第111話.更なる異変か
川辺の1戦で、俺は大きな戦果を上げた。ケント伯爵は少なくとも1500の兵力を失った。大勝利と言っていいだろう。
しかしこちらの被害も小さくない。死傷者の数は約500に至る。俺が直接率いた左側面部隊の死傷者は少ないけど、ケント伯爵の猛攻から時間を稼いだ右側面部隊は敗走寸前になり、大きな被害を受けたわけだ。
結局俺の兵力は2000から1500に、ケント伯爵の兵力は4000から2500になった。あんな大勝利をしたのに……まだ敵軍の方が1000くらい多い。これは数的に不利な軍隊の宿命だけど。
一番の問題は、ケント伯爵の主力部隊がほぼ無傷だということだ。川辺の敗北を上手く収拾すれば、やつの方にもまだ勝算がある。それに比べて……俺の親衛隊である『レッドの組織』は、6人のうち3人が負傷を負った。
医療用の天幕に入ると、ジョージ、エイブ、そしてレイモンの姿が見えた。3人とも体中のあちこちに包帯を巻いて横になっていた。
「ボ、ボス……」
俺が近づくと、比較的に傷が浅いジョージが上半身を起こそうとした。
「寝ていろ」
「はい……」
ジョージが暗い顔でベッドに身を任せた。エイブとレイモンは気を失ったままだ。
「申し訳ございません……」
巨漢のジョージが口を開く。
「レイモンさんの仇を打ちたかったんですが……こんな無様な姿を晒すことになりました」
「話は聞いた」
『レッドの組織』の6人は俺の指示に従って右側面部隊を指揮し、ケント伯爵の主力部隊とぶつかった。その時、ジョージとエイブはケント伯爵に勝負を挑んだが……結局2人とも負傷を負ったのだ。
「本当に申し訳ございません。自分たちが弱かったせいで……」
「いや、お前たちが弱かったわけではない。やつが強かっただけだ」
奇襲だったとはいえ、レイモンを簡単に圧倒するのは……並大抵の戦士には不可能なことだ。ケント伯爵の武はまさに百戦錬磨。俺以外は、やつに対抗できまい。
「どうか包囲しようともしましたが、ケント伯爵の乗っていた黒い馬が速すぎて……」
「あの黒い軍馬か」
俺の記憶にも鮮明に残っている。ケント伯爵の黒い軍馬は、とんでもないほど速かった。あの馬に乗っている限り、ケント伯爵の倒すのは極めて困難だろう。
次の戦闘では、何とかしてでも俺がやつを止めなければならない。俺は頭の中でいろんな戦術を思い浮かべた。
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俺は偵察隊を派遣して、ケント伯爵の動向をこまめに確認した。そしてエミルが偵察の結果をまとめて俺に報告した。
「やっぱりケント伯爵はもう一度戦うつもりらしいです」
「そうだろうな」
俺は頷いた。やつの主力部隊が健在である限り、侵攻を諦めないだろう。
「もう敗北の収拾も終わったみたいです。3日以内にこちらに向かうでしょう」
「あれだけの敗北を、よくもこんな短期間で収拾したな」
「それが……」
エミルが微かに笑う。
「どうやらケント伯爵は、部下の数人を見せしめとして処刑したようです」
「それで混乱を収拾したのか……」
恐怖による支配。原始的だが、効果的だ。
「でもそんな方法では……限界があるだろう」
「その通りです」
エミルの顔が少し明るくなる。俺の考えと自分の考えが一致したことに対して嬉しさを感じたんだろう。
「もちろん恐怖による支配も場合によっては有効です。でも『それだけ』では限界がある。人間は適応する生き物ですからね」
「ふむ」
「部下たちが恐怖に適応すれば、更なる恐怖を与えるしかなくなり……だんだん非人間的な暴力に発展してしまう。まあ、最後には部下たちに見捨てられるでしょう」
「なるほどね」
「恐怖と慈悲を冷静に使い分けること。それが指導者の理想的な形です。どうかそのことをお忘れずに」
「へっ」
エミルは『赤い化け物』にも臆せず、冷静な口調で直言してくる。他の部下たちには期待できない態度……やっぱりこいつは俺に必要だ。
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3日後、ケント伯爵はこちらに向かって進軍を開始した。予測通りだ。このままだと明後日にはもう1戦交えるだろう。
俺は軍隊を率いて川辺から離れた。『斜線陣』も2度は通用しないだろうし、平原に陣を構えてケント伯爵を迎撃する計画だ。
どうにかしてケント伯爵の主力部隊を撃破しなければならない。できればケント伯爵本人を倒したいところだが……やつの軍馬が速すぎる。確実に捉えるために……誘導策を使ってみるか。
両翼の部隊と本隊の間に、わざと隙を作る。ケント伯爵なら迷わずその隙を突いてくるだろう。俺は代役を使って自分自身の位置を誤魔化し、安心しているケント伯爵を奇襲する……という算段だ。
俺の代役はジョージが務めることになった。幸いジョージの傷は浅いし、巨漢の彼は俺の代役に適任だ。顔を隠したまま俺の鎧を着て、敵の注目を引いてくれればそれでいい。
誘導策の準備を終えて、ケント伯爵の出現を待った。今度こそやつを撃滅してやる。
「総大将」
指揮官用の天幕で作戦を考えていた時、エミルが急ぎ足で入ってきた。
「何だ、エミル」
俺は少し驚いた。あのエミルの顔が強張っていた。何か異変が起きたに違いない。
「偵察隊から報告です」
「言ってみろ」
「それが……」
エミルは冷静さを取り戻し、小さな声で報告を上げる。
「ケント伯爵の軍隊の後方から……所属不明の部隊が現れたようです。数は約500です」
俺は拳を握った。いきなり現れた所属不明の部隊の存在は……今回の戦闘の行方を左右するだろう。そんな予感がする。




