story1 目指せ! ハッピーウェディング 2
「まず、グレます、の定義について考えてみようか。グレる、まあ一般的には、道を外れた行いをすることを指すわけだが」
「そうね。ロングスカートでヨーヨーを持つ、アレよね」
エリスンの口にした定義がいまいちわからなかったが、世の中がわからないことだらけなのは彼にとっては日常のことだったので、そのまま流した。
シャルロットは、道の脇に目をやる。季節の花々が売りに出され、町は賑わっていた。空気はまだキンと冷えているが、暦の上ではすでに春だ。目覚めるのは冬眠していた動物だけではない。新しい風を感じ、誰もが自然と活気づく、そういう季節だ。
シャルロットとエリスンは、心当たりも情報もほとんどゼロの状態で、とりあえず町に出ていた。探偵社でコーヒーを飲みながら話しているよりも、外気に当たりながらの方が考えもまとまるというものだ。思いがけず、手がかりが転がり込んでくる場合もある。
「そこで、思うところがあるのだがね、エリスン君」
「しょうもないことだろうとは思うけど一応聞いてあげるわ。何かしら、シャルロット」
ファーのまとわりついた白いジャケットを着た助手が、顎を上げるようにして促す。前置きが多少気になったものの、シャルロットは目を細め、自らの推理を口にした。
「キャサリンさんが、ジョニーさんと熱愛中であるという事実──これは、すでに道を外れた行いということにはならないだろうか」
エリスンは息を飲んだ。
「何の道?」
踏み外しているとして、それは果たして。
なんだかものすごくもっともなことを口にした上司に、エリスンは額を抑える。落ち着け、と自分にいい聞かせるかのように。
「ねえシャルロット。そのとおりだとしても、その道を外すという表現、才能も実力もないのに自ら名探偵と名乗っているあなたや、認めたくはないけれど有り余る才能をもてあましてこんなところで助手をしているあたしにも当てはまるんじゃないかしら」
どさくさに紛れて、エリスンはちょっとヒドイことをいった。シャルロットは胸に深々と突き刺さった刃を、パイプを持ち上げるように難なく引き抜く。名探偵の耐久値は異様に高い。それはつまり、理解力のなさに等しい。
「ふむ、なるほど。つまり人は、生きている以上、なんらかの道を踏み外しているというわけか」
「深いわね」
現実的な意見を哲学的なところまで昇華され、エリスンは呻いた。いいたいことはそんなことではなかったような気がするが、まったく的はずれでもない。
「問題は、そういうことではないのよ。あ、あい……愛し合っているはずの最愛のジョニーさんに、あんな置き手紙を残して、実際に姿を消した、これが問題なわけでしょう」
愛し合う、と口にする刹那、白くて丸いアレが脳裏をよぎり、思わずどもった。シャルロットは気づかなかったのか、ふむ、とうなずく。
「詳しいことを聞こうにも、ジョニーさんは姿を消してしまったしな。君たちは君たちで、尽力してくれたまえ、私は私で彼女を捜そう……ヒュイッ、とでもいうかのように。まったくもって、情報はゼロだ」
「ジョニーさんの口調については異議ありだわ」
「もしかしたら、混乱のままに飛び出してしまったのかもしれないがね」
エリスンは黙った。ジョニーはずいぶん落ち込んでいる様子だった。もし万が一、キャサリンの傷心の原因がジョニーにあるのだとして、気に病んで早まったことをしなければいいが。
「──だから反対だったのよ! 娘を返しなさい!」
唐突に、ヒステリックな声が飛び込んできた。
「む?」
シャルロットが空を見上げる。青いカラスが飛んで行った。アホウ。
「カフェからだわ」
頼りない上司の袖を引いて、エリスンはカフェの様子をうかがった。叫び声は、彼ら自身もよく利用するオープンカフェから聞こえてきていた。すでにちょっとした人垣ができており、数人が息を飲んでその様子を見守っていた。
「うるせえ! オレは関係ねえ!」
「関係ないですって! あなたが何人もの子に手を出してたんだって、あの子泣いてたのよ! あなたの責任でしょう!」
「知るかよ、あいつとはもう別れたんだ!」
口論しているのは、いかにも軽薄そうな緑色の髪の若者と、その母親世代の女性だった。内容から、甲高い声をあげているのが若者の元彼女の母親、ということらしい。
「お客様、他のお客様の迷惑になりますので……」
店員らしき女性が、恐る恐るマニュアル台詞を口にするが、どちらにも取り合われない。
「あんなに内気で母親思いの優しい子が、グレますなんていう書き置き一つで姿を消したのよ! どこにいるのか、教えなさいよ!」
「ほ、本当に知らねえって」
だんだん、中年女性の方が優勢になってきた。若者の方は、まったく心当たりがないのか、弁解口調になっていく。
「マジで知らないんです、許して」
とうとう謝った。
「あくまでもシラを切るのね! ミランダの居場所、あなたの魂に聞いてもいいのよ……!」
中年女性が、懐から包丁を取り出す。冗談とも思えない危険な台詞を吐き出した。
「シャルロット……!」
「うむ、これは放ってはおけまい」
シャルロットは地を蹴った。人垣の中から飛び出し、申し訳程度に設置されている花壇に右手をかけ、華麗に飛び越える。
花壇の向こう側は、すぐにオープンカフェ。二人が口論している現場だ。
女性が包丁を振り上げる。誰のものとも思えない悲鳴が空気を切り裂く。
名探偵は音もなく着地し、格好良く二人の間に入り、やめたまえ、とかなんとかいう予定だった。
予定でしかなかった。
着地失敗。
足が滑った。頭から、簡易テーブルに突っ込んだ。デザートの乗っていたらしい皿と、ホットコーヒーが宙を舞う。重力に逆らわずに地面に落ち、大惨事。
「……シ、シャルロット……」
ざわつく野次馬の中に隠れるようにして、エリスンは顔を伏せた。他人です。
だが、結果として、流血事件は免れた。名探偵が多少流血したが、それはそれだ。
「な、なに、あなた」
「助かった──」
それぞれが、思い思いの声をもらす。しばらく床にキッスしていたシャルロットだったが、おもむろに起きあがった。身なりを整え、ありもしないパイプを吹かすフリをする。
「はっはっは、喧嘩はやめたまえ」
衝撃に視界が呆け、あさっての方向を向いていたが、いいたいことだけはちゃんといった。根性。
「どいて、どきなさい! ロンドド署のものだ!」
「どくです──! デカのお通りです!」
まるでタイミングをはかったかのように、高圧的な怒声が響く。聞き覚えのある声に、エリスンは後方を見やり──
──現れたそれに、絶句した。
いっそ気を失ってしまおうかと思った。
「詳しい事情を聞かせてもらおう。ご婦人、その物騒なものは、こちらに」
「ケンカ、反対!」
刑事、と名乗るその二人は、白い大きな楕円に身を包んでいた。
頭の先から、膝のあたりまでの。まったくもって動きづらそうな、白くて大きなもこもこだ。
エリスンのよく知るそれよりも、多少スマートな作りになっているようだった。胸元には、ロンドド署のバッヂがきらめいている。
「おや、これは名探偵どの」
「あ、シャルロットさん!」
二人はシャルロットに気づき、直立不動の体勢で、右手をびしっと額にあてた。
「ヒュイ!」
「ヒュイ!」
シャルロットは、架空のパイプをゆっくりと吹かした。空を見上げ、痛む頭をそっと押さえ、それから自身の右手を額に持っていく。
「ヒュイ」
とりあえず、ノった。
刑事や着ぐるみは、前&前々シリーズに登場しています。