムは誠実な顔で俺を見つめる。
「シェラに伝えてくれ。ここに来るように、と」
「かしこまりました」
トムが天幕を出る。
しばらく待っていたら、シェラが天幕に入ってきた。彼女は顔に疑問を浮かべて俺に近づく。
「呼んだの?」
「ああ」
俺は反射的にシェラの頭を撫でてから、机の上の紙箱を渡した。
「これ、何?」
「開けてみろ」
シェラは疑問の表情のまま紙箱を開けた。そしてその直後、目を見開いて驚く。
「ケーキ……?」
「ああ、今日はお前の誕生日だろう?」
シェラの顔が真っ赤に染まる。
「あ、ありがとう。嬉しい」
彼女は目を伏せて、もじもじした。可愛いな。
「でも……このケーキ、どこで?」
「城下町のパン屋から購入した。幸い最後の1個が残っていたよ」
「そうか……」
シェラの瞳が少し潤んでいるような気がする。
「本来ならもっと派手なパーティーを開いてもいいけど……これしか用意できなかった。すまない」
「ううん、戦争中だし……嬉しいよ」
シェラが目頭を手で拭う。
「ねえ、レッド」
「ああ」
「覚えている? 昨年の私の誕生日に……何でも願いを1つ聞いてくれるって、あんたが約束してくれたこと」
「ああ、覚えているさ」
「少し落ち着いたら、その願い……言うからね」
「分かった」
俺はもう一度シェラの頭を撫でた。
「南の都市に凱旋したら……願いを聞かせてくれ」
「うん」
シェラは赤面になって頷いた。それからしばらく、俺はシェラと一緒にケーキを食べた。




