第91話.優しい美人の秘密か
俺とヘレンは一緒に応接間に行って、テーブルに座った。するとメイドたちが紅茶を持ってきてくれた。
紅茶についてはよく知らないけど、高級なのは確かだ。一口飲むといい香りが広がる。
「美味しいですね」
ヘレンが笑顔でそう言った。本当に優しい雰囲気の美人ではあるが……やっぱり眼差しが気になる。俺を見つめる彼女の眼差しから、何となく『恐怖』が感じられるのだ。
もちろん女性たちが俺の肌色や体格を見て恐怖を示すのは、結構よくあることだ。この屋敷のメイドたちも、初めて俺を見た時は恐怖を示した。だが……ヘレンの恐怖は、それとは少し違うような気がする。
肌色でも体格でもない。じゃ、一体何がこの優しい女性に恐怖を与えているんだろう?
「ヘレンさん」
俺が呼ぶと、ヘレンはコップをテーブルに置いて「はい」と答えた。
「ヘレンさんのおかげでシェラがすぐ回復できた。ありがたい」
「どういたしまして」
ヘレンの頬が少し赤くなる。
「アイリンもあんたのおかげで楽しく勉強しているらしいな」
「私もあの子のおかげで毎日楽しみながら授業をしています」
「そうか」
「はい、本当に聡明で素直な子ですから」
まあ、それは事実だな。
「実を言えば、私とあの子は……レッドさんについていろいろ話し合いました」
「俺について?」
「はい。レッドさんが優しくて暖かい人だと、アイリンちゃんは何度も言いました」
アイリンの目に映った俺は……優しくて暖かい人なのか。
「アイリンちゃんはレッドさんのことが大好きみたいですね」
「それは……まあな」
俺は話題を変えることにした。
「ところでヘレンさん」
「はい」
「1つ聞いてもいいかな?」
「何でしょうか」
俺とヘレンの視線が交差する。
「爺の話によると、あんたは医学はもちろん薬学や化学にも精通しているようだが……それだけの知識を一体どこで学んだんだ?」
ヘレンの顔から笑みが消える。
「別にあんたのことを疑っているわけではない。爺が連れてきたんだから、信用できるのは確かだ。だが……」
俺はヘレンの綺麗な顔を直視した。
「アイリンは俺にとって家族みたいな存在だからな。アイリンの先生について、ちょっと知っておきたいんだ」
「……分かりました」
ヘレンは小さい声で答えた。
「私の知識は……教会から学んだものです」
「教会? 『女神教』の教会か?」
『女神教』はこの王国で一番広まっている宗教だ。昔に比べれば勢力が弱まったみたいけど……それでも一番広まっている宗教だということには変わりない。
「女神教……ではありますが、一般的に言う女神教ではありません」
「まさか、異端?」
「……はい」
ヘレンが頷いた。俺は少し驚いた。
100年以上昔……女神教は現在と比べて遥かに勢力が大きかった。当時の国王はその事実に脅威を感じ、女神教に対して弾圧を行った。もちろん女神教は国王の弾圧に反発し……やがて戦争が起きた。それがいわゆる『異端戦争』だ。
やがて異端戦争は国王の勝利に終わり……女神教は国王の監視下に置かれるようになって、その教理も国王の有利なものに書き換えられた。それで女神教は衰退してしまったわけだ。
だが……一部の信者たちは国王の監視から逃げて、未だに古くからの信仰を守っていると言われている。それが『異端』であり……この王国からすれば重犯罪者たちだ。
「異端が存在していることは、本で読んだことがあるけど……実際に見るのは初めてだな」
「……そうでもありません」
何?
「レッドさんは、以前にも異端の人にお会いになったことがあります」
「どういうことだ?」
「……アンセル、という名前をご存知でしょうか」
俺はもう一度驚いた。
アンセルは……薬物『天使の涙』を利用して、数多くの人々を苦しめてきた『黒幕』だ。長い戦いの末、やつは俺の拳によって命を失った。もう半年くらい前の話だ。
「じゃ、アンセルが異端の人間だったのか?」
「はい」
ヘレンの顔が暗くなる。
「私たち『異端』は……生き残るために、昔から医学や薬学などの知識を大事にしてきました。どの地方でも専門的な治療を求めている人は多いからです」
「なるほど」
医学や薬学の知識さえあれば……どこに行っても飢え死にすることはないだろう。
「そして戦争の難民たちや、王国から追放された人々を受け入れて勢力を維持してきました」
「……それでアンセルを受け入れたわけか」
「はい」
特別調査官ドロシーの話によると、アンセルは危険な実験を行ったせいで王都から追放されたらしい。その後……彼は『異端』に受け入れられたわけだ。
「アンセルは優れた才能を持っている人でした。彼は短時間で私たちの知識を手に入れて……ある日、行方を晦ましました」
「やつはその知識で犯罪組織を作り上げたわけだな」
ヘレンの顔が強張る。
「アンセルのやつがどうやってこの都市の隠し通路について知っていたか疑問だったか……それもあんたたちから学んだんだな?」
「はい」
そもそもこの都市の隠し通路は、迫害されていた女神教の信者たちが作ったものだ。『異端』がそれについて知っていてもおかしくない。そしてアンセルは異端から知識を盗んだ。
「彼は……」
ヘレンの声が更に暗くなる。
「彼はとても優しい人に見えました。私の目の前で……知識で苦しんでいる人々を助けたいと言ったこともあります。私たちは、私は愚かで……彼の本性を見抜くことができませんでした」
俺はヘレンの瞳に涙が滲んでいくのを見つめた。
「私たちは彼の悪行を阻止しようとしました。しかし1年前、彼の雇った暗殺者によって仲間たちが殺され、手掛かりが燃やされました。それでもう打つ手が無くなり……私たちは混乱に陥りました」
「そうか」
ヘレンが顔を上げて、俺を見つめる。
「彼の暴走を止めたのは……レッドさんです。私たちは心からレッドさんに感謝しています」
「俺はただ気に入らないやつを一発殴ってやっただけだ」
俺は紅茶を飲み干した。
「あんたの事情は大体分かった。まあ、俺は別に異端だからって責めるつもりはない。俺とは関係のない話だし」
「ありがとうございます」
「だけど……もう1つだけ教えてくれないか?」
「何でしょうか」
俺はヘレンの顔を注意深く見つめた。
「あんたが俺に恐怖を感じている理由は何だ?」
「それは……」
ヘレンの目が見開かれる。
「もちろん俺の外見がこんなんだから、人々から怖がられるのは普通のことだ。だがあんたは少し違う理由で俺を怖がっているみたいだな」
「……申し訳ございません」
ヘレンが視線を落とす。
「謝る必要はないさ。それに……答えたくなければ答えなくていい。少し気になっただけだから」
俺は席を立った。
「いろいろ話してくれてありがとう。アイリンは寝ているようだし、俺はもう帰るよ」
「はい、どうかお大事になさってください」
ヘレンは少し戸惑いながらも、優しい笑顔で俺に挨拶してくれた。俺は彼女と別れてロベルトの屋敷を出た。




