第107話.開幕戦は勝利した。だが……
たった1戦で2倍の敵軍を撃破し、指揮官のパウル男爵を捕虜にした。大勝利と言っていいだろう。
勝利の後、俺はダレルの村の近くに野営地の設置するように指示した。ダレルの村の人々は我々を警戒したが、敵意はないようだった。先日、俺が村の再建を手伝ったおかげだ。このまま俺が支配者になっても彼らはすぐ受け入れるだろう。
野営地の設置が終わった時は、もう夜になっていた。俺は捕虜のパウル男爵と話してから、指揮本部の天幕に入った。するとエミルがテーブルに座っているのが見えた。どうやらまだ働いていたようだ。
「お前は休まないのか?」
「戦果が多すぎまして」
エミルは書類仕事をしながら答えた。
本来、戦果の整理などは副官のトムの仕事だ。しかし俺はトムを要塞に残して、管理を任せた。おかげでエミルが頑張っているわけだ。
俺はエミルの向こうに座り、整理された書類を確認しながら口を開いた。
「……パウル男爵と話してきた」
「そうですか」
エミルは無表情だった。
「俺は……やつについて少し誤解していたようだ」
「誤解?」
「ああ、思っていたより悪いやつではなかったよ」
エミルが書類から目を外して、俺を見つめる。
「パウル男爵は弟のルベンに糾弾され、ついカッとなって剣を抜いたが……本気で弟を害するつもりはなかったようだ。いや、それどころか追放する気もなかったらしい」
「そうですか」
「激昂して俺を攻撃しようとしたのは、弟が俺に騙されていると思っていたからだそうだ。やつは弟が本気で自分を裏切るとは夢にも思っていなかった」
俺は机に肘をついて、拳に顎を乗せた。
「パウル男爵は不器用だけど……情の厚い、家族を大事にしている人間だった。妻が死んで数日も放心状態だったのも頷ける」
「情なんて、指導者にはまったく必要ありません」
エミルが無表情で言った。
「指導者に必要なのは情なんかではなく冷静さです。最愛の妻が死のうが、信じていた弟に裏切られようが……指導者たる人間は常に冷静でいなければならない。それができなかったからパウル男爵は失敗したんです」
エミルの声は冷たかった。
「情の厚い指導者って、一見いい指導者に見えるかもしれないが……結局冷静さを失うと自分の民や兵士を無駄死にさせてしまう。指導者としては最悪の部類です」
「はっきり言うんだな」
俺は苦笑した。
「じゃ、いつも冷静なお前の方が指導者向きなんじゃないか?」
「いいえ」
エミルが首を横に振る。
「私には人を集める力も、人に確信を与える力もありません。総大将のような生まれつきの指導者とは違います」
「へっ、お前もお世辞が言えるのか」
「事実を述べただけです」
エミルは相変わらず無表情だった。
「総大将の戦いを直接目撃して確信しました。姿を見せただけで敵を怯えさせ、味方の士気を上げる……名将の必須条件であるカリスマを総大将は十分すぎるほど持っていらっしゃる。並大抵の人間には不可能なことです」
エミルと俺の視線がぶつかった。
「ですが、総大将には不安な要素もあります」
「不安な要素?」
「指揮と迎撃くらいならともかく……総大将自らが敵本隊にまで突撃するのは、正直感心できません」
「なるほどね」
俺は笑った。
「だが、俺はそういう人間だ。たとえ俺が王になってもそれは変わらない。戦鎚を持って敵陣に真っ先に突撃するだろう」
「……肝に銘じておきます」
エミルはそう答えて、書類仕事を再開した。
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数日後、俺はパウル男爵の本城を陥落させた。
正確に言えば、城を攻めて落としたわけではない。パウル男爵の弟であるルベンを送って、城の守備兵たちを説得させたのだ。領主が捕虜になり、その弟が降伏勧告をすると……守備兵たちは完全に戦意を失った。それで一滴の血も流さずに城を手に入れたわけだ。
ルベンは俺の言葉を素直に聞くようになった。やつも俺の戦いを直接目撃して、俺に逆らうのは得策ではないと判断したようだ。忠誠心は期待できないが、しばらくは大人しくするだろう。
そうやって俺はパウル男爵領の実質的な統治者になった。乱世の開幕戦としては悪くない成果だが……まだ道は遠い。俺には倒さなければならない敵がまだ無数にいる。
そしてその敵の中でも……最上級の武力を誇るやつが現れた。残酷で無慈悲な猛将と呼ばれている『ケント伯爵』が、軍を率いて攻めてきたのだ。




