第116話.地平線の向こうへ
今年の夏もそろそろ終わりだ。
空が高くなり、涼しい風が吹いてくる。南の都市の市民たちは気持ちいい風にあたりながら、普段よりも楽しい笑顔を見せている。
だが……この平穏な風景とは違って、王国の混乱は強まっている。
「王都では大規模の戦闘があったようです」
要塞の執務室で、エミルが俺に報告を上げた。
「約1万5千の兵力がぶつかり合い……王都の近くに死体の山が出来上がったとか」
「で、誰が勝ったんだ?」
俺が質問すると、エミルは首を横に振る。
「決定的な勝敗は決まらなかったみたいです。来年もう一度戦うでしょう」
「……何やってるんだ」
俺は眉をひそめた。
もちろん俺としては、王族たちの戦争が長引けば長引くほど有利だ。しかし王国全体から見れば、やつらの戦争のおかげで国力が著しく低下している。民は命を落とし、経済は破綻していくのだ。悠長にしている場合ではないだろうに……。
「このまま王国が分裂するかもしれないという噂も流れています」
「分裂?」
「はい、公爵たちが各々の王朝を作り……3つの王国になる可能性があると」
俺は少し驚いてエミルを見つめた。
「そんなことしたら、隣国たちの餌食になるぞ」
「仰る通りですが……」
エミルが微かに笑う。
「3公爵の中で誰かが王になれば、残り2人は処刑が確定……つまり対話で解決するのは不可能。しかし武力での解決も膠着状態。ならいっそ王国を分裂させて、全員王になればいい……ということでしょう」
「とんでもない選択だが……可能性はあるな」
歴史の中には、後継者争いで分裂した王国が多数記録されている。このウルぺリア王国でも十分起こり得ることだ。
「ところで……」
俺は話題を変えることにした。
「ケント伯爵に略奪された村への支援は?」
「順調です。来年には完全に修復できるでしょう」
エミルが無表情で答えた。
川辺の1回戦の前、ケント伯爵はパウル男爵領の村をいくつか略奪した。俺はそれらの村に支援物資を送り、修復を手伝うように指示した。領地の経済力を早く回復させて、民心を治めるためだ。
まあ、俺の方もあまり経済に余裕はないけど……それらの村に住んでいる人々は、俺とケント伯爵の戦いの犠牲者たちだ。領主として放っておくわけにはいかない。
「ケント伯爵の動向は?」
「こちらと同じく、戦力を立て直しているようです。しかし詳細な動きはまだ掴んでいません」
「なら引き続き情報の収集を……」
その時だった。誰かが扉をノックして、執務室に入ってきた。それは……。
「団長」
入ってきたのは筋肉の女戦士、カレンだった。彼女は少し汗をかきながら、無愛想な顔で俺を見つめてくる。
「今日の規律訓練を終えました」
「ご苦労」
俺はカレンに向かって頷いた。
傭兵団副団長のカレンは、有能な指揮官でもある。これから細かい訓練は彼女に任せてもいいだろう。俺としては本当に助かった。
「今日はもう休んでよし」
「はっ」
カレンは直立不動の姿勢で答えた。俺は傭兵団に対して『規律が乱れている』という先入観を持っていたが、どうやらカレンには当てはまらないようだ。
ところでその直後、カレンはエミルに向かって視線を送る。
「貴方が参謀殿ですか?」
カレンの質問に、エミルの顔が少し強張る。
「はい、私は南の都市守備軍参謀……エミル・レナードです」
「『錆びない剣の傭兵団』の副団長、カレンと申します」
二人が挨拶を交わした。そう言えば……カレンが俺の部下になって結構な時間が経ったのに、この2人が直接対面したのはこれが初めてか。
「ふむ……」
カレンは好奇の目でエミルを見つめてから、彼に一歩近づく。すると2人の体格の差が明らかになる。カレンの方が頭1つ大きいし、最低でも5倍以上の筋肉を持っている。
「参謀殿は痩せすぎですね」
カレンが簡単な感想を言った。それでエミルの顔が更に強張る。
「……私には貴女のような筋肉は必要ありません」
エミルがカレンを見上げながら答えた。
「でも戦場は危険な場所です。参謀殿も護身のための武術を身に付けた方がいいでしょう。よろしければ、団員たちの訓練に参加させて差し上げます」
カレンの提案に、エミルは眉をひそめる。
「結構です。必要ありません」
「そうですか、分かりました」
カレンは肩をすくめてから執務室を出た。
「……無礼な人ですね」
カレンの姿が見えなくなると、エミルがそう言った。俺は思わず笑ってしまった。
「お前が人を無礼だと言ってもな」
「私は無礼なわけではなく、ただ他人と関わりたくないだけです」
「そうかい」
俺はもう一度笑った。いつも冷静なエミルが、ここまで感情を表すのは初めて見た。
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秋の綺麗な空の下で、俺は要塞から出陣した。今年の内に……ケント伯爵との戦いを終わらせる。そのための遠征だ。
俺は大きい軍馬に乗り、1000を超える兵士たちを率いた。俺のすぐ後ろには参謀のエミル、副官のトム、秘書のシェラ、副団長のカレンが各々の馬に乗って歩いていた。
レイモンはまだ診療所で治療を受けている。有能な医者たちすら、彼の状態について明言できないらしい。レイモンの恋人が毎日彼を手厚く看病してくれているが……果たして回復できるだろうか。
いろんな思いが交差したが、それでも俺は前に進んだ。そう、俺は……止まってはいけない。俺の野心、そして俺が背負っている人々のために……地平線の向こうへ進む。




